禁発豚野郎
日本の教育現場がおかしいと言われて久しいのですが、またまた問題を投げかけた事件が再燃しています。例の豚ちゃんの騒ぎです。と言っても金髪豚野郎の話ではなく、ペットのように飼っていた豚を食えるかという話です。
金髪の豚野郎が食えるかどうかはともかくとして、世間の耳目を集める意味で小朝氏は泰葉さんのユーモアセンスに感謝しなければならないかもしれません。それにしても豚、いや人を食った話ではあります。
横道にそれましたが、小学生に、あたかもペットでも飼うように豚の飼育をさせておいて、大きくなったら食べるかどうか選ばせるというのはどうなんでしょうか(?)
ペットはあくまでもペットですから食べる対象になる筈がないのです。飼育という意味でも、食用豚や食用犬(海外)を飼育しているところは自分達では食べないのです。ありえない前提で子供を悩ませるというのはよく理解出来ません。
こんな難問を突きつけられると、大の大人だって悩んでしまいます。と言うか、答えは最初から決っているのです。食べようという答えが出た場合、先生は食べさせるつもりだったんでしょうか(?)それはそれで勇気ある行為とイギリスあたりから讃えられるかもしれません。
結果的には子供達が良識ある考えを示し、最悪の事態には至らなかったようですが、一歩間違えば全く違う展開になったかもしれない危険な賭けでした。それにしてもそのペットの豚を食肉処理場に送る決断をさせたという事は、はっきり言って異常です。
負う必要のない傷を感受性の強い子供達の心に残した事は想像に難くありません。この先生はその行為と結果について、未だに正しかったかどうか分からないと言っていますが、そんな無責任な事が許されるのでしょうか。教室は教育の場であって、人間の実験場ではないのです。確信を持てない事を個人的興味で試されたのではたまったものではありません。言わば禁じ手を発する豚野郎先生は教師失格ではないでしょうか。
学校では大人でも経験しない過酷な試練を与えるより、人間の大人社会の厳しさを少しづつでも教えた方がいいのではないでしょうか。お手々繋いでゴールインしても、社会に出た途端、厳しい差を見せつけられる訳です。ちゃんと教育されていない子はそれを社会のせいにしてしまいます。秋葉事件はこれっきりにして欲しいのです。
教育現場でやるべき事は他にもっとある筈です。日本の将来を憂う中山元大臣の気持が痛いほど分かるような気がします。
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