2024年2月 7日 (水)

日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(その3)

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その(2)からの続きになります。

その時代を遡ること400年、3世紀の卑弥呼の時代、朝鮮半島は漢や魏に押される形で非漢民族が入れ替わり立ち替わり国を作っていました。多数派は中国北東部の匈奴に代表される騎馬民族です。

その中で高句麗、新羅、百済は殷をルーツに持つ騎馬農耕民族の主体は扶余だと言われています。従って移動ルートの違いで若干の言葉や習慣の違いはあるにせよY染色体遺伝子はかなり偏っている可能性があります。

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(1〜4世紀の朝鮮半島、三韓時代)

もちろん移動の途中で色々なDNAを持つ民族が加わって来るので全て同じという訳にはいきませんが、君主が絶対的な権力を持つこの時代、安全保障上も支配層の多くは同系統であったと思われます。

一説によると大化の改新の立役者、中大兄皇子(後の天智)の父は百済の武王、母も同じく百済の宝皇女と言われています。記紀で彼らは舒明天皇と後の皇極天皇とされていますが、記紀としては天武が日本国を宣言した直後だけに外国の王が日本国の天皇では具合が悪いので、舒明、皇極を創出して辻褄合わせをしたと思われます。  

従って中大兄皇子は古くから日本にいた大王の直系ではなく、蘇我氏が百済から人質として来倭させていた二人の内の一人、百済皇子の扶余豊璋だという説が有力です。大海人皇子と兄弟のようにして蘇我家で育てられたと言います。

それはまた、その時代大和が百済の上位にいたという証しにもなりますが、そんな中、百済人翹岐(ぎょうぎ)が百済武王の跡を継いだ義慈王と奸計を企て、島流しという名目で642年に日本に上陸、滞在中の人質豊璋を担ぎ出して645年に乙巳の変に及ぶというシナリオはあり得ない話ではありません。

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(上の画像は蘇我入鹿が中大兄こと扶余豊璋に切られるシーン、左手前に弓を持っているのが中臣鎌足こと百済人翹岐、彼は弓の名手とされるが阿武山古墳から出た骨にもテニスエルボーの痕跡が見られた、つまり弓エルボーだったのだ。)

つまり朝鮮半島(高句麗、新羅、百済)が勢力争いを繰り広げる時代、大和国の蘇我政権を倒し百済傀儡政権を樹立して、支援させようという魂胆ではなかったかと推察されるのです。案の定、乙巳の変で事実上の大王家だった蘇我氏が滅亡した後の大和国は百済支援に積極的になります。

その島流しの時に同じ船に乗っていたのが亡き武王の妃、宝皇女(後の皇極天皇)とその姪の文姫(額田王)他で、危険な百済から一族で避難して来たのか、あるいはこれから演じる大和での茶番劇に登場する任務?も兼ねての事だったのかは分かりません。

筋書き通り蘇我入鹿を暗殺し乙巳の変は成功しますが、肝心な故郷の百済は660年に唐新羅連合軍の前に壊滅状態となり、小規模な抵抗軍を残すのみとなりました。

その抵抗軍の将軍、鬼室福信は人質豊璋の帰還を大和に要請します。既に百済の傀儡であった大和朝廷はそれに応じ豊璋は大和水軍1万余と共に661年、百済に凱旋、新百済王として唐新羅軍と戦うも、内部での分裂(豊璋による鬼室福信殺害)もあってあえなく敗れ行方不明となります。

ところが今度はちゃっかり中大兄皇子として大和に戻り、朝廷の実力者になっていた大海人皇子の支援を得て百済再興に奔走する事になるのです。

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(唐新羅軍に数の上では圧倒していた大和百済連合軍だったが、にわか仕込みの水軍では勝てなかったようだ。上の画像は当時の軍船を再現したもの、50人程度が乗り組んだと言われる。)

結局663年、白村江での最終戦で大和百済連合軍は壊滅的打撃を受けます。焼け残った600隻にも及ぶ軍船には敗残兵と大量の百済難民を乗せて帰還する事になったのです。

これでも分かるように、ここまで親身になって百済を守ろうとしたのは百済と大和は元々同族であったという事もありますが、当時の大和は百済の強い影響下にありました。

それにしても大和は延べ5万人近い軍派兵と言うのですから、今でも大戦争の部類に入ります。その組織力、機動力、兵站供給力には驚かされるものの、突撃一本槍の戦法では戦い上手とは言えなかったようです。どこかで聞いたような話です。歴史は繰り返されます。

さて、本来ならテロ後は中大兄皇子が蘇我入鹿に代わって大王となってもおかしくないところ、間に孝徳天皇を挟んだり、母の斉明(宝皇女)を立てたり、さらに斉明死後も天智称制を続けたのは大国唐を意識しての事と思われます。

実際、白村江の戦い後は唐から郭務悰が三度、最大2000人の使節団と戦後処理のために来日しているのです。第二次大戦後のGHQ的役割でしょうか。

また国内においても周りの目を警戒する必要がありました。百済皇子がいきなり大和の天皇になったのでは周りが納得しません。周りの、過去を知る不穏分子を排除してから旧来王家の皇子として天皇を名乗ったと思われます。

結局唐が百済や高句麗を滅ぼした後、新羅との戦いを始めたために、幸運にもキャスティング・ボートを握る立場となった大和は唐の軍門に下る事は免れました。

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(唐による侵攻、あるいは戦争責任追求に余程ビビっていたと見えて、烽火・防人を設置、当時の首都、北九州太宰府に短期間で作った水城も大掛かりなものだったようだ。30も造った山城の大半も太宰府周辺に造られたという事は、やはり太宰府が守るべき都だった事を思わせる。)

ちなみに記紀では皇子時代の中大兄皇子を皇子とは表現していません。皇子抜きの中大兄として天皇の直系ではない事をほのめかしているのです。舎人親王の目があるので、あまり露骨な事は出来なかったのかも知れません。天武側に不利な記事も書けなかったと思われます。

もっとも、天武の起こした壬申の乱後に天智系、中臣系は一掃されており、記紀編纂当時は百済系にとって、やりにくい状況があったと思われます。そんな中で藤原不比等が天武天皇崩御後、天武直系の文武天皇に娘の宮子を嫁がせ藤原家を再興させたのは、やはり権謀術数に長けていたからでしょうか。

話はクーデター(乙巳の変)に戻ります。そういう荒技が可能だったのも当時の日本と百済が数百年も前から行き来があり、政権中枢が同系の民族で同じ言語を喋っていたからに他なりません。

現在のような関係ならそんな芸当はあり得ないのです。それを見ても明らかなように当時、扶余語族が支配する朝鮮半島は古代日本語が普通に通じる世界でした。

今のハングルは支配層の大半が半島から大和に移った後、新羅を征服した挹婁、靺鞨、勿吉、エヴェンキなどのツングース系言語が古代日本語を上書きしたと思われるので、日本人との意思疎通は困難です。文化的、情緒面でも大きな違いがあるので誤魔化すことは不可能と思われます。

言語について、万葉集から良い例を紹介します。額田王と大海人皇子(後の天武天皇)との間で交わされた粋で切ない恋歌です。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王)

簡単に説明しますと、王族の、ある野外での集まり(狩や野草摘み)の折、額田王に向かって合図を送る大海人皇子に対し、そんな事をして、夫の天智天皇が見てやきもちを焼いたらどうするの?と言う、そんな感じの歌です。

その時の額田は大海人と別れ、天智と一緒になった直後でした。天智から是非にとの要請に泣く泣く応じ額田を手放した大海人には未練があったと見えます。天智は額田と交換に自分の4人の娘を差し出したと言うのですからよっぽどです。その中には後の持統天皇がいました。

続きがあります。その後の宴の席で今度は大海人が額田に歌を返します。

紫草の 匂える妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我れ恋ひめやも(大海人皇子)

美しい紫草が匂い立つようなあなたが憎くければ、なんで人妻だと言うのに恋焦がれる事などあるでしょうか。その会には天智天皇も同席していたと思えるので、二人とも随分と大胆な歌を詠んだものです。

まあ、当時の感覚では笑い話でやり過ごせるギリギリかもしれません。こう言うユーモアとウィットに富んだ句がすらすらと出てくるのが、この時代の王族なのです。すごく日本的で、文化レベルを超越し文明の香りさえ漂います。

ところが驚くべき事に今でも十分に通じる日本語を華麗に操る二人とも日本列島で生まれ育った所謂日本人ではなく、増して縄文人でもないのです。額田は幼名を文姫と言って百済の武王と新羅の将軍、金庾信の妹との間に生まれた王女でした。

もっとも、生まれたのは鸕野の讃良(うののさらら/後の持統天皇)と同じ畿内の鸕野の邑(うののむら=河内)で、その後百済に渡り10歳の時に新羅王の金春秋に政略結婚で嫁ぎます。その後百済と新羅の関係がこじれ、文姫は百済に返されますが、成人してからは大海人皇子に嫁ぐ事になりました。

その大海人は大陸と大和を股にかける漢人で大化の改新政府の国博士、高向玄理(たかむこのくろまろ)が父という説があります。(義父説もあり)父の都合で高句麗から大和(蘇我氏のもと)に渡来しました。母親は百済武王に嫁ぐ前の宝皇女(後の皇極・斉明天皇)と言うのですから当時は今よりはるかに国際的で恋愛も自由だったようです。

つまり中大兄とは実の兄弟ではなく、大海人は異父兄弟の兄だったのです。従って表向きの皇位継承順位は中大兄皇子より下となります。なぜ中大兄皇子が先に天皇になったのかが分かるというものです。

これでも分かるように百済と大和間には明確な境界などなく、兄弟国のような関係でした。しかも何と古代日本語は縄文人ではなく、元々渡来人が使っていたのです。昔からの謎が解けた瞬間でした。渡来人は縄文人の間に割り込んで来て支配したにも関わらず、先住民の言語(日本語)が残ったというのは納得のいかない話でした。

当時の先住民である縄文人はアイヌ語や隼人語等とも関連が薄い、今では消えてしまった上代東国語に類する言葉を話していたと思われます。フィンランドの言語学者ユハ・ヤンフネンはアルタイ語族仮説に否定的で、類型論的特徴を持つ日本祖語は渡来人が移動の過程で変化したものを列島に持ち込んだと言う仮説を展開しています。

その(4)に続く

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2024年1月29日 (月)

日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(その2)

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その(1)からの続きになります。

日本は少なくとも人類史を俯瞰して見た時に、人種差別撤廃に最も貢献した国と言えるのではないでしょうか。もしあの戦争がなければ地球全体がコロンビアのようになっていた可能性を否定する事は出来ません。

しかしながら人類に貢献と言っても、肝心な日本人には全く貢献しなかったのがあの戦争です。700万人超の徴兵の内230万人が死亡、内140万人が病死、餓死だと言います。民間人も80万人犠牲になりました。その内30万人は海外での死亡です。

戦いで死ぬのなら未だ分からないでもありませんが、それより圧倒的に多い餓死病死は言語道断です。兵站、補給のお粗末さ、計画の甘さは言い訳の出来るレベルではありません。民間人の死亡者数も多すぎます。勝てる見込みがなくなった戦争を長引かせた事が原因であるのは明らかです。

純粋に国思う有能な若者達を特攻攻撃に追い込んだのも日本人に対する重大な犯罪と言えます。3948人もの尊い命が失われていきました。戦勝国側の米が兵士の命を出来る限り守ろうとした姿勢とは対照的だったのです。余りに粗末に扱われた国民の命でしたが、その総括は終わっていません。

