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2008年8月15日 (金)

神聖喜劇(2)

その中で、軍隊では上官に対して「知りません」という事は一切言えなかったと言うのです。その場合「忘れていました」と言わなければなりません。「知りませんでした」と言えば、責任が教えていないかもしれない上の者に及ぶ可能性があるからです。行き着くところ、やんごとなき存在にまで及び得ると言うのです。

なるほど上の人間にとって「忘れていました」と言わせれば、全て責任は部下にある事になります。これは非常に都合がいいのではないでしょうか。こういう自己矛盾型無責任体質が軍全体、いや日本の公的組織全体にはびこっていたとすれば、戦争に勝てる筈がありません。

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その体質は戦後60余年の歳月を経ても基本的に変わる事なく連綿と引き継がれているのではないかと危惧しています。孔子の「寄らしむべし、知らしむべからず」の間違った解釈がまかり通り、国民に情報は与えるべきではない、さらに知らないのは国民のせいとばかりに自らの責任を放棄しても、高度経済成長と忍耐強い国民性が糧となって厚顔無恥な無責任体質はぬくぬくと延命して来たのではないでしょうか。

奇しくも若い女性が言った「知りません」と、軍隊で新兵が「知りません」と言った言葉の意味は、全く背景が異なる事を理解すべきです。新兵は知りたくても情報を与えられていなかったのです。

片や自分を守る為の知る権利があり、巷に情報が溢れていて、その気になればかなりの事を知る事が出来る環境にいながら、不条理にも興味がないからとそっぽを向く、平和も半世紀続けば人はそこまで無防備になるものでしょうか。

勿論言論の自由と基本的人権は保障されています(筈です)。知りたくない人に知る事を強要する事は出来ませんが、知りたくなる空気を作っていく事は可能なのではないでしょうか。この場合むしろ大人の方の自覚が待たれます。子供達の為にそろそろ重い腰を上げなければ取り返しのつかない事になりかねません。


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