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2008年8月 1日 (金)

生息密度

ネズミが群れをなして海に入り込んでいくシーンが有名ですが、生物は自分たちの生息出来る限界を超えると数量の調節を自動的に行なうのだそうです。その限界点をを生息密度というのですが、日本では鹿のおかしな行動や肝臓肥大で知られています。

人間に置き換えると怖い話(ハプニングのような)になるので、あまり言いたくないのですが、人間と言えども数が増えすぎると当然生息密度を超えるのです。

自然界的に言えば既に越えているのかもしれません。ところが人間には知恵があるので食べ物を自給したり、コミュニティを作って助け合う事でカバーして来た可能性があります。

だからと言って無限に増え続ける事は人間にとっても地球にとっても好ましい事である筈がないのです。何事にも限界があり、それを超える事は物理的に出来ないからです。人間が知恵によって生態系上の本来あるべき数を既に越えているとすれば、皺寄せはどこかにいっている筈なのです。

今言われているエネルギーと環境、食の問題は、まさにその皺寄せの結果と言えるのかもしれません。知恵で道具を作った時点が破滅の始まりで、人類に飛躍的な利便性と文明をもたらした産業革命がそれを加速したのであれば、何と皮肉な事でしょう。

もしこれから10年以内くらいの間に今問題となっている各分野で飛躍的な進化がないとすれば、人間が贅沢を諦めて自然に帰り、全ての量的なものを地球と折り合える点で抑える事が出来るか、それが出来ずに地球には不要の生物として駆除されるのか、二者択一を迫られるでしょう。

我々の採る道は一つしかないのですが、やはりここでもエゴがその障害になるのでしょうか。いずれにしてもいばらの道しかなさそうです。


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