東京裁判は戦勝国の一方的な裁判であり、本来やるべき日本政府の日本国民に対する責任は果たしていないのです。そこをきっちりやらない限り歴史は繰り返されます。

実際今回のコロナ騒動でも現政権は満足に治験が終わっていない人類初のタイプであるmRNAワクチンを国民に打たせる、つまり人体実験をするという暴挙に出ました。裏で莫大な利権が動いたのは想像に難くありません。

その接種後の死亡者数は公表されているだけで2千人余りですが、インフルエンザワクチン接種後に死亡する人の数は毎年5千万人中5人前後なので、コロナワクチンでは延べ接種回数が3億9千万回と多いものの、率で見ても圧倒的に多い死亡者を出した事になります。

さらに厚労省が発表している人口動態統計では、2020年に前年比マイナス1万人だった日本人の総死亡者数が21年に6万8千人増、22年は13万人増と、コロナワクチン接種開始後は急増しています。どう見ても異常で戦争レベルの死亡者数だと言うのに政府もマスコミも問題にする気配はなく、それどころか全く無視を続けるという不自然な状態が続いているのです。

これではあの敗戦から何も学んでいないどころか、無責任さは加速しています。残念ながら政府もマスコミも全く信用出来ない国、それが今の日本と言うしかありません。

渡来系弥生人について

 話は古代に遡ります。1万年以上も平和な縄文時代が続いた日本ですが、小波は押し寄せたようです。今から3千年ほど前にインドからアーリア人に押し出される形でトラヴィダ族が巨石文化と稲作を携えて渡来して来ました。クナトの神を崇めるアジア系ですが、インドヨーロッパ語族のヒッタイト人も一部含まれていたかもしれません。製鉄技術(タタラ製鉄)が伝来した事から窺えます。

その人達は平和裡に縄文人と融合したようですが、居住地域が出雲周辺だけでなく東北その他にも散らばっているのを見ると、その後に何か大きな争いがあったのかもしれません。因みに出雲にも東北と同じズーズー弁と言われる訛りがあり、同系の民族だと思われます。大和朝廷に追われた出雲族は北へ北へと移動したという説が有力です。その人達は大和からは蝦夷と蔑まれ東北地方に安住の地を求めます。

その出雲弁に関しては、今の日本語に極めて近い言語だという説があるようです。少なくとも縄文人が話していた言語とは別物と思われます。という事は後から渡来して来る騎馬民族扶余と基本同じ言語で、言わば方言同士の関係だったのかもしれません。これは日本人のルーツを探る上で、かなり大きなヒントです。Photo_20240129131301

ところでインドから渡来したとされるトラヴィダ族ですが、そのまま今で言うところの出雲族になったのかと言うと、それも考え難いのです。なぜなら出雲王朝は紀元前7世紀頃の縄文末期に立ち上がったと言われていますが、平和な世界に王朝は必要ありません。何か団結する必要があるから支配体制が出来るのであって、外圧や争いのない自由な世界に王朝は不要です。

一説によると出雲の大国主は大月(だいげつ)の滇氏(てんし)だと言います。もっとも大月はインドにかなり近いのでトラヴィダ系だとしても不思議はありません。ひょっとして後から渡来して力で王朝を打ち立てたのかもしれませんが、詳しい事は分かっていないのです。

いずれにしても滇氏のトーテムは蛇だと言うので竜蛇族と言われるトラヴィダ族との相性は悪くなかったと思われます。奈良大神神社の主催神、大物主(饒速日)は小さな蛇であったという記紀神話からも出雲族は天津神系(天孫族)ではなく国津神である事は確かなようです。

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(縄文末期には8万人まで減っていた人口が弥生時代に急激に増加したのはトラヴィダ族が稲作を携えて渡来したのが一大要因と思われる。)

 富氏の出雲口伝によると出雲王朝は紀元前3世紀に渡来してきた天孫族に滅ぼされるのですが、最初の天孫族は秦の始皇帝から不老不死の薬草を探すよう命を受けた道教の方士、徐福一行だったようです。二回に分けて数千人規模で渡来してきた徐福一行は人口が数万人規模であった当時としては一大勢力となりました。

様子見の最初は出雲王族との婚姻などで同化策をとったようですが、秦の始皇帝をうまく騙し、弩(いしゆみ)の名手を多く帯同して武力を強化した二回目には侵略者に豹変したようで、日本神話で徐福は素戔嗚(すさのお)という名で表されています。天照大神が手を焼いてお隠れ(死亡の意味)になってしまうのですから余程手に負えない暴れん坊だったのでしょう。

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(日本各地に徐福伝説があり、和歌山には像も作られている)

ただ、素戔嗚が本当に天照大神(卑弥呼?)殺しの犯人かと言えば、時代が4世紀も違うのであり得ません。後に渡来した侵略者を庇う為に素戔嗚という神話上の人物名での悪事にすり替えたと思われます。

これでも窺えるように、ややこしいのは記紀(古事記/日本書紀)の記述です。8世紀に天武天皇の命で作られた天皇史は万葉仮名で書かれた古事記と漢文で書かれた日本書紀に分かれ、古事記が出雲神話を重視し、対外(中国)向けと言われる日本書紀は存在が疑問視されている神功皇后や壬申の乱を重視するなど、どちらも監修したのは藤原不比等だと思われるので明らかな偏りが見られます。

歴史書が勝者都合の歴史物語になっているのは古今東西を問わない決まり事なので、その点は差し引いて見なければなりません。もちろん天武天皇の皇子である舎人親王(とねりしんのう)が日本書記編纂の主要メンバーにいたため、全くの嘘は書けず、数多くの真実や、それに至るヒントが散りばめられているのは救いです。そこを手がかりに探っていくしかないのですが、いかんせん、都合の悪い証拠は極力隠滅され文章による資料も少な過ぎるのです。

ところで藤原不比等ですが、藤原鎌足(元中臣氏)の実子ではないようです。中大兄皇子と組んで起こした乙巳の変の首謀者中臣鎌足は実の父ではないという説が有力です。当時は報償として主君の子を孕った妃を、勲功を挙げた臣下に与える風習があり、天智天皇と鏡女王の子が不比等だと言われているのです。

もしそれが事実なら本人それは知っている筈なので藤原氏と天智天皇側に立った、つまり体制側(百済側)の考えを持って行動していたのは間違いないと思われます。ではその義父である中臣鎌足の出自ですが、天智天皇から授かった大織冠(下の画像の烏帽子)や玉枕などの副葬品で鎌足の墓と思われる阿武山古墳から出た骨を解析した結果は日本に20%前後いるとされるO1b2の大陸系で、なぜか天智天皇の子である筈の不比等も同じだと言います。

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手前の緑色の物は副葬品で、玉枕と言う。日本にはなかった高度なガラス成形技術で作られている。被葬者の出自を窺わせる。因みに大織冠を授かったのは扶余豊璋と藤原鎌足二人のみである。

と言うことは天智天皇もO1b2の可能性が高いという事になります。意外にもD1a2と言われる天皇系の血筋ではなく大陸系渡来人なのです。ちなみにこのY染色体O1b2遺伝子は朝鮮半島にも9%いるとされています。彼の国でもしぶとく淘汰されずに生き残っているようです。

その(3)に続く

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2024年1月24日 (水)

日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(その1)

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 日本人のルーツに関しては諸説あって、侃々諤々と議論がなされてきました。しかしどれもしっくりと来ません。しかしながら最近のDNA解析技術は長足の進化を遂げ、かなり昔の事が詳細まで分かるようになって来たのです。

そうは言ってもサンプル数が極端に少ない人類の起源にまで遡るのは意味がありません。従ってかなり確かだと思われる10万年前頃から話を始めます。今の原型となった人類が、アフリカから世界へ散らばっていったのは10万年前頃という説があります。5万年前にはアジア南部にも到達し3万8千年前には日本列島にも到来したと考えられます。

1万6500年前から新旧の石器時代を含む縄文時代が始まります。その頃の人類ですが、男系が分かるY染色体ハプログループを例に取りますと、A型から始まり古い順にBCDという具合に枝分かれしていきます。最後つまり最新の人類はR型だそうですが、日本に辿り着いたのはその中でもかなり古いD型でした。

但しD型の全てが来た訳でもないようです。あるグループは日本をスルーして北へ上って行ったと言います。幸いにも日本に到達したグループは豊かな自然の恵みを受け狩猟採集民族として数を増やしていきました。

しかし良い事ばかりではありません。気候変動や火山活動で移動を余儀なくされたグループもあり、住みなれた地を離れ東方あるいは大陸へ向かったと言います。

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日本人のDNA

 既にご存知とは思いますが、日本人の男系Y染色体、D型遺伝子は世界広しと言えど、チベットやバイカル湖周辺、あるいはアンダマン諸島にしか残されていないと言います。さらに、これらの遺伝子の元が日本到達前のものなのか、あるいは到達後に脱出したものなのかはよく分かっていないのです。

参考までに興味深い例を紹介します。現在の南米コロンビア人の遺伝子ですが、Y染色体を調べると男子の全てがスペイン人のものだと言うのです。一方女性は、母系が辿れるミトコンドリアの解析では全てがモンゴロイド、つまり原住民のものでした。

これはスペイン人がコロンビアに上陸した瞬間からコロンビア人男性の生殖能力が失われていった事を意味します。女性にとってはスペイン人の男性しか選べないという不自然な状態に陥ったのです。つまり自国の女性を帯同しなかったスペイン人はコロンビア人男性を尽く排除したのです。

逆の例もあります。東ヨーロッパ人のY染色体にはモンゴル人のものが一部に存在し、ミトコンドリアでは全てコーカソイド(白人原住民)のものでした。蒙古が東ヨーロッパにまで侵攻し、一時期支配したという証拠ではないでしょうか。

翻って我が日本はと言うと、縄文人のD型遺伝子は地方によってもばらつきはあるものの、全体では40%を占めます。他は大陸からの渡来系と思われるO型二系統が50%で、残りはDよりも古いCが北(アイヌ)に少々と少数民族系が何種類かあるようです。これを見る限り日本が一つの民族によって強権的に支配された痕跡は見当たりません。(下図参照)

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世界に例を見ない平和な地域が日本列島なのです。では対外的にはどうでしょうか?日本がどこかの国に攻め入って強権支配したかどうかは相手国のDNAを調べれば詳らかになります。

かつて日本が統治した朝鮮半島や台湾で日本人のDNAが激増したかと言うと、全くそんな事はありません。(下図参照)むしろ朝鮮半島の場合、現地人人口は統治時代の35年間で1300万人から2500万人へほぼ倍に増えました。

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さらに李王家の末裔、李垠王世子(リ・ギン)に日本の皇室から梨本宮方子女王を嫁がせるなど、手厚い融和策をとったことは意外に知られていません。

日本による外国統治に関して当時の英国BBCは欧米のようなColonization ではなく Annexationであると報じました。つまり植民地ではなく併合だったと言っているのです。

事実日本政府は現地人を日本人とし、日本人と同じ待遇を与えたのですから、欧米の植民地支配からは程遠いものがあります。しかもその併合は米英も公式に認めたものだったのです。

これは、人類は皆一つ屋根の下という八紘一宇の理念がベースにあり、また大東亜共栄圏の考え方にも合致します。つまりアジア人で団結して欧米列強の植民地主義に対抗しようという日本の願いは昭和天皇の開戦の詔勅を見ても明らかなのです。

