ガルーダ(3)
それから10数年後、相模湾を疾走する1艇の25フィートクラスクルーザーのアッパーデッキに、初島に向けて操縦する私がいました。仲間を乗せての日帰りツアーです。
独立して間もなく、バブルの波に乗って経営は思いの外順調でした。少人数のファブレスは効率よく大きな仕事をこなしていたのです。やがて自動車の他にもモーターボートや船舶デザインの仕事も来るようになります。スタッフに対して海洋レジャー教育をする必要性が生じたのです。
そこで中途半端だったガルーダ時代の続きをやりたいという気持ちもかねてからあり、思い切ってクルーザーを購入をする事にします。幸運にも開業間もないマリーナが家からすぐの所にあり、イニシャルコストもリーズナブルだったので事はスムーズに運びました。渡りに“船”というやつでしょうか。
最初の頃は、あそこに行って、ここにも行ってと夢が膨らみました。乗船希望者も後を絶ちません。得意になって走らせていたのですが、すぐに壁に突き当たります。
まず、行き先の受け入れ港が極端に少ないのです。どこかの入り江に停泊してのんびりする事も考えましたが、皆、揺れに対して思いの外弱いのです。メンテナンスにも時間を割かれます。更にアメリカ製のV8エンジンは燃費が悪く、クルマ風に言えばリッタ−1キロくらいしか走りません。
常に命の危険と隣り合わせというのも、想像を超えるものでした。ある時は南に向かっている筈が、コンパスは何と北を指しているのです。皆に気づかれないように大きく旋回して軌道修正しました。
またある時は子供と二人で沖に出たものの相模川河口付近の10メーターを超すような大波に大惨事一歩手前まで行きます。限界を感じ、バブルがはじけて本格的な不景気が到来する前に、買値の約半値で売り抜ける事に未練はなかったのです。
4年間くらい保有したでしょうか、何事もなかった事を神に感謝しています。
今、日本もアメリカも世界中が大きなアメリカ製バブル崩壊による金融危機の大波に翻弄されています。帰るべき港の整備が急務ですが、船長が有能で首尾よく帰港出来るよう、神に祈るしかありません。
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コメント
ふと何気なく当時のガルーダの記述がネット上にあるものかどうか検索してこちらに伺いました。興味深いお話で大変有意義でした。ありがとうございました。ガルーダシリーズではカタログ用の撮影まで済んでいながら販売に至らなかったMV-20の個体がその後どうなったのか知りたいのですが、ご存知でしょうか?
投稿: あぷ | 2009年11月23日 (月) 22時12分
私はMV-20を担当していませんでしたので、詳しい事が分かりません。
今週末いすゞデザイン部のOB会があります。当時の上司が出席すれば話が聞けるかもしれません。
投稿: 田中 徹 | 2009年11月23日 (月) 22時54分
ひさしぶりに伺いました。最近はウェイクボードで小型のランナバウトにニッチな注目が集まっていますが、レッドやライムグリーンのMV-16?が現在にタイムスリップしてきたら当時とは違った評価が出るかもしれないですね。
投稿: あぷ | 2010年1月 8日 (金) 10時39分
ヨットの思い出・・①私が川崎にあった音響メーカーに勤務していた頃、時々横浜のヨットハーバーに隣接していた駐船場?にて製作(建造)中のトリマラン型のヨットを見に行っていました。見に行く度に少しずつ出来上がっていくのですね。但し人影はいつも無かったので、どういう人が関わっていたのか不明です。数ヶ月間訪れなかったある日、新聞に太平洋上で手造りのヨットが遭難行方不明・・・との記事を見つけ、ショックを受けましたっけ。同じ様な夢を見た仲間を失ったのかも知れませんから・・・船名はPathfinder号。
②後年友達同士で1万円ずつお金を出し合ってド中古のヨットを購入、毎年の夏、荒崎の商船学校の訓練施設の隅っこにド中古を置かせてもらっていました。幸運にも石坂浩二さんがチョッと顔見知りになった私たちの写真を撮ってもらった事もありました。気さくで気持ちのいい人ですね。セールがぼろぼろで、ゲラゲラ笑っちゃう程のつぎはぎだらけだったので、自分たちの船が沖合いのどこにいるのか一目でで判るところが返って便利!?
・・・ある日、漁船が返れ帰れと合図をくれましたが、波は静か風もOKと思って何時ものように灯台をぐるり回ってくることにしましたが、湾から出たとたんに海からの風が強烈で船が半分水中に漬かりながらタックを試み30回目でようやく陸に向かう事が出来ました。普段会社のデザイン室での凄いと感じていたストレス・・・それの10倍以上の怖さを味わってしまったのです。次の日の会社の食堂のメシがやけにおいしかったのです。あ、俺生きているんだよね!感謝感謝
投稿: Carly | 2012年2月 5日 (日) 21時07分