イチゴ白書をもう一度(1)
ブログの読者の方からデジアートの方にコメントをいただきました。一部を紹介すると「昔の若者はヘルメットかぶって、体制に抗議したのに、今の若い者は何もしない。老体に鞭打って、日本の”おかしい”に抗議デモするか!」というものです。
私が時々書いている社会の矛盾指摘的な記事に賛同してもらってのコメントなのですが、懐かしい言葉が沢山出てきています。“黄色いヘルメット”“体制”“抗議デモ”全て死語になりつつある言葉ばかりです。
そう言えば、我々が学生の頃は学生運動花盛りで、連日メディアを賑わしていたものです。主に政治的な活動だったのですが、一定の問題提起効果はあったのではないでしょうか。
最後は行き過ぎて自滅していく形になりましたが、程よいところで止めておけば現在の体たらくはなかったのではと残念に思います。
私はと言えば、当時から善意の傍観者としてのスタンスは不動のもので、デモをやるような暇があったら絵を描いていました。全く無関心という訳ではなかったのですが、マルクス レーニン主義を理想とする中途半端な革命思想にはついていけなかったのです。
それにあまりにも活動自体はラジカルでした。すぐに実力行使に訴える姿勢からは建設的なものは汲み取れません。友人に何度も誘われましたが、活動に参加する事はなかったのです。
一時キャンパスが機動隊によって封鎖される事があり、何百名もの機動隊が楯を持って警備する中を歩いた事がありました。あまり気持のいいものではなかったのです。今はもう全てが懐かしい思い出となりました。(続く)
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