国際連盟で日本が提起した人種差別廃止案は白人諸国によって廃案とされました。さらにABCD包囲網で日本締め付けが強化されていきます。そういう状況下で日本の選択すべき道は多くはなかったのです。

結果は無残な敗戦となりましたが、ニューヨーク・タイムス東京支局長の故ヘンリー・S・ストークス氏は「1941年、日本はアジアで大英帝国を瞬く間に滅亡させてしまった。非白人が、白人がアジアで展開した植民地支配を覆したのだ。このため日本人に対する憎悪は、戦後も長く続いた。」

また「世界史上、日本ほど人類に貢献した国はない。日本はアジアの希望の光だった。」と賞賛しました。その言葉を裏付けるように戦後植民地支配されていたアジア諸国は尽く独立して行ったのです。

日本軍が追い出し、日本の敗戦で戻ってきた欧米宗主国と元植民地の間で戦争も起きましたが、日本の戦いぶりを見て、アジア人でも十分に戦える事を知った現地人は死に物狂いで独立戦争を勝ち取ったのです。もちろん日本軍が現地人に軍事訓練を施し武器の供与もしていなければ、この奇跡は起きなかったでしょう。

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(インドネシアのカリバタ英雄墓地、1000人も残留して共にオランダと戦ったと言われる多くの日本兵も眠っている)
その2へ続く

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2023年12月25日 (月)

メリークリスマス23

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早いものでもうクリスマスシーズンがやってまいりました。今年のテーマは「Dの帰還」です。

日本列島にはまず縄文人が先住民として住んでおり、そこに見ず知らずの弥生人が押し寄せ、縄文人を南北に追いやりながらも融和し混血していったというのがこれまでの定説である二重構造モデルでした。

しかし、ではなぜ渡来人(弥生人)が押しのけたはずの先住民の言語、古代日本語が共通言語になったのでしょうか。世界の例では後から入って来た力の強い者の言語がその国の言語になっています。

日本の場合、人口が数万人規模でしかない列島に大陸で揉まれた技術も知恵もある人達が何度も渡来して来たのです。その集団が平和で戦いを知らない縄文人に屈するというのはおかしな話ではないでしょうか。私にはそこがず〜っと疑問でした。

ところで最近はD N Aの解析技術が進歩して人類の移動や混血の具合など色々な事が分かるようになったと言います。それによるとアフリカを離れた初期の人類は世界に散らばり北東アジアにも3万8千年くらい前には到達したそうです。

その時に日本列島まで辿り着いた人々は男性が持つY染色体ハプログループで言うと四番目に古いD型でした。(Aから始まり最後がR型)但し同じDでも日本だけでなくアジアの北の方まで上がっていったグループもいたそうです。

大きく時は流れ今から3千年前頃には、初?の渡来人がやって来ます。しばらく経って紀元前3世紀にも大陸からある知的集団が到来しました。ご丁寧に二度に渡ってです。その後は五月雨式に渡来ラッシュが続くのですが、秦氏の集団渡来は有名で日本が大きく変わったきっかけになったと言われています。

そこで調べてみると、卑弥呼と入れ替わるように3世紀末には巨大前方後円墳が現れ、続いて馬が出現し神社が増え、大陸との行き来も活発になっていきました。人口が爆発的に増えて種々の文化が花開き、7世紀にはあの香り高い歌集である万葉集が編纂されます。

弥生時代後期から飛鳥時代にかけて急速に列島が動き始めたのです。この流れを見る限り、どう考えても渡来人が日本を変えていったとしか思えません。

あまりにも縄文人の存在感がないのです。南北に押しやられた彼らはそこでひっそりと暮らしていたのでしょうか。しかしながら最近の研究だと本州にも30〜40%の縄文人由来のD型の男性がいると言うのです。

それは非常に妙な話です。ハイテク渡来人に混じって旧来の土着縄文人が存在感を発揮したと言うのはあり得ないとまでは言えないものの、二重構造モデルからはイメージ出来ないし、世界の常識ともかけ離れています。何があったのでしょうか?

結論を急ぎましょう。ごく最近の研究によると、あるD型グループは世界を半周して最後に日本に集結したと言うのです。そのせいかチベットやバイカル湖周辺にもDは散見されます。アンダマン諸島にもいるのですが、これは別系統かもしれません。

それが3万8千年前に別れたDグループなのか、あるいは日本列島到達後に火山活動や気候変動で住めなくなり西に移動したグループなのかは分かりませんが、とにかく渡来人の中にD型がかなりな割合で混じっていた事は確かなのです。

これでやっと長年の課題だった私の疑問が解けました。天皇家がD型と言われるのも本州にDが多いのも渡来人由来のものだったとすれば、言葉の謎も含め全て氷解するのです。そもそも縄文系渡来人の言語は長い年月世界を巡る間に全く違ったものになっていました。

一方の縄文語は恐らくアイヌ語や琉球語に近い言語であって大きくは変化しなかったと思われます。つまり言語だけでなく国家体制も渡来人が持ち込んだと考えれば、万世一系はともかくとしても、D型が長い期間守られて来たという天皇家伝承は理解出来るのです。

しかしながら日本の場合は人種の坩堝であり、D型だけでなく大陸由来のO型2系統他、もっと古いCや新しい系統も数多く残っており、南米のような特定のD N Aが独占した痕跡はありません。つまり結果的に見て稀に見る平和な国、共存共栄の国が日本なのです。

そんな事をぼんやりと考えながら巫女サンタ、虎衣やよい嬢のそりは縄文人が住む縄文村へと急ぎます。物価の高い昨今、安くて良いプレゼントを弥生町で探すのに手間取り夜明け近くになっていたのです。

「弥生町の長老たちはほんまにがめついわ〜。縄文村のデコピン君は人懐っこいし、ええ人やったんよ。プレゼントの97%は10年後でええなんて、信じられんわ。」巫女サンタが見つめる雪の大和はやはりまほろば、おおらかで美しくも、なぜかちょっぴりやるせない空気に満ちていました。

ロマン溢れる古代史、本当に興味が尽きません。 今年一年お世話になりました。また来年もよろしくお願い致します。皆様に良い年が訪れますように。


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2023年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます。

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

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Hny2023


皆様、明けましておめでとうございます。

早速ですが今年のイラストのテーマは「一難去ってまた一難」です。

 昨年暮れのデリバリーでは、あわや遭難という危機から船側の誘導に切り替えてもらい事なきを得た美女サンタでしたが、帰社早々次のミッションが待ち受けていました。「休暇取りたいのにかなわんな〜」とぼやく美女サンタにデリバリー責任者が持ち出した案件はかなりハードなもののようです。

 彼によると、元旦に近江の国で初日の出を拝む会が地元の有力政治家によって催されるというのです。それも何と豪華クルーザーからというのですからこの時節としては剛気なものです。そこでゲストに対するサプライズとして年賀プレゼントを空から届けるシナリオと言うではありませんか。え〜またそれかい、嫌な予感が胸をよぎらざるを得ません。

 「これひょっとして、サンタ役の私からなので買収にはならない、とでも言うつもりなのかな?」何か釈然としない今回のミッションですが、琵琶湖の初日も悪くないと気を取り直し、除夜の鐘もそこそこに東京を出発しました。

 近江には5時少し前に到着、未だ初日は拝めませんが、そこには何とも言えないオレンジ色の光景が広がっていたのです。「いや〜受けてよかったわ。こんな景色は滅多に見られへん」と喜ぶサンタの前に一隻の豪華クルーザーが・・・ところがこの船、なんとヘリポート、いや、ドローンポートがないのです。

 やはり嫌な予感は当たりました。途方に暮れるサンタがとった行動とは、ハードランディングなのか、或いは空からばら撒くのか??これを書いているのは12月末なので来年の事は私にも分かりません。(笑)

 今回の絵は昨年8月に旅行で訪れた琵琶湖のホテルから撮った写真をベースに、それに手書きのイラストを乗せてカラー調整したものです。船のカラー調整には手間取りましたが、何とか違和感のないものに仕上がったのではないかと思っております。

 申し遅れましたが、昨年は有り難うございました。今年もよろしくお願い致します。

 



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2022年12月25日 (日)

メリークリスマス22

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

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今年のテーマは「美女サンタ北極へ飛ぶ」です。

 昨年自分たちの主張を通し、仕事もきっちり終えて無事に越年した美女サンタたちですが、今年はまた難問がふりかかって来たのです。召集に応じサンタワールドに集結した美女サンタたちには思いもしないミッションが待っていました。

 その内容は「北極海に行って、そこで実験をしているグループにプレゼントを配布せよ」と言うものです。「え〜何やて、北極海?そんなアホな!!」仲間からは不満の声が上がりました。そりゃそうです。昨年のようなバイクタイプのドローンでは寒くてたまりません。

 そこでリーダーが先頭に立って条件闘争に入りました。まずドローンをオープンタイプではなくクローズドタイプで暖房付きに交換する事! 次に手当を仕事に見合った金額に上げてもらいたい、と言うもっともな内容です。

 欧州や米では8〜10%以上ものインフレに襲われ、日本にもじわじわとその波は押し寄せています。このままでは越年もままなりません。美女サンタたちにとってもインフレは切実な問題だったのです。

 それを聞いたワールド長は呆気なく「ええで、言う通りにしたってや!」と部下に指示したと言います。リーダーはその適当さに不吉な予感はしたものの、取り敢えず要求が通ったことを評価してスタンバイする事にしました。

 さて、その北極海での実験ですが、何と航行しながら海水を分解して水素を取り出し、それを燃料としてICE(内燃機関)を動かすのだと言います。さらにはその水素をモーターや電装品のための電力にも換える燃料電池も搭載すると言うのですから笑ってしまう程すごい話です。

 究極のゼロエミッション・ハイブリッドクルーザーと言って良いでしょう。しかもその試作船はすでに完成していて、長期テストに入っていると言うではありませんか。つまり、それが持続可能かどうかの耐久テストを最も条件が厳しい極寒の海でしている訳です。実験船は既にノンストップ走行2ヶ月目に入っていて、なお順調だと報告されています。

 それを聞いた美女サンタたちから喜びの歓声があがりました。地球のエネルギー問題が解決するかどうかという一大プロジェクトに間接的にでも参加出来るのは光栄な事です。まずはブラボー!!と言いながらこの大逆転劇に祝杯をあげるしかありません。

 しかし、その裏でニヤリと笑った男がいました。「ふふ、来年は増税してその分倍にして取り返してやるで」そうです。キッシーワールド長です。この男は何を考えているのか、いないのか?国民の幸せより税金を取る事にしか興味がないように見えます。

 経済がまるで分かっていないこの男は、それが持続可能社会への道とでも考えているのかもしれません。いや、それとも単なる操り人形に過ぎないのか?そう勘繰られても仕方がないくらい誠意や覇気が感じられないのです。

 そう言う実しやかな噂話が聞こえてくる寒〜い年の瀬は、例年になくどんよりとしています。それは近未来を予感させるような、させないような、いずれにしても視界の利かないカオスとも言える時代に突入してしまった感は否めません。知らんけど・・・(笑)

 今年一年お世話になりました。また来年もよろしくお願い致します。皆様に良い年が訪れますように。



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2022年12月12日 (月)

円安で国が滅ぶと騒ぐ愚かな人達(後編)

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 前回からの続きになります。

 米も同じく対外純負債が大きく、その額は20兆ドル以上にもなります。これくらい金額が大きいと、いくらでもドルが刷れるとは言え通貨安はデメリットも桁違いになるのは自明です。そういう事情もあって国内の景気とは無関係に金利を上げたりする訳で、ドル高にしなければならない必要性に迫られるのです。

