義を見てせざるは・・・
昔、志村けんのコントが好きで、よくテレビを見ながら腹を抱えて笑っていました。美形ながら、とぼけた味を出す石野陽子とのコンビが絶妙だったのです。内容はいくつかのパターンがあって、毎回、又何回かに一回繰り返されるのですが、好きなコントがいくつかありました。
一つは、若い女の子がチンピラにからまれているとき、颯爽と助けが現れるのですが、実は助けた男はチンピラとグルだったという話です。これはうまい手です。感謝されて恋愛関係にだって発展するかもしれません。男は皆妄想をかき立てられるのではないでしょうか。
又反面、それを見ながら、チンピラさんがグルでない場合、実際にそういうシーンに出くわしたなら、何が出来るだろうかと考えてしまいます。
例えば、からまれているのが男だったら見て見ぬ振りをするのかもしれません。後で警察にでも通報すればいいでしょう。それまで頑張ってくれと言うしかありません。では、か弱い女性の場合はどうか、究極の肝試しみたいですが、義を見てせざるは勇なきなり、とばかり勇ましく助けに入れるだろうか(???)考えてしまうのです。
この場合はチンピラさんの数や、風体が判断の基準になります。被害に遭っている人の容姿も判断材料になるかもしれません。しかし、どう考えても勝てそうもない理不尽な相手に向かって行くのは賢明とは言えないのです。こちらにだって妻子があります。社会的責任だってあります。怪我をしてゴルフが出来なくなったりしたら本当に困るのです。迂闊な事は出来ません。
かと言って、その場から何もせずに立ち去った場合には、今度は後ろめたさ、意気地なさに間違いなく苛まれる事になります。。難しい選択です。ですから出来る限りそういうシーンに遭遇する事のないように、怪しい場所は通らないようにするしかないのです。日本政府的発想と言えます。
ところで私の日常の話ですが、家事は基本的にカミさんがやる事になっています。しかしながら全く何もしないというのは後ろめたさがあるので、家の外回りや電気関係、力仕事関係、ちょっとした日曜大工仕事は私が受け持つ事になっているのです。ゴミを出すのも力仕事なので担当にされてしまいました。
ある朝ゴミを捨てに行った時の事です。網で覆われている筈のゴミが道路に散乱しているのです。見ると黒づくめのチンピラ風カラスが数羽たむろしているではありませんか。こいつらが犯人に違いありません。私はかかわり合いになりたくないので眼を合わさないようにゴミ捨て場に近寄りました。大胆不敵にもチンピラカラス達は数メートルに近づいても立ち去ろうともしません。むしろ私を見下ろしながら値踏みでもしているようです。
道一杯に散乱した生ゴミは車にひかれて、見るも無惨な状態でした。いつもなら放置、あるいは足である程度かき集めるくらいの事しかしません。あくまでも、そういうゴミの出し方をした人が悪いのです。全く私の責任ではありません。ところがその日は何を血迷ったのか、カラスに嫌がらせをしてやろうと思い、散乱しているゴミを手で拾って掃除をしてしまったのです。
終わりかけた時に後で声がします。振り向くと後の家から出て来た中年サラリーマン風の男性が、直立不動の姿勢で「有り難うございます」と言うのです。私は一瞬「しまった」と思いました。見られてしまったのです。これで次から放置出来なくなったのです。なぜなら、麻生さんではありませんが、行動がぶれる事になるからです。「前回は片付けたのに今回は片付けない、やっぱりね」と言われるのも癪に触ります。
行政さんお願いします。あんな網だけの防御ではチンピラカラス達からゴミを守る事は出来ません。もう少しましな方法を考えて下さい。さもなくば私は“名物お掃除おじさん”になってしまいます。折角の(?)イメージが崩れてしまうじゃありませんか。
(PHOTOはゴミ捨て場のイメージ画像)
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