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2009年5月 8日 (金)

信用出来ない同盟国(1)

先日のブログで核爆弾を一般市民の上に落とすような人達が何をしてもおかしくない、例えば有害ウイルスをどこかに意図的にばらまく可能性もあるかもしれないと書いたところ、戦時下の平時とは違う心理状態での行動は、過激になりがちな事を考慮すべきではないかという指摘がありました。

なるほど、第二次世界大戦は世界を巻き込む大戦争で、平時とは言えません。特に日本は政府だけでなく、マスコミも一体になり、一億総玉砕とか訳の分からない念仏を唱えながら、一般市民含む国民を当然の如く戦争に駆り立て、犠牲を強いてきました。特攻兵器などは言語道断です。

全く狂気の沙汰としか言い様がないのです。当然の事ながら国家の非常時だからと言って、何をしても許されると言うものではありません。酔っぱらいが、酔っぱらっていたから知らない、と責任逃れが出来ないのと同じです。人間として、いかなる状態でも、守らなければならない最低限のルールはある筈なのです。

一方、アメリカの場合はどうでしょうか。陰謀論や、どちらに非があるかと言う事はともかく、政府要人の心理状態に限って考えてみたいと思います。

Photo_2 建国時の独立戦争(PHOTO)から始まり、ネイティブアメリカンとの無数の戦い(国内?)、南北戦争(国内)、ハワイ侵略、米墨戦争、米西戦争、米比戦争、第一次大戦を経て、第二次大戦、直後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタンでの対テロ戦争、イラク戦争と大きいものだけでもこれだけあります。

米軍主体である国連の平和維持軍(PKF)の活動も含めれば、平時は殆どないと言って差し支えないくらいなのです。常に世界のどこかで、米兵が武器の使用をしている事になります。従って、戦争状態と平時の区別は、米政府要人の認識として、限りなく存在しないのではないでしょうか。

さらに、本土を海外から攻撃された事は、英からの独立戦争以来、911がアルカイダの仕業だとしても一回しかありません。従って常に本土、あるいは政府の置かれている場所は平時と変わらない安全な状態なのです。戦争に勝てる見込みがなくなった場合は、また心理状態も違って来るかも知れませんが、その心配はこれまでなかったと言えます。

何が言いたいのかと言いますと、アメリカの為政者は昔から伝統的に、常に冷静な状態で戦争、あるいはそれに準ずる外交の作戦を指示しているのではないかという事です。つまり冷静な判断に基づき、国際法を常習的に犯している疑いがあるのです。それは世界一の軍隊を持つものの驕りかも知れません。人種差別から来るものもあったのでしょう。(続く)

本当に戦争好きのアメリカには困ったものだと思われる方、クリックをお願いします。

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