しかしながら、米ドルが基軸通貨になれたのも、この借金体質が大きくものを言っています。それだけドルを刷って借金しまくっても何とか出来るだけの政治力とファンダメンタルズがあるという訳です。

反対に日本は経常黒字国なので円を大量に刷る必要には迫られません。払っても、払っても戻ってくるのです。(笑)これではハードカレンシー(国際決済通貨)にはなれても基軸通貨国にはなれないのです。またなる必要もありません。

ただ、価値ある物(通貨)は少なければ少ないほど価値が上がるので、円安には限界があります。長い目で見れば円高基調に戻っていくのは必定です。それを邪魔する要因は潰さなければなりませんが、マスコミ、似非エコノミストに加えて政府が海外の大国の傀儡なので、そこが最大のネックと言えるでしょう。

そもそも持ってもいないものは売れません。円を保有している外国人がどれくらい存在するのかは知りませんが、海外に流出している円の量自体が非常に少ないので円売りには限界があります。と言うか既に今の円安が異常なくらいで、すぐに円高基調に戻ると思われます。

円安が続く要因があるとすれば、それは日本人が日本を売る時です。手持ちの円をドルに換えて、中国の金持ちのように海外に移住するならそういう事もあり得るでしょう。流石にそこまで愚かな人は極々少ないと思われます。

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(バブル崩壊までは10%前後のマネーストックの増加率だったが、崩壊後は2%程度に落ちた。経済成長率はこのMS増加率に比例する。90年以降金融に関するルールが色々変更され、民間企業の借り入れが難しくなったのが、MSが伸びない最大要因である。

日銀による窓口指導も廃止されたが、ここにも政府の姿勢が表れている。これによって返済が借入れを上回るバランスシート不況が起き、マネーストックの伸びは政府発行の国債に頼るしかなくなった。全ては年次改革要望書等の外圧によるものである。

マネーストックとは簡単に言うと、その国の総預金残高プラス現金である。

マネーストックが増える要因

1)政府が国債を発行し、公共投資をする、あるいは国民に対して直接給付金などで支払う場合

2)金融機関の民間に対する貸出額が返済額を上回った場合

3)経常収支の黒字が増えた場合

為替の変動要因

基本的には通貨量の差で決まる。多い方、つまり二国間の貿易や金利差等で、支払額が増えた方(売られた方)が通貨安となる。

現状はセオリー通りではなく過剰な円安状態が続いている。物価等を加味した実質実行為替レートが60を切っているのは異常と言うしかない。1ドル80円以下が実力と言える。青いラインが実質実効為替レート、赤線がよく目にする名目為替レート)

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(このグラフを見れば今の円安なんて、騒ぐほどの事ではないとすぐに分かる。米による必死の圧力、内政干渉にも関わらず、円はドルに対し常に強い立場を維持して来た。そんな国は日本以外には見当たらない。逆に、通貨安が悪いと言うなら、このグラフは米側から見ると屈辱の歴史でしかない。

そこに日本人は気づくべきだ。気付かせないためには日本衰退説が必要で、マスコミや御用学者を使ったプロパガンダが常態化している。安倍さんが亡くなった今は戦後レジームの脱却から遠のくばかりである。)

因みに日本を売らなければいけない程衰退している国だと思っている人には左のグラフを紹介します。

生産年齢人口一人当たりで見た場合の実質経済成長率は実はアメリカより10%以上も上なのです。つまりこれが意味する事は国民一人一人のポテンシャルは高い状態を維持しているという事です。名目や実態を反映していない為替レートで比較する意味はありません。

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2022年12月 5日 (月)

円安で国が滅ぶと騒ぐ愚かな人達(前編)

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 随分と間が空いてしまいました。世の中混沌として先が見えないと言うのもありますが、ちょっと重荷になってきたと言う事実もあります。読者の方のコメント投稿がなければ、もう少しサボっていたかもしれません。(笑)

さて、このところ円安がひと段落し静かになりましたが、ちょっと前にはマスコミや、ポジショントークに余念がない似非エコノミストがこの時とばかりに「日本が売られ続ける」と大騒ぎをしていました。その原因は日本のファンダメンタルズが弱くなった、あるいは貿易赤字が慢性化した、財政赤字も世界最悪だ、などがあって悲観論で占められているのです。

おかしいですね、昔1ドル80円を割るような超円高の時には円高で日本が滅びると言っていたのは誰でしたっけ? そう言えば紫BBAも1ドル50円になるとか言って煽っていましたね。

とにかく日本ダメ論さえ展開すれば新聞は売れるし、テレビの視聴率も上がるようです。日本人自体も悲観論が大好きな国民性ではないかと思えます。では実態はどうなのでしょうか。まず今回の円安の原因ですが、素人なりに次のような分析をしてみました。

1)基本的にはアベノミクス以来の日銀の金融緩和策は継続されており、円はドルより相対的に過剰な状態が続いていると言えます。円安傾向は元々あったのです。

2)米がこのところ利上げをやっていて、しかもそのペースが過去よりもかなり早いです。つまり米自身がドル高を容認しているのです。(下の表)

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3)それに便乗した投機筋(海外のヘッジファンド)が円売りを仕掛けているので、金利差以上に増幅されたと思われます。

4)日銀は雀の涙ほどのドル売り介入をしたものの、金利を上げるつもりが全くない事を見透かされています。禿鷹ファンドが闊歩する要因だと思われます。

その他の要因は見当たりません。ファンダメンタルズは特に変わっていないし、貿易赤字はさほどではなく、財政赤字も巨額のままで微増を続けています。従ってそれらが原因でないのは自明です。さらに言えば最近の貿易赤字は円安要因ではありますが、日本は何十年も経常黒字国です。

海外に持つ生産拠点や金融資産などから入る所得収支は年に20兆円もあって貿易赤字を遥かに上回ります。従って通常であれば円高になるのを日銀が金融緩和で抑えているというのがアベノミクス以降の実態なのです。

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(日本はアベノミクスでマネタリーベース「MB」を欧米と変わらない規模に増やして来たが、今回コロナ禍で米が大量にMBを増やしている。昨年の春頃には逆転しているのにも関わらず円安に動いているのは投機筋の存在以外は考えにくい。EUもMBを米以上に増やしているが、こちらは対ドルに比べ円安が顕著ではない。普通なら円高になる。)

90%以上を国内で賄っている財政赤字に関してはもっと根拠がないと言わざるを得ません。この件に関しては全く間違った認識が共有されているようですが、日本は国全体で見た場合には世界一の黒字国なのです。資産から負債を引いた額が、国内だけで言えば520兆円(21年末の数字、3.6兆ドルを今のレートで計算した場合)の黒字になります。

それは逆に言えば対外純資産が520兆円もあるという事を意味し、日本のグローバル企業は円安でウハウハ状態なのです。当然好決算という事になります。事実企業の480兆円もある内部留保の半分以上を占める外貨分はどんどん膨らんでいるのです。膨大な利益が蓄えられています。

それは逆に言えば政府負債に皺寄せが行っている事にもなり、政府負債を黒字化するには家計と企業の黒字を減らさなければならないのです。どちらが国民にとって好ましいかは明らかではないでしょうか。(次のグラフ参照)

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(コロナ禍の財政支出で家計の金融資産は爆上がりした。ただ供給側がコロナ規制で棄損しているので経済成長にはつながり難い。)

尤も、財政赤字は国債を日銀が買う事で事実上は縮小されます。政府と日銀は国の機関なので、連結決算をすればほぼプラマイゼロになるのです。基本的に日銀は無限に国債を買い入れる権利、能力を有しています。

世界で最も価値のある日本国債を担保にして円が発行出来るのですから、どう考えても最強なのです。こういう事実をマスコミは知りません。日本国民も嘘を教えられています。

では一方の懸念材料ですが、確かに輸入品の物価は上がるでしょう。資源類に限って言えば輸入額が毎年15兆円ほどなので1ドル200円にでもなれば30兆円近い数字になります。

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しかしそれでも値上がり分のGDPに占める割合は3%でしかないのです。つまりコストプッシュインフレと言っても高々3%で大した数字にはなりようがありません。消費税を円安期間だけでもその3%分(15兆円程)下げれば済む話です。

それもトータルで見た場合には経常収支の黒字分で相殺され、お釣りがたんまり来るという訳です。年間20兆円もある経常黒字は円安で30兆円にも40兆円にも増えるのですが、それでもあなたは円安が日本をダメにすると思いますか?

実際には世界で円安だけが進んでいる訳ではなく、米ドルの独歩高という側面があります。対ユーロや対ポンドで見た場合、大して変動がない訳ですから、円安だけを取り上げて騒ぐのはバカか、バカでないとすれば悪意があるとしか思えません。

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(ユーロやポンドを見ると日本だけが狙われた訳ではない事が分かる。)

つまり為替はプラスマイナスがあるので日本のような純資産国には返ってメリットの方が多いのです。もちろんデメリットの方が多い国もあります。例えばポンドは円と同じように通貨安ですが、こちらは死活問題になりかねません。

かつて七つの海を支配した英国は世界に膨大な資産を持つ代わりに、それ以上の負債を負っているのです。プラスマイナスすれば純負債が莫大な数字になります。必然的に企業の業績は悪くなるという訳です。

長くなりましたので次回に続くとさせていただきます。



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2022年7月 8日 (金)

百済系渡来人による日本乗っ取り(後編)

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 前回からの続きになります。

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(余程ビビっていたと見えて、短期間に作った水城は大掛かりなものだったようだ。下の画像が現在残る水城跡)

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ところで、この防衛施設が完成したのは記紀によると664年とされていますが、それは妙です。敗戦後に工事を始めたのでは、とてもじゃないけど1年では不可能です。

これより規模が遥かに小さい大山古墳でさえ大林組の試算によると二千人の作業者で15年かかると言います。しかも太宰府の周囲に51キロにも及ぶ大城壁(土塁?)まで出来ているのですから、1年や2年の工期でないのは自明です。

常識的に考えれば敗戦の前に完成していたと考えるべきです。敗戦後は唐から戦後処理のための使者郭務悰(WW2で言えばマッカーサー?)が二千人と言われる占領部隊(GHQ?)を引き連れて太宰府に来ており、その眼前で防衛施設が作れる筈もないのです。

従って記紀の記述は信用出来ず、7年のずれがあると言う最近の解釈が信憑性を増します。記紀はこの7年に何かを隠したのです。天皇の出自を誤魔化すためか?

