格好良い悪いの評価
フェラーリ F430と、アストンマーチンDB9のどちらが格好いいのか、あるいはデザインが秀れいているのかと聞かれると、答えに窮します。なぜならそれぞれ非常に高いレベルで昇華されていて、好み以外で評価する事が難しいからです。
個人的な好みを言えばアストンマーチンですが、フェラーリファンだって根強いものがあります。世界で人気投票をすれば、どちらが勝つのか全く分かりません。いい勝負になるのではないでしょうか。
それでは答えにならない、あるいはデザイナーとして、説得力のある説明をして欲しいと言われる人は多いと思います。確かに好き嫌いだけで優劣を決められたのではデザイナーとして、たまったものではありません。何処がどうだからこうなのだと理論的な説明が求められます。
アストンとフェラーリの甲乙つけ難い理由を以下に解説してみましょう。
1)まず車をデザインする上で、一番忘れてはいけないのは、かなり危険を伴う走る道具であるという事です。従って、格好(スタイリング)の為に安全性を犠牲にする事は出来ません。機能的で、安全な乗り物である事が大前提となります。
2)次にコンセプトですが、作る側が目指すコンセプトを視覚的に表現しなければなりません。即ち、見た印象と、乗って走ってからの印象が一致しなければならないのです。凄く走りそうなのに、乗り味が鈍重であれば、凄い違和感を感じる事になります。知的にするのかセクシーにするのかというようなテイストもここで決められます。
3)3番目は洗練度合いです。1、2を満たした上で、それを高い次元で洗練させる作業はプロの仕事です。ここでミスれば元も子もありません。例えばフェンダー、ショルダーのエッジのR(丸さ)一つで印象はがらっと変わるのです。狙ったイメージを忠実に再現する能力が求められます。
4)以上の事を満たしただけでは未だ不足です。このクラスになるとプラスαが求められます。それはユーザーがその商品を見た時に、何かよく分からないが、知らない世界が体験出来そうとか、新しい自分が見つけられそうとか、オーラとでも言った方が分かり易いかもしれません。そういうサムシングが必要なのです。ここにこそ作り手の潜在的なものが表れます。デザイナーのキャラクター、キャパシティに負うところは大きいのです。
以上の評価基準に照らして、前述の両車は甲乙つけ難いのです。どちらも非常に高いレベルで創造されています。反面それは見る人に取って分かり易いという事にもなります。自分が探しているのは、こっちだと言い易いのです。従って、同じスポーツカーながら、コンセプトが対極に位置する両車は、最も好みの分かれる二台という事になるのかもしれません。
その明らかに違うコンセプトとテイストですが、それぞれ自分と自分の世界を変えてくれそうな夢(錯覚)を与えてくれるのはマニアには応えられないのです。歴史とブランドイメージが更に付加される訳ですから、有り難みが違います。残念ながら日本車では、未だこの域に達した車はありません。伝説的とさえ言える、この領域に達するには、もう少し時間がかかるのではないでしょうか。
(PHOTOは 2000万円以上もするアストンマーチンとフェラーリ F430)
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コメント
「”サムシング”にこそ作り手の潜在的なものが表れる」
これは、デザインにだけにとどまらず、事業やサービスにも該当すると感じました。
このサムシングを具現化することが、お客様にその商品を価値を提供する最も大切なものなのではないかと感じます。
投稿: Satoru | 2009年1月 4日 (日) 16時20分
そうです。日本の接客ホスピタリティは、そのサムシングの具現化かも知れません。要は最終的には人間性にかかってくるような気がします。
投稿: 田中 徹 | 2009年1月 7日 (水) 11時26分