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2008年11月20日 (木)

GMの凋落(2)

日本車は輸出の場合、相手国の法律、習慣、趣向性を尊重します。決して自分たちの価値観を押し付けたりしません。最近ではデザインでさえ相手国の好みを取り入れる為、現地に研究開発センターを作り、現地人デザイナーが担当したりしているのです。仕様装備をとっても、アメリカではサスペンション(足のバネ)が硬いのは嫌われるのですが、日本より柔らかめに設定されます。

逆にヨーロッパに対してはアウトバーンを走る為に対日本比較で、かなり固めの設定になります。全てその調子で現地販売店が売りやすいように努力を怠らないのです。その結果、現地の人は全く違和感なくそのツール(車)に馴染める事は言うまでもありません。

片や欧米はと言うと、驚くべき事に少し前までは仕向地による設計の変更などは一切行われていませんでした。自分たちが作るものが最高であるという自信がそうさせていたのでしょうか。従って左ハンドルで、走りを優先した車が当たり前のように輸入されていたのです。ナビもなければCDプレイヤーさえない車が、大多数の日本人に受け入れられる筈はありません。販売の為の努力を怠っていたのでは数を伸ばす事などあり得ないのです。

その結果、輸入車の割合は長い間10%を越える事がありませんでした。先進国で関税障壁のない国としては異例です。そこだけをクローズアップして、日本異質論を振りかざされても困るのです。日本人は決して輸入車に対する偏見を持っている訳ではありません。あまりにも異質で使い勝手の悪い外国車に、二の足を踏んでしまうだけなのです。
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勿論一部のブランドイメージの高い欧州製高級車、スポーツカーなどは日本車にないテイスト、デザインという事もあり、根強い人気があるのも事実です。それは価値あるものを評価する目を持っている事の証明になります。むしろ日本で認められるという事は世界で認められる事の証という視点で、日本の市場の反応を見る外国メーカーが増えている事も確かなのです。

GMに話は戻りますが、自動車王国の盟主として長い間君臨したメンタリティは一朝一夕には変えられなかったのでしょう。自分たちの感覚を信じきってサターンを開発してしまいました。致命的なのは日本車の魅力を分析出来ていなかった事に尽きます。

コンセプトメーキングやスタイリング、デザインに力を入れず、材料(新素材パネル等)の開発に莫大な資金を使った結果は3〜5分の一くらいのコストと半分以下の時間で魅力的な車を次から次へと開発する日本車に惨敗したのです。さらにハイブリッドや燃料電池電気自動車開発でも遅れを取っている現状と、金融危機からおこるであろう長期にわたる大不況を考えると、V字回復はとても望めそうもないのです。

非常に残念ながら、強く大きくて、魅力に溢れた恐竜も地球の急激な変化に対応する事が出来ず、姿を消す訳ですが、その教訓から日本企業も学ぶべき点は大いにあるのではないでしょうか。明日は我が身かもしれないのです。
(写真は往年の名車 キャディラック エルドラード)

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