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(万里の長城には遠く及ばないが、周囲に城壁をめぐらせたという事実は何を物語る?NHKの正月番組ブラタモリで取り上げた太宰府の羅城。)

さらに、なぜ地方都市の一つでしかない太宰府に、かくも大掛かりな防衛施設を築いたのかというのも疑問です。京都や奈良にはその形跡がないのにも拘らずです。と言う事は、実は太宰府は日本の首都だったのかもしれません。天智天皇の居城はそこにあって采配を振るっていたのではないでしょうか。

さて、唐からの戦争責任を問われる張本人の天智天皇ですが、667年に近江に逃れたり忙しい日々を送っていたと言います。結局は責任を旧大和国になすりつけたか、上手くかわす事が出来たようです。

前述のように669年には落馬で治療中の中臣鎌足を見舞い、大織冠と藤原姓を授けているのです。大織冠は自分(豊璋)にも与えていますが、中大兄皇子=豊璋とされるのを避ける方便だったのかもしれません。

話は遡りますが、中臣姓、藤原姓というのは記紀には出てきません。中臣という姓はある調査によると、元々は卜部という神職についており皇室の政治に関与する地位にあったと言います。

興味深いのは5世紀に大陸から亀卜(占い)をもたらした帰化人を国造(クニノミヤツコ)中臣氏の成立と共に支配下に置いたと言う「中臣本系帳」の記述です。

そうなると邪推かもしれませんが、背乗りの可能性が頭をもたげます。改竄可能な立場にあった記紀に中臣家を大化の改新まで登場させないのは、書くべき事が何もなかったからなのかもしれません。大化の改新以降の立場を有利にする改竄は可能でも、ない歴史をゼロから作る事は難しいのです。

そこで気になるのが大陸から伝来したと言う、亀の甲羅で占いをする「亀卜」です。大陸とはこの場合おそらく朝鮮半島を指します。それはそれまでの日本になかった事を意味するし、霊媒師として故人や神の声を代弁していたと言う卑弥呼の鬼道などとも趣を異にします。

いやいやこれはまた驚きの新発見です。現在の天皇家が行う皇位継承の一大行事である大嘗祭用の供物の米を選ぶのは亀卜による、とされています。しかし、その亀卜は5世紀までは日本になかったのです。それまでの天皇家の占いは亀ではなく鹿などの動物の骨を使っていたと言います。

と言う事は、天皇家のルーツはそれ以前日本に存在していた天皇家とは別系統かもしれないのです。これはまたすごい話ではないでしょうか。亀卜のルーツは秦の前身と言われる殷だそうですが、殷の末裔と思われる徐福の、鬼道ベースの道教とは別物のようだし、謎が深まります。

いずれにしても今回はっきりしたのは百済系渡来人によって645年に大和は乗っ取られたという事実です。ただ、天智天皇崩御後壬申の乱で蘇我氏(天武天皇)側が捲土重来を果たし、皇位を取り戻したのも確かなので、百済の血統が今日にまで至っているかどうかは不明です。

一つ言える事は、一時的に没落した藤原氏が文武天皇に不比等の長女(宮子)を嫁がせる事により重要なポジションに返り咲いているので、百済系が朝廷の敵として全て排除された訳ではないようです。むしろ上手く大和国、いや日本国に溶け込んでいったのです。天武天皇としてもその方が好都合だったのでしょうか。

だからこそ、その後血で血を洗う皇位継承者争いが後を絶たなかったのです。祟りを恐れた勝者側によって日本国中に建立された鎮魂のための神社がそれを物語ります。

もちろん後ろで糸を引いていたのは藤原氏で、藤原京(学術用語)に藤原宮(皇居)まで作るのですから、大したものです。その後ろめたい気持ちがあるから、自分の墓は目立たないようにしたのかもしれません。

まとめ

1)藤原鎌足は百済からの渡来人で、同じく百済王族の豊璋と組んで日本でクーデターを起こし、大和を乗っ取った。(大化の改新)その後大海人皇子の逆襲に遭うが、この事を壬申の乱と乗っ取った側が言うのはおかしい。

乱とは秩序破壊あるいは反逆を意味するので、正当性のある側が起こした原状回復の戦いは乱ではなく聖戦、あるいは平定、鎮圧である。不比等は記紀で乱という言葉を使ったが、自分達に正当性があると言いたかったのだろう。

2)今の天皇家は大嘗祭などで亀卜を行なっていると言うが、それが日本に入ったのは5世紀である。と言う事は神武天皇以降5世紀までの天皇の血統と同じである可能性は低いと言わざるを得ない。

3)7世紀の大和国の首都は東アジア最大の羅城と言われた太宰府であり、北九州が大和国の中心であった事が窺える。水城の成立年代を調べるために行なわれた三層の敷粗朶(シキソダ)の放射性同位体(C14)によると、240年、430年、660年が検出されており、卑弥呼の時代に既に水城が存在していたようだ。660年は補強工事だったかと思われる。

4)水城の成立年が意味するのは邪馬台国はやはり北九州にあったという事で、太宰府はその後も継続して日本の中心だった可能性が高い。3世紀に「倭は国のまほろば」と詠んだ日本武尊(ヤマトタケル)が見た倭の風景は畿内ではなかった。「たたなずく青垣、山籠れる 倭し麗し」と続く文言からはどちらとも取れる。

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2022年7月 4日 (月)

百済系渡来人による日本乗っ取り(前編)

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

 過去記事「天皇家の血統(万世一系は本当か?」の中で「中大兄皇子こと扶余勇、中臣鎌足こと扶余豊璋が645年に大化の改新、乙巳の変を起こし、蘇我氏や聖徳太子一族を滅ぼしました。」と書きましたが、実際は扶余豊璋の方が中大兄皇子だったかもしれません。その場合中臣鎌足は豊璋とは直接血の繋がりのない百済王族「翹岐」という事になるようです。

先日ネットで、たまたま帝塚山大学考古学研究所が作った動画を観ていると阿武山古墳の話をしていました。1934年に京都大学によって偶然発見されたこの古墳は、天皇の古墳とは違って、規模も小さく目立たなくする事が目的かと思えるほどの地味なものだったようです。

大きな石で囲まれた墓室の中には黒い漆塗りの棺があり、中の様子も確認されたのですが、111日後に内務省の指示で元の状態に戻されたと言います。戦前の話ですから色々不都合な事があったのかもしれません。

時は半世紀近く流れて1982年、国立大にはよくあると言う京大の「開かずの間?」でこの件に関する貴重な資料が発見されました。当時のレントゲン写真他の資料ですが、それらを分析した結果は驚くようなものだったのです。

それによると被葬者の右肘の関節が変形していて、肋骨も数本折れている事が分かりました。さらに背骨に圧迫骨折痕が見られるので、大きな事故にでも遭ったのかもしれません。それを見た整形外科医の分析は以下のものです。

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(右の小さい画像が健常人の肘)

当たり前のように「この人はテニスプレイヤーですね?」と言われたそうです。右肘を長年酷使している場合、そういう例が多いと言います。肋骨の骨折に関しては死後ではなく、骨折後3ヶ月は生存していた形跡があると言うのです。棺や副葬品などからAD7世紀頃のものだと分かっていたので、流石にテニスプレイヤーというのはあり得ません。

その副葬品ですがレントゲン写真を精査した結果、金糸の刺繍のある烏帽子のようなものが確認されました。それをさらに掘り下げていくと、どうも当時朝廷から功労者に与えられた大織冠という冠に行き着くのです。(下の画像参照)

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(手前の緑色の物も副葬品で、玉枕と言う。日本にはなかった高度なガラス成形技術で作られている。被葬者の出自を窺わせる。)

大織冠を授かった人は日本広しと言えども二人しかいません。藤原鎌足と、当時人質として朝廷が百済王から預かっていた王子、扶余豊璋だと言うのですからビックリです。思わぬ大物が掘り当てられたようです。

当時百済が日本(倭国)の領土である任那を度々侵していて、蘇我馬子大王は頭を痛めていたと言います。そこで蘇我入鹿大王の時に百済武王の息子二人を人質として差し出させました。豊璋と弟の塞上ですが、二人は入鹿大王の子である大海人皇子(後の天武天皇)と共に分け隔てなく育てられたと言うのです。

その後豊璋は中大兄皇子と名乗りますが、その時期は不明です。6歳で人質となった豊璋は18歳の時(643年)に法興寺で催された蹴鞠の会で中臣鎌足)と出会い、意気投合して乙巳の変を企てるのですが、お互いが百済人であることを知っていたからこそではないでしょうか。これは偶然とは言い難く、岐が仕組んだ出会い劇ではないかと思われます。つまり豊璋は最初から意中の人だったのです。

岐は百済からの島流しという口実でその3年前に日本にある目的を持って上陸していました。当時百済からの難民や亡命者が多く、その殆どは不純な目的と解釈され追い返されていたそうです。つまりその時代の大和政権は百済に対しては優位な立場にあって何の義理もなかったと思われます。

という事は4〜5世紀に渡来して崇神王朝の済に入婿したと言われる百済王族の昆支(応神天皇)を祖とする蘇我氏のルーツは、新羅経由の秦氏系である可能性もないとは言い切れません。

あるいは王子の大海人と言う名からすれば安曇氏系なのか?因みに天武天皇の妃の一人は尼子娘と言って海人族(安曇氏系)である事は一目瞭然です。これは天皇系のルーツに関する核心に迫る大問題ですが、解明するには宮内庁という難関が立ち塞がります。

いずれにしても新規渡来人が先住渡来人政権を倒そうとしたのは間違いありません。しかもそれは成功しました。大化の改新と大見得を切るくらいですから大成功だったのです。だからこそ、この二人が百済系新政権(大和朝廷)から大織冠を授かる訳です。

点と線がつながってきました。ところで中臣鎌足は弓の名手だったと言います。しかも藤氏家伝によると狩の途中落馬して重症を負ったと言うではありませんか。どこかで聞いたような話です。

落馬後3ヶ月は生存しましたが、天智天皇から大織冠を授かる1日後に亡くなったと言うのですから、阿武山古墳の被葬者の遺骨の分析結果と見事に合致して来るのです。テニスエルボーはボウエルボーだったのです。

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大化の改新として我々が散々見せられて来た犯行現場イラスト(江戸時代に描かれたというが、事実とは異なるようだ・上の画像参照)を見ても中臣鎌足は弓を持って控えているように見えます。

首を刎ねているのが豊璋(中大兄皇子)で、刎ねられたのが蘇我入鹿大王です。後方に見えるのは皇極天皇と言われていますが、中大兄皇子の母親という触れ込みです。

点と線が繋がり、さらにそれが時空を越え、クリアな面として見えた瞬間でした。渡来人テロリスト藤原鎌足は1353年前に確かに存在していて、大化の改新の功績を認められ大織冠を授かったのは紛れもない事実なのです。この重大発見はなぜか日の目を見ていません。

ところでテロ実行犯の片割れ扶余豊璋ですが、父である武王が死亡し百済が唐との戦いに敗れた後の661年に次期大王を請われて百済に戻っています。それも5000人の大和軍護衛部隊を引き連れてというのですから、その扱いはやはり次期大王級です。

その後豊璋は行方をくらまします。そもそも衰退して周りを敵に囲まれた国の大王になるつもりはなかったのです。高句麗にいたところを唐軍に見つかり、唐へ連行されたという説もありますが、おそらくそれは実兄?で事実は中大兄皇子に成り代わって大和へ戻って来たと思われます。

しかしながら故国への想いは強かったのか、あるいは660年の敗戦で大挙亡命してきた王族、貴族らに押されてか、663年の白村江の戦いに大和から大軍を送る事になります。およそ5万と言われる大和軍を推定千隻の軍船で三波に分けて派兵するのですからすごい話ではないでしょうか。

その当時の日本の人口は400〜500万人程度だと思われますから、今の人口比で言えば25倍、120万に相当します。それらを乗せるだけの船があった事だけでも驚きですが、援軍として海外まで大軍を送って勝てる見込みのない戦争をするというモチベーションが理解不能です。肝心な支援先の百済には敗残兵しか残っていないのです。

対する唐・新羅連合軍は18万とも言われますが、水軍は七千人程度と大した数ではなかったようです。それにも拘らず、突撃しか能のない大和軍はたちまち400隻余りを失いあっさりと敗退する事になりました。

その責任はもちろん後の天智天皇である中大兄皇子にありますが、唐からの追求を逃れるために烽火・防人を設置し太宰府には水城等、大規模城壁を築いた事は歴史的事実として今も残る遺跡が証明しています。

