GMの凋落(1)
GMがスズキの株を手放します。220億円でも現金が欲しい(!)いよいよ切羽詰まって来たのではないでしょうか。売れるものは全て売ってでも、政府の援助が来る(?)までは繋がなければなりません。GMは非常に危険な状態にあると、このブログでも常々言って来ましたが、今日は少しその辺りを掘り下げてみたいと思います。
第二次大戦後ビッグスリーと言われるGM、フォード、クライスラーは目もくらむような大企業で、素晴らしい車を作り続けていました。更にアメリカには4番目のメーカーとしてアメリカンモーターズという会社があったのですが、私などはジャリの頃その個性的なメーカーが大好きだったのです。
1987年にクライスラーに吸収されましたが、ビッグスリーとは趣を異にする、ジープ(チェロキー)や個性的な小型車(ジャベリン等)が売りで、国内外にファンも多かったのではないでしょうか。正に豊かさと、創造性に富んだアメリカ自動車産業は、第一次オイルショックまでは圧倒的優勢を誇り、自動車王国の座は揺るぎそうもなく思われたのです。
1973年に日本でもトイレットペーパー買い占め騒ぎでお馴染みの、第一次オイルショックが第4次中東戦争の煽りを受けておきます。アメリカはこの時点でエネルギー政策の見直しの必要に迫られ、省エネ方向に大きく舵を切る事になるのです。続いて環境汚染問題からマスキー法案が登場、時代は激動期を迎えます。
アメリカは自分でまいたエネルギー、環境問題の種をビッグスリーは刈り取ってくれるものと信じていました。ところが既にトップに君臨して久しいビッグスリーの肥大化し官僚化した組織は、期待に反してその種を刈り取る事が出来なかったのです。更に小型化したアメ車は本来の魅力を失っていました。もっと深刻な事には、誰もそれらの事実を理解していなかったのです。
その結果80年代から日本車の台頭を許す事になります。危機感を持ったアメリカはジャパンバッシングをして輸出を減らすように圧力をかけますが、日本メーカーは何を思ったか時を同じくして一斉に現地生産に踏み切るのです。これによって輸出は劇的に減り、アメリカの雇用を大きく促進したので問題は沈静化したかに見えました。
ところがビッグスリーにとって、それは何の解決にもなっていなかったのです。むしろ日本車がそれまで以上に増え始めたので、本腰を入れて対抗せざるを得なくなります。なんと35億ドルという目もくらむ巨額を投入して、GMはサターンという小型車専門の会社を作ったのです。
日本のメーカーは戦々恐々としてその結果を見守りました。GMが本気で開発すれば、凄い小型車を作るに違いない、日本車のピンチと、その頃は本気で考えられていたのです。1997年意気揚々と日本に上陸したサターンは予想外の苦戦に驚きます。日本の市場を読み違えていたことに気づくまで、多くの時間を要しませんでした。(続く)
(写真はジープ ワゴニア)
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