行間を読む
先日カミさんが里帰りをして、子猫ちゃんと留守番をしている時の事です。珍しく家の固定電話が鳴ります。取るとカミさんの友人の女性からでした。「生憎いません」と伝えると、いつもブログを見ていると言われるのです。
ブログの事で画面の向こう側の方と直接お話をする機会は友人、会社関係以外はまずないので、ドキッとしたのですが、さらに話が子猫に及び、可愛いでしょうと言われるのです。ブログの内容を良くご存知の様で、なぜかどぎまぎする自分がいます。
自分で書いておいて、読む方が知っているのは当たり前なのに、えっ何で知ってるの(?)となるのです。この感覚は不思議です。未だインターネットがよく分かっていないのかもしれません。日記感覚でしかないのでしょうか(?)
その方は以前、カミさんとの会話の中で、小生のブログの内容に関して、行間に込められた、本当に言いたい事が垣間見える、というような表現をされたそうです。知的な方なので買いかぶって深読みをされているのかな、と一瞬思ったのですが、そう言われてみれば、無意識のうちに言いたい事を行間に込めていたのかもしれません。
前にも言いましたが、私は受注がメインの仕事をしている関係で、クライアントやクライアントの国の事は褒めてもいやらしいし、悪口は口が裂けても言えないのです。その他、企業人ブログとしての制約も沢山あり、思っている事をズバズバとは書けないフラストレーションがあるのは確かなのでしょう。読み返してみると、本当に言いたい事は、文章のまずさも手伝って書けていないようです。
それにしても、行間を読むとは何と含蓄のある言葉でしょう。日本語表現の素晴らしいところです。このような表現は外国語にあるのでしょうか(?)要するに、特定のブログを続けて読んでいくうちに、癖や考え方が見えて来て、本当に言いたい事が、例え反対の事を書いていたとしても分かるようになるという訳です。
そうなると迂闊な事は書けません。書きがい、込めがいもあるのですが、余程気をつけないと知られたら困る相手に本音を読まれてしまいます。また読んで欲しい人だけにメッセージを送る事も出来、逆に本音を読まれたくない相手には、混乱させる事も可能で・・・こんがらがってきましたが、これから意思の込め方の研究をしなければならないようです。
政治家の先生方も独特の難しい言い回しの人が多く、裏の裏があったりして言葉の行間を読むのが難しいのですが、思いつきでしゃべる麻生さんだけは深読みせず、そのまま解釈するのが正しいようです。文章色々、言葉も色々、人も色々なのです。
(PHOTOは、飼い主に似てゴルフが好きな子猫ちゃん)
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