長くりましたので続きは次回とさせて下さい。

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2022年6月27日 (月)

いまだによく理解されていないお金の話

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

 
 先日ある陰謀系サイトを見ていたら、おかしな事が書いてありました。日本政府はコロナ禍の2年間で100兆円をゆうに超える莫大な赤字国債を刷りましたが、そのツケは必ず国民に回ってくると言うのです。

借金で首が回らなくなった政府は、最終手段として預金封鎖をするだろうと言うのですから穏やかではありません。そんな事をされたら皆餓死してしまいます。(笑)

物とサービスの供給が出来る限りそんな馬鹿な事は起こさないし何の意味もないのですが、その理屈が分からない人たちが大勢いて、相変わらず預金封鎖が大好きなようです。

もしそれが可能として、ではどういう機序で起きると言うのでしょうか。不毛な話ではありますが、一応考えてみたいと思います。

まず、国民の持っているお金マネーストック(M3)の残高ですが、5月末時点で1558兆円あります。簡単に言うと銀行預金と現金の残高がそれだけあるのですから、1000兆円以上あると言われる国の借金は、それで返済可能に見えます。

次にマネタリーベースと言われるお金ですが、日銀当座預金残高が560兆円、日銀券発行残高が120兆円で合計680兆円になります。

ここが混乱する原因と思われますが、政府が手を突っ込んで取れるお金は、この680兆円だけなのです。という事は1000兆円以上の借金をチャラにする事は現実には出来ないという事です。

なぜなら我々が持っている通帳の残高は単に銀行の負債の記録に過ぎず、それを担保するものは銀行が持っている債権(貸出証)のみだからです。政府がその債権を取り上げても、マネタリーベース残高以上の金額にはなりようがないのです。それこそただの紙切れです。(笑)

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(信用創造「貸出」とは、無から有を生み出すから創造なのだ。だから返済で消えていく。)

もし銀行預金という制度がなく、お金が全部ゴールドなら国民の持っているお金を全て奪う事は可能ですが、管理通貨制度の今は銀行が創造する通帳に印字されただけの架空のお金が大半になるので、そもそも取り上げる意味が無いのです。

つまり、取れるお金は全て自分が発行したものなのに、それを全て取り上げるというのは自己矛盾以外の何物でもありません。預金封鎖が好きな人たちは、そのお金はどこから来たと思っているのでしょうか。

という事は、お金が欲しければまた自分で刷ればいいという事になります。つまり国債発行です。これが主権国家に認められた通貨発行権なのです。その国債を日銀が買った時点で本物のお金(マネタリーベース)になります。

でもこれまで、これをいくら刷ってもインフレにならず、経済が良くなる事もありませんでした。だから本物のお金である筈のマネタリーベースこそ絵に描いた餅という事になります。

ややこしい話ですが、銀行が作った架空のお金に過ぎない国民の通帳残高こそが経済発展に寄与するのです。だからコロナ禍であろうが何であろうが、マネーストックを増やしたというのは正しい政策と言えます。

後はそれが使える環境を整えるだけなのですが、どうも偏っているようで一般庶民のところに来ていないのが問題です。まあでも長い年月をかけて、そうなるように仕組まれてきた感は否めないので、正常化は程遠いと思われます。

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 (欧州連合(EU)が、暗号資産・ブロックチェーンとりわけステーブルコインに関する規制の枠組みを、2024年までに整備する方針であることを明らかにした。日本も24年に新札が出てくるが、何か関連があるのか?)

ついでに基軸通貨の話もしておきます。これもよく勘違いしている人がいて、日本円はドルやユーロに比べて世界での流通量が少ない、つまり円の価値は大した事がない証拠だと言うのです。

頭が痛くなります。(笑)なんでそんなに円を流通させたいのか分かりません。基軸通貨になれば何かいい事でもあるのでしょうか?何でも買えるようになる?

いや、別に円で買えない物など世界にはありませんし、それで困ったと言う話も聞いた事がありません。中東の石油はドルでしか買えないかもしれませんが、それは米が力でそういう仕組みを作っただけで、特に基軸通貨としてのメリットではないのです。

どうしても円を世界で流通させたいと言うなら、経常赤字国になればいいだけです。米のように毎年巨額赤字を計上していれば世界中がドルを持つようになり、それだけ流通するという訳です。

そんな事に何の意味もないと言うか、それはむしろ米のように政府債務を膨らませるリスクでしかないのですが、円の真の価値がよく分かっていない人が妄言を繰り返します。円の供給量が少ないという事は裏返せば世界にそれだけ価値があるものが少ないという事なのです。

買わなければいけないものが沢山あればあるほど、円を刷らなければいけないし、そうなると流通量は自然に増えます。それは日本が買われることを意味し、グローバル化がさらに進むのです。

日本が低迷した要因の一つにグローバル化があります。グローバル化は富の移動を促し、世界平準化が促進されます。つまり先進国ほど相対的貧困に陥るのは自明なのですが、グローバル化が大好きな人が大勢いるのも日本の弱点です。

今の日本はそのせいで価値の高いものを安く売り過ぎています。最も価値が高いものはその高付加価値を創造する上で重要な生産要素である日本人(技術)と日本の通貨(円)と日本の土地です。

これを外国に安く売る事が文字通り売国で亡国化なのですが、なぜか経団連や政府が一生懸命推進しています。世にも恐ろしい事が普通に実行されているのです。世界統一通貨やデジタル化?金本位性?全く日本には必要ありません。

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2022年6月20日 (月)

天皇家の皇祖神の正体

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

 
 前々回、宇佐神宮に祀られている比売大神は百済系渡来人に滅ぼされた海人族である卑弥呼の事であり、それ故に祟りを恐れた百済系天皇家が手厚く宇佐神宮に祀ったのであって、決して主祭神としての扱いではなかったと書きました。

実際にそういう事を言っている歴史学者もいるので、大した根拠もなくその考えを否定するつもりはありません。しかしながら今回全く正反対の事を言っている識者がいるのを知りました。

そこで早速ですが、この件を掘り下げてみたいと思います。つまり、今の天皇家が主祭神として崇めているのは、ルーツが同じである応神天皇ではなく、比売大神(卑弥呼=天照大神)の方かもしれないと言うのですが、その根拠は何でしょうか。

日本神話によると天照大神は素戔嗚の乱暴な素行に耐えかねて天の岩戸にお隠れになります。その結果世界が暗くなる(皆既日食)のですが、何とか明るさを取り戻したいと願う臣下達が侃侃諤諤一計を案じます。

結論としては天鈿女命の裸踊りを採用するのですが、バカ騒ぎに何事かと顔を出した瞬間、力持ちが天岩戸をこじ開けて天照大神を引きずり出すというシナリオでした。かくして明るい世界が戻るのですが、どこかで聞いたような話です。

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日本語で「隠れる」は皇族の死を意味する場合があるのはよく知られています。つまり、この話はキリストの死と三日後の再臨をイメージさせるのです。再臨の日付も12月25日と暗示的です。そこで考えなければいけないのは、この神話は誰によっていつ頃書かれたかです。

古事記は元明天皇の時代、天武天皇の命を受けた太安麻呂によって編纂された事は分かっています。時期は7世紀後半から準備され712年(諸説ある)に完成を見ました。内容は神話も含めた初代から推古天皇までの天皇家の歴史です。しかしそれは渡来人達が400年以上も昔の出来事を熟知していなければ書けない内容なのです。

さらに言えば、キリストの死と復活劇をも知っていた可能性があります。いくら有名なキリストとは言え、通信手段の貧困な時代、現地とは数万キロも離れているのですから、知っていた人は先祖代々のキリスト教信者か関係者以外には考えられません。

日本で言えば空海のように、海外で修行をしてきた宗教家であれば分からないでもありませんが、古事記編纂に携わった稗田阿礼も太安麻呂も、日本書紀の舎人親王も、また改竄を指示出来る立場にあったと言われる藤原不比等にもそういう経歴はなさそうです。

ところでその空海ですが、遣唐使として唐で仏教を学んできたのは周知の通りです。結果的には真言密教として日本に伝えました。ただ、その真言密教ですが、どうも匂うのです。景教の影響を強く受けているのではないかという説があります。

景教とは当時中国で長安を中心に布教されていた、ネストリウス派のキリスト教の事です。つまり遣唐使として唐を訪れた空海が現地で景教を学んだのだとすれば、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本にやって来る700年も前に、キリスト教は、表向きは仏教として日本に伝わっていた事になるのです。

しかし、記紀が編纂されたのは空海が唐から真言密教を伝える前です。さて、分からなくなりました。(笑)という事は、キリストの話はやはり渡来人自身がよく知っている話かもしれないのです。それも自国の神話に盗用するのですから、また聞き程度とは思えません。

つまり3世紀あたりから断続的に渡来して来た弥生人のルーツは東アジアではないという説が真実味を帯びて来るのです。応神天皇やその子、仁徳天皇の古墳が旧約聖書に出て来る三種の神器の一つであるマナの壺の形をしているのは前回述べました。

さらに伊勢神宮にあると言われる八咫鏡には「ありてあるもの」という言葉がヘブライ語で書かれていて、それはイスラエルの民を従え40年の放浪の旅に出たモーセが、神にその名を問うた時に、神が「私はありてあるもの」と答えたところから来ていると言うのですからびっくりです。

この話は旧約聖書に書かれていて、ユダヤ教徒や原始キリスト教徒はそれをバイブルとしていたのです。ご存知のようにキリスト教はユダヤ教から派生しました。従って三位一体の「父と子と精霊」の子はキリストで、父とはヤハウェを指します。

話は空海に戻りますが、驚いた事に真言密教でも僧侶は袈裟の中で十字を切ると言うのです。それは「父と子と精霊の御名によってアーメン」と唱和しているのではないかと思わせます。やはり空海がネストリウス派キリスト教を学んで来たと言うのは事実かもしれません。

それを裏付ける唄があります。空海によって作られたと言う「いろは唄」には重大な秘密が隠されていたのです。

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最下段を右から左へ読むと「とかなくてしす」(咎なくて死す)と読めます。イエス・キリストは何の罪(咎)も犯さないのに人々の罪を一身に背負って死刑になりました。次に最上段を右から読むと「いちよらやあゑ」(一張羅ヤハウェ)となりますが、これは最高神ヤハウェを意味するのです。

また右上、左上、左下と隅を読んでいくと「いゑす」(イエス)となりますから、この唄はよく出来ています。全てキリスト教に通ずるフレーズなのです。つまり、論理の飛躍かもしれませんが、天皇家の皇祖神である天照大神とは、ひょっとするとキリストと同格の神様かもしれないのです。あるいはキリストそのもの?

