日本ガラパゴス化現象
人に接する時に「すみません」とか「ご免なさい」と挨拶代わりに言う国民は日本ともう一カ国しかないと言います。やはり島国だそうです。あくまでも自分がへり下って相手を立てる精神、それ自体は大変素晴らしい事だと思うのですが、残念な事に日本国内でしか通用しない感覚だという事を往々にして忘れてしまうようです。
一般人、あるいは企業人が外国人に対して、そういう姿勢で臨むのであれば大した問題もなく、ちょっと変わった人だな位で済むのですが、これが国単位になるとそうもいきません。謝った途端に「それ見た事か、やっぱりお前が悪いんだ」という事になります。その結果、大昔に解決済みの賠償金を払ったり、援助をさせられたりします。
相手が自分よりははるかにしたたかで、揚げ足をとる機会を常に狙っていると考えた方が良いのですが、人のいい日本の政治家は自分と同じスタンスで考えてしまいがちです。そればかりか、国際という文字からは程遠く、田舎の村長さんくらいの政治的スタンスでしかない多くの政治家は、隣村と仲良くするのが何が悪いんだろうと、悪びれてさえいません。
もっとひどいのは隣村から個人的に寄付を貰って、隣村に有利な条例を作ったりするのです。村民報で咎められても、色々なこじつけを考え、それは当然な事と開き直ります。村人も途中で面倒になり、まあいいか、などと意味不明の納得をしたりするのです。
まさにでっかいガラパゴス島が21世紀の地球上に存在しています。やはり島国と言うのは特殊なのかもしれません。100年以上も前に鎖国を解いた筈なのに、それは夢の世界での出来事だったのでしょうか。
携帯電話や精密電子系製品でもガラパゴス化が懸念されていると聞きます。日本人特有の非常に細かく、複雑な操作、使い方に対応したそういう製品は世界では通用せず、取り残されていくと言うのです。世界でのシェアが67%のデジタルカメラなども、非常に小さくなり、しかも高性能化が進んでいるので、私なんかは喜んでいるのですが、世界は決してそうではないようです。
手のサイズや器用さの問題もあり、小さい製品は敬遠されると聞きます。プロっぽい大きいカメラでレンズも大きい方が喜ばれたりするらしいのです。だからと言って、後戻りする訳にもいきません。基本的には日本は日本らしくいくべきだと思っています。繊細で小さく高性能な方向は技術的な余裕を産みますから、色々なものに応用が利き、回り回って、大きなアドバンテージを形成していく事は明らかだからです。この世界だけは「小は大を兼ねる」のです。
車の場合を例にとりますが、今の車は図体はでかくても、部品単位で言えば、そういう極小で繊細な技術の集合体と言えるのです。目には見えませんが、コンピューターで制御される部品が五万とあり、複雑なシステムが絡み合って動いています。どんどんエレクトロニクス化していく自動車は、まさに日本が得意とする分野の集大成商品なのです。そういう意味ではガラパゴスを守らなければならないのは明らかではないでしょうか。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 百済系渡来人による日本乗っ取り(後編)(2022.07.08)
- 百済系渡来人による日本乗っ取り(前編)(2022.07.04)
- 天皇家の皇祖神の正体(2022.06.20)
- 天皇の血統(万世一系は事実か)(2022.06.03)
- 政治家に言論の自由はあるのか(2019.02.16)
コメント