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2008年6月 3日 (火)

日本の美学

ある集まりで建築物の話になりました。ヨーロッパの昔の建築物は凄い、特にバチカン市国のサンピエトロ寺院はスケールが半端ではない、またノートルダムや、ミラノのドゥオーモも素晴らしい、ヴェルサイユ宮殿は華麗さという点で群を抜いている等々です。

おまけにヴェルサイユ宮殿の庭は圧倒的なスケールと景観を誇っています。全く間違いありません。私も若い時にそれらを見る機会があり圧倒されたものです。

日本の代表的巨大建造物、東大寺大仏殿(PHOTO)や大仏でさえ、欧州のそれらと比べれば迫力に欠けるという見解の人は多いようです。しかし単純比較していいものかどうか、私の中に逡巡するものがあります。

Photo

数年前、夫婦で京都に小旅行した事がありました。多くは回れないので、的を絞ったのですが、その一つ、醍醐寺に行った時の事です。

敷地こそ広いものの、大きくない建物、一見地味な全景に、実はあまり期待していませんでした。(PHOTOは醍醐寺、五重塔)

三宝院の表書院に入り、狭い廊下を歩いて角を曲がった私の目に、見た事のない世界が、バーンと音をたてて飛び込んで来たのです。それは一瞬息を飲む絶景でした。

Photo_2

巨大な長方形のキャンバスに描かれた絵画のような華麗な庭園は、人工物と自然を凝縮したものとの融合とでも言うべきでしょうか。庭を見る為に作られた広く長い廊下にたたずみ、時空を超越した世界観を目の当たりにして感無量としか言い様がなかったのです。

朝夕の時間の経過、また季節の移り変わりと共に、その景観は様々な色彩と形態を見せる事は想像に難くありません。この知的創造物は、これまでの、私の秀吉に対するイメージを大きく覆すものでした。

空と建物も一体化したダイナミズム、バランスの繊細さ、憎らしい程の緻密な演出は最高レベルの芸術と言えるでしょう。

それは人を威圧したり、スケールに価値を見いだすことではなく、自然と共生し、価値を質に求める日本文化の普遍的先進性以外の何ものでもないのです。

大きい事や高い事、人工美に価値を見いだす文化とは異質ですが、これからの地球に求められるのはどちらなのか、答えは明らかではないでしょうか。


 



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コメント

京都の町も、平安京であった頃は、広大な大内裏から100m以上の道幅の朱雀大路が羅城門までまっすぐ南北に通り、今の上京はすべて皇室の園林であり、左右対称を基本とした整然とした都の偉観はベルサイユの街のスケールをはるかに超えるものでした。

その後、日本の美学や環境形成が非対称で小規模なものに変わってきたのは、公式のフォーマルな美的コードが、集権的な中央政府が衰退し、非公式な私的権力に何度も取って代わられると共にした現象と思われます。

もともと日本は各地域の有力な大豪族氏族の連合体でしたから、大規模で一律の統一規格的な物質文化は実体的根拠が薄く、永くは維持し難かったのでしょう。

投稿: しげ | 2017年3月24日 (金) 13時31分

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