さらに真言宗の大日如来、仏教の弥勒菩薩も原点が太陽神で同じとすれば、宗教に関する様々な謎が氷解していきます。各宗教にある再来や再臨、あるいは輪廻転生がキーワードとなるのです。

百済系渡来人扶余や、それとほぼ同族の秦氏、あるいは天照大神をどうしても女神にする必要に迫られた持統天皇が宗像3女神である比売大神(卑弥呼)にキリストのイメージを投影し、隠れた信仰の対象としたのではないでしょうか。だからこそ宇佐神宮を最高格の神社として重用したのです。

ところで宇佐神宮が採用している参拝作法の二拝四拍手一拝は出雲大社と宇佐神宮だけだそうです。諸説あるようですが、非業の死を遂げた神様に対しては通常の二拍手から四拍手になると言うのです。出雲大社の主祭神大国主命は天孫族に滅ぼされ国譲りをしたと思われるので、その考え方に無理がありません。

宇佐に祀られる応神天皇も蘇我氏系と思われるので乙巳の変で継体天皇系扶余族に滅ぼされた経緯があり、やはり悲劇の大王家と言えます。しかし狗奴国(大和)との戦いに苦戦し、その責任を取らされて殺されたと言う(岩戸に隠れた)卑弥呼もまた、非業の死を遂げているのです。

ところで疑問が湧くのですが、同じ天照大神が祀られているという伊勢神宮内宮は二拝二拍手一拝です。さらに歴代天皇のほとんどが参拝されません。なぜそこまで冷遇されるのか謎は尽きませんが、そのヒントは斎宮にありそうです。

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天武天皇の時代に、祟りを恐れる天皇家は鎮魂のため内親王あるいは女王を斎王(巫女)として伊勢に常駐させて奉仕させる制度を確立させました。そのための施設が斎宮で、その従事者が500人という大所帯だったようです。斎王はひたすら祈りを捧げるだけの毎日で、一人の乙女として恋をすることも許されません。

そこまで恐れるというのは余程の事と思われます。しかし、その対象が天照大神というのは解せないのです。自らの皇祖神をなぜそこまで恐れるのか・・穿った見方をするならば、主祭神天照大神というのは隠れ蓑で、実は他の神様なのではないでしょうか。

そう考えた時に、真っ先に思い浮かぶのは百済系天孫族(天津神)に国を譲らされた出雲族の国津神、大国主命です。この神は三輪山の大物主、あるいは神武天皇が大和で滅ぼした元祖天孫族の饒速日と同一人物と言う説があります。それなら腑に落ちるのですが、参拝作法が普通の二拝二拍手一拝なのが引っかかります。

いずれにしても、身内の姫を差し出すのですから、相手は相当な大物である事は間違いありません。伊勢神宮内宮のスケールもそれに見合ったものとなっています。ところで内宮と言えば外宮なのですが、外宮に祀られているのは卑弥呼の跡を継いだ卑弥呼の宗女台与ではないかと言われています。

表向きは豊受大神となっていますが、天照大神の衣食住の世話をしていたと言われているので、卑弥呼に対する台与と考えれば無理はありません。では内宮外宮はその通りの組み合わせなのかと言えば、前述のようにそれを否定する説も存在するのです。

台与は卑弥呼亡き後、邪馬台国(倭国)女王として君臨した事になっていますが、実際は不幸な人生を送ったようです。前述の否定説によると二回りも三回りも差がある大国主の妻にさせられたと言うのです。これならストンと腑に落ちます。(笑)

つまり伊勢神宮はいつの間にか大国主と台与のための神社となっていたのです。それじゃ天皇が行かない筈だし、四拍手もない訳です。だって年中、未婚女性である斎王の奉仕を受けて、さらに元愛妻と同居に近い待遇という十分な扱いをしている訳ですから、そこに落ち度はない訳です。

しかしそうなると宇佐神宮の方も考え直さなければならないかもしれません。比売巫女は卑弥呼で決まりだとしても、応神天皇と神功皇后が怪しくなって来るのです。女傑エピソード等でその存在に疑問符がつく神功皇后は実は創作の産物で台与の事ではないかと言う説が頭をもたげて来ます。

もし神功皇后が台与なら、応神天皇とされている祭神はその息子と言うより、夫であった大国主かもしれないのです。しかしそれでは3人とも百済系渡来人の敵という事になります。よく分からなくなって来ました。

この件、もう少し深掘りをする必要がありそうです。いずれにしても簡単に答えが出るとは思えません。確度の高い新情報の出現を待ちたいと思います。

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2022年6月15日 (水)

これだけ痛めつけられても何も変わらない基本的経済マインド

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

 
 保守の人の中に、未だに財政規律を重んじる人や、金本位性に戻る事が正常化に繋がる事だと考えている人が多いのに驚きます。両方ともトンデモ論なのですが、今日はその話題です。

それを話すにはまず戦後の通貨体制の変遷を理解する必要があります。戦前から大戦中を通じて米国の軍事力、経済力が他を圧倒しているのが顕著になりました。そこで覇権が英国から米国へ移され、それに伴って通貨制度が見直される事になります。

いわゆるブレトンウッズ体制ですが、金本位性をベースとして金との等価交換を前提としたドルを基軸通貨とするというものです。その体制ならしばらくは上手くいくのではないかと思われたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。

60年代になると敗戦国で米国から支援を受けていたドイツや日本が頭角を表し、米の産業を脅かし始めます。それが意味するのは米国からの金の流出です。日本やドイツがドルを金と交換してくれと迫った場合、建前上は拒否出来ないのです。

事実米国から金がどんどん流出して、覇権国家としての地位を危うくしました。これに危機感を抱いた米がとったのは突然の金本位制の廃止です。ニクソンショックと言われていますが、金との交換を前提としない管理通貨制度への一大改革が行われたのです。さらに為替を固定から変動相場制へと移行させました。

これは貿易強国にとって痛手になる筈でしたが、日本の勢いは止まらず、さらに数々の摩擦を生む事になります。繊維摩擦、家電製品や自動車での摩擦、最後は産業のコメと言われた半導体摩擦です。これら全てで米の言いなりになりましたが、それでも日本の勢いを止めることは出来なかったのです。

80年代からは経常収支は万年黒字で膨大なドル(米国債)を溜め込む事になります。そこで気づけばよかったのですが、日本人は相変わらず逆風に逆らって船を進めました。

つまり一方的に稼ぐという事は他方に赤字国を作るので持続可能ではないのですが、戦争に負け、資源もない貧乏国という先入観に囚われた日本人はそこまで考えが及ばなかったのです。

業を煮やした米は85年にプラザ合意で、段違いの円高を日本に呑ませるという暴挙に出ます。それに続くバブルの醸成と崩壊にも米が関わった事は想像に難くありません。

さらに年次改革要望書などで一方的内政干渉は続き、日本の息の根は止められました。失われた20年、30年は米に再び戦い(覇権闘争)で敗れたことを意味します。

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(日本経済はなぜ殺されたか)

そこで日本がとった行動は対外直接投資です。米などの対日貿易赤字国へ直接投資をして現地で生産をすればドルが出ていく事はありません。さらに雇用を生み、周辺産業を活性化させ、技術移転まで起こるのですから相手国にとっては笑いが止まらないのです。

一方の日本側の利益はと言うと、現地での利益の一部を特許料などの名目で還元するくらいです。それでも当該企業にとってはメリットがあったのです。量産効果もあって、黒字を積み重ねる事になります。今や日本全体で450兆円もの内部留保が積み上がっていますが、企業にとっての勲章と言えるでしょう。

しかしながら視点を変え、日本という国家に対してのメリットがあったのかと言うと甚だ疑問なのです。国内の並み居る優良企業が国際競争力を保つために人件費を増やさず、さらに協力企業には値下げ圧力をかけるという愚挙を、輸出量を自主的に制限してからも続けました。

これではデフレが終わる訳がありません。最も稼ぎの良い=生産性の高い企業の給料が上がらないという事は、それより生産性が低い裾野産業では負のスパイラルが起き、不正規従業員の増加もあって年々給与所得者の収入が減っていったのです。その当然の帰結として円高を招き、株安が続く事になります。

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そこに颯爽と登場した第二次安倍政権ですが、それを打開すべく、三本の矢という経済対策を打ち出したのです。具体的に言うと異次元の金融緩和、機動的財政出動、成長戦略です。これによってマネタリーベースは飛躍的に増えました。

ところが肝心な銀行からの貸し出し残高は増えず、財政出動も期待したほどの額ではなかったのです。これでは片手落ちです。意味不明な成長戦略は最初から期待していませんが、肝心要の財政出動がこの様ではどうしようもないのです。

株高だけは実現しましたが、経常黒字でせっかく溜め込んだ外貨流出を招き、相対的国力の低下を招きます。外国人投資家によって起きた巨額キャピタルロスが、いたずらに招いてしまった円安で見えにくくなるというおまけ付きです。

この時点で、この政策は確信犯的なものだった事に気づいた人は多いのではないでしょうか。つまり、日本の成長を望まない国がいて、アベノミクスはその国に忖度した政策であった可能性が否定出来ないのです。

 そこで今回の超円安ですが、実質実効為替レートとの乖離が広がる一方です。しかしながら全く意味のない財政規律を重んじ、貿易黒字という円高要因を自ら放棄した日本には最早なす術がありません。いや、実はない訳ではないのです。海外への投資を引き上げるだけで、相当な効果が期待出来るのですが、企業にそれを強いる事は出来ないのです。

むしろ、国内需要が頭打ちの企業は外へ出ようとさえするのです。先頃発表された、いすゞ自動車の対外直接投資もその現れと思われます。金額は決して多くはありませんが、対外投資は円安要因です。この時期、相手国の民度も考慮すれば、〇〇へ捨てるよりも悪い効果が国としての日本にある事は自明です。

日本のような経済先進国においては企業の利益と国益は必ずしも一致しないという事実を周知させなければ日本は沈んでいく一方です。それでメリットを受けるのは、日本を敵視している国も含め、日本以外の国全てである事を認識しなければなりません。

日本にとってグローバリズムとは毒であって、治療薬でも予防薬でもなく、栄養剤とさえも言えないという事を知るべきです。むしろ時限爆弾となって次々と国内産業を破壊していきます。まるでコロナに対するmRNAワクチンのように。。

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2022年6月 3日 (金)

天皇の血統(万世一系は事実か)

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

 
 天皇家の起源は記紀によると神武天皇が即位した紀元前660年(皇紀)とされていますが、それはなさそうです。初期には在位期間がやたらと長い天皇(存在が疑われる)が数多くいて、意図的に伝統ある古い国と見せかけた節があります。記紀が編纂された当時の大国であった唐に対して見栄を張り、対等に接しようとしたからなのかもしれません。

戦後調査したGHQは仁徳天皇以降が史実で、それ以前は神話と決めつけています。戦前は盛んだったと言われる「日ユ同祖論」に関する文献をことごとく焚書にし、仁徳天皇綾や剣山まで調査の手は及びました。日本人の祖先がスファラディ系ユダヤである事が、アシュケナージ系ユダヤと言われる米指導層にとって余程都合が悪かったと見えます。

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(天武天皇の命を受け、藤原不比等が編纂したのが古事記と日本書紀〜勝者の歴史書か)

いずれにしても、天孫降臨はそんなに古い話ではありません。天地創造の昔のような錯覚を抱かせますが、大陸から徐福が来日したBC2〜3世紀頃に重なるのです。この時に縄文系である出雲族から国譲りをされて、日本に統一国家(邪馬台国)らしきものを作ったと思われます。天照大神(最初は男神)のモデルは徐福集団の中にいたとしても不思議はないのです。

ところが歴代天皇は主祭神が天照大神である伊勢神宮に参拝しないと言います。八幡総本宮である宇佐神宮に対する対応、姿勢とは大きな差があるのです。この時点で万世一系に疑問符がつきます。 邇邇芸や天照大神を皇祖として認めていない事になるのです。

その宇佐神宮には応神天皇とその母君神功皇后(女傑)が祀られていますが、もう一人祀られている比売大神との関係がよく分かりません。比売大神は近年、卑弥呼、あるいはそれをモデルにした天照大神だとも言われていますが、それなら尚の事、三人を並べて祀る意味が分からないのです。

なぜなら3世紀頃、朝鮮半島(百済)からやって来た渡来系である応神天皇側が卑弥呼の邪馬台国を滅ぼした(あるいは乗っ取った)のではないかと思われるからです。

ただ、祟りを恐れた応神天皇の子孫が卑弥呼の霊を鎮めるために一緒に祀ったとすれば、祟りを信じていた当時としては十分あり得る話ではないでしょうか。第一殿の応神天皇と第三殿の神功皇后で両側から第二殿の比売大神(祟り神)を挟んで封じ込めるような形になっているのは、その証と思われます。

因みに伊勢神宮を参拝したのは持統天皇と明治天皇だけと言われていますが、明治天皇の場合は政治的意味合いが強いと思われます。現人神として軍国主義を進める上で、色々な意味での神格化は必要だったのではないでしょうか。

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(天皇家の起源に関しては記紀よりもウエツフミの方が詳しく書かれていると言う。ウガヤフキアエズ王朝の記述は記紀にはない。)

縄文晩期〜弥生時代にかけて日本に渡ってきた弥生系集団は大きく分けて三集団あります。そのどこかで天皇の血統が入れ変わっていても全く不思議はありません。

第一弾は前述の徐福(道教の方士)グループです。不老不死の薬を探しに行くと秦の始皇帝を騙し、紀元前2〜3世紀頃、最初は若狭湾、次に北九州と二度に渡って、計数千人の単位で上陸しました。技術者グループと成人前の若い男女が中心だったと言われています。

吉野ヶ里環濠集落を築き、周りを制圧していった彼らこそ邪馬台国(実は倭国)卑弥呼の祖先と思われます。そのヒントは卑弥呼(姫巫女?)が行なっていたという鬼道(一種のシャーマニズム)です。道教もまた鬼道がベースで秦の前身と言われる殷時代に盛んに行われていたと言うのです。

第二弾は3〜4世紀で、その最も多いグループは新羅経由で集団帰化した秦氏です。秦の始皇帝の末裔を自認し、土木、養蚕、機織り等の技術者集団でした。馬を初めて日本に連れて来たのも彼らだと言われています。

政権中枢に近づいた彼らは平安京の立役者で、日本全国に当時現存在していた神社乗っ取りも含め 8万もの八幡神社、稲荷神社を建立しました。空海も秦氏ではないかと言われていますが、神仏習合を推し進めたのが秦氏かもしれません。

景教徒(ネストリウス派のキリスト教)であった彼らは日本の神道がユダヤ教をベースとしている事に気づき、宗教的に争う意味がない事を悟ったのではないかと思われます。神道も仏教もイスラム教もキリスト教もユダヤ教の影響を強く受けたと言う説を否定する根拠を見つけるのは困難です。

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(ユダヤ教のシンボル、6芒星はダビデの星、籠目マークでもあり、かつて伊勢神宮の灯籠に刻まれていた。)

第三弾は日本存亡の危機となった663年の白村江の戦い前後に百済から大量にやって来た騎馬民族扶余で、侍の原型がこの時形成された可能性があります。彼ら(中大兄皇子こと扶余勇、中臣鎌足こと扶余豊璋)が645年に大化の改新、乙巳の変を起こし、蘇我氏や聖徳太子一族を滅ぼしました。

扶余のルーツはユダヤ人と同化した獰猛さで有名な騎馬民族スキタイで、これが東大、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」の根拠とされています。右翼が嫌いますが、その可能性は高いです。因みに天智天皇の弟とされる天武天皇の時に天皇という呼称に変わりましたが、その前は大王でした。

大和から日本という国名になったのもこの前後だと思われます。扶余が百済にいる時代に朝鮮半島を指して「日が昇る国」と中国から呼ばれていたそうです。唐と新羅の連合軍に敗れた百済(扶余)が同族が待つ日本を次の居住地と定めた事に特に違和感はありません。

 さて、現在の天皇家ですが、明治維新でそれまでの北朝の系統からすり替わったという説が有力です。長州の下級武士だった南朝の末裔、周防国熊毛郡田布施郷出身の大室寅之助は同じく田布施出身の伊藤博文らによって担ぎ上げられ明治天皇となります。正統とされる北朝の孝明天皇の皇子である睦仁親王とは顔も体(大男)も似ても似つかなかったと言われているのです。

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(南朝の末裔と言われている明治天皇こと大室寅之助)

これ以降、日本は田布施出身の政治家によって統治される事になります。最近では安倍晋三氏が山口県の田布施町出身です。天皇家と安倍晋三氏の関係は驚くような事実があると言われていますが、確かな情報とは言い難いので今回は触れません。

ところで、大室寅之助が南朝、後醍醐天皇の末裔と思われるのは、皇居前広場に北朝から見れば国賊である筈の南朝の忠臣、楠木正成像が設置されている事によります。江戸遷都も、すり替わりの事実を隠すためと考えるのが妥当です。明治維新、東インド会社(英国)傀儡のクーデター政権としては操りやすい国家の象徴としての天皇が必要だったのでしょう。

ただ今上天皇が本当に後醍醐天皇の血を引いているかどうかは調べようがありません。(利権集団である宮内庁が許さない)日本人としては信じていた方が何かと好都合かもしれませんが。

まとめ

徐福の血が、一説によると縄文系とさえ言われる今上天皇まで続いている可能性は低いです。裏の建前としては応神天皇あたりから血が繋がっているとしたい?のかもしれません。なぜなら、崇神天皇、応神天皇、さらに初代と言われる神武天皇は同一人物である可能性が否定出来ないからです。時期と行動、人物像が重なります。しかし、これも大化の改新で寸断された可能性は否定できません。

しかしながら徐福も秦氏も、あるいは扶余にしても、そのルーツはシュメール(メソポタミア)に繋がる可能性は高いのです。なぜなら初代である神武天皇を「カムヤマト・イワレビコ・スメラミコト」と言った事に対し、この三集団とも抵抗している痕跡がないからです。

 歴史の表舞台から忽然と姿を消したシュメール人は、エジプトを経由しモーセに率いられ長い放浪の旅の後、エルサレムに辿り着きイスラエル王国を建国しました。その後、神の怒りに触れ?権力闘争が起き北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれる事になります。

しばらくは繁栄を謳歌したようですが、アッシリア、バビロニアに滅ぼされた後アケメネス朝ペルシャのキュロス二世(八咫烏のルーツか?)によって解放されます。しかし、その後の行方が分かっていません。失われたユダヤの12支族は、おそらく旧約聖書の予言に従って、東進を続け日本にまで辿り着いたのではないでしょうか。

その約束の地(日本=ミズホラ)に降り立ったそれぞれの集団には末裔がいます。徐福集団は物部氏や海部氏として存在感を示し、のちに秦氏と同化(擬態か?)していったのです。言葉が通じたという、その3グループの人達が自分達のルーツを知っているからこそ、記紀の時代に定められた初代天皇の呼び名に異論を唱えなかったのです。

「カムヤマト・イワレビコ・スメラミコト」の意味はヘブライ語で「神の民の上に立つユダヤの第一王子でシュメールの尊い人」です。(諸説あるが大差ない)つまり個人レベルはともかく、民族的な意味での血は継承されているのかもしれないのです。

因みに伊勢神宮には三種の神器の一つ、八咫鏡が祀られていると言いますが、そこには「ありてあるもの」とヘブライ語で書かれているそうです。それはモーセが神に名を尋ねたところ、私はありてある者だ、と答えた事から来ていると言います。

一般的に神はヤハウェという事になっていますが、どちらも固有名詞ではありません。なぜなら神は人格ではないからで、全てのものに宿る抽象的な存在だからです。

 また前方後円墳と言われる応神天皇陵、仁徳天皇陵は旧約聖書に出てくるイスラエルの三種の神器の一つであるマナの壺の形をしています。マナ(マンナ)とはマンマ、つまり食料のことで、籠目神社か伊勢神宮外宮にあるとされる真名之壺、さらに伊勢神宮外宮 の主祭神である女神、豊受大神(食料、穀物を司る)に繋がって来るのです。

 蛇足になりますが、Y染色体ハプログループを調査した結果、1世紀あたりからD1b1a2が優勢となっているようです。6世紀以降はO 1b 2a1a1が優勢になるのですが前者が天之忍穂耳命、つまり事実上の皇祖(徐福Gの誰か)で後者が藤原氏ではないかと言われています。

 10世紀あたりからは再びD1b1a2が優勢になりますが、天皇家がDNA上でも捲土重来を果たしたのかもしれません。これが事実なら万世一系の根拠にはなり得ます。全てはあくまでも仮説に過ぎません。

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2022年1月 1日 (土)

太陽、西から昇る(令和4年元旦)

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---ワクチンを打つ打たないを決めるのは個人の権利---

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 新年明けましておめでとうございます。

 新年早々言い訳になりますが、ダラダラと続く偽パンデミック騒ぎに嫌気がさして、このところアップの間隔が空きがちです。期待して来ていただいている方には大変申し訳なく思っております。

にも関わらず多くの方のご支持をいただき順位だけは比較的高位置を維持しています。かつては見られなかった現象です。それだけ世の中の異常さに気がついている人が多いという事でしょうか。

いずれにしても時期が時期なので読者の方との情報共有は非常に大切だと思っております。諦めずに出来る限り書いて参りますので、気長にお付き合いいただければ幸いです。そういう訳で本年もよろしくお願い致します。

 イラストのストーリー(クリスマスからの続き)

  さて、クリスマスのデリバリーが終わった美女サンタですが、さあこれからバカンスだと盛り上がった矢先、急な仕事が舞い込みました。それは勤務先の奇志田社長からで、急遽10万円のデリバリーをしてくれと言うではありませんか。

 現金か、あるいは一部クーポンかで揉めていた件が、なぜかここにきて急に現金一本に絞られたと言うのです。しかし困っている人には年内に届けられません。そこでクリスマスに大活躍したドローンに目がつけられたという訳です。

 ドローンでお年玉、という形で給付すれば奇志田社長の人気は急上昇するでしょう。彼の頭の中はそれしかないようです。妬ましく思っている高意思サンタリーダーに美味しい役を持って行かれるのは癪ですが、背に腹は変えられません。

 しかし問題がありました。多くの子持ち家庭に届けるには札束では重すぎます。第一そんな嵩張るものは積めません。そこでリーダーは一計を案じたのです。「そうや、打ち出の小槌にすればえ〜のんとちゃう?」

 一回振れば10万円金貨がポンと出る打ち出の小槌を用意すれば問題は解決します。それが出来るのは奇志田社長の背後にいて、いつもひそひそ話を聞かせているという霧深い奥の院の親分、人呼んで「迷子の虎」しかいません。

 リーダーは早速直談判に行きました。そうしたらなんと親分は「やってみなはれ。但し、虎柄スーツを着て配るのが条件や」と言って気前良く打ち出の小槌を貸してくれたのです。これなら奇志田社長の借金にはならないのでいくらでも配れます。

 大阪出身のリーダーは虎柄には少し抵抗がありましたが、個人的趣味より仕事優先と割り切り、意気揚々と新年の空に飛び立ちました。ところがよく見ると、なんと初日は西から出ているではありませんか。

 リーダーはその時ハッと気がついたのです。「なるほど、ボロナ以降、世界で起きている事象は太陽が西から昇るほどありえへん話なんやわ」

そんな、ありえない話が飛び出す新年は、危機感のまるでない国の、ありえない近未来を象徴しているようで、複雑な気持ちになるリーダーでした。

 ボロナ収束を、やはり手放しでは喜べそうもない今年ですが、こんな時こそ団結が大事です。大和民族直系の皆様、今年こそ和をもって尊しの精神でいきましょう。よろしくお願い致します。


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