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2009年7月10日 (金)

未来実験都市ニュートーキョー(?)

7月7日のブログに戻って、やはり何回読んでもよく分からない、と言う人がいます。具体的に言ってくれないとイメージ出来ないということでしょう。

「日本はこれからの人類、地球に求められる、あるいは貢献出来る新たな価値の創造が可能だ、その価値は相乗効果、乗数効果も期待出来、お金に換算すれば大変な規模になる、それを実現する為には大胆な発想の転換、財政出動が政府に求められる。」

その「新たな価値の創造」について、素人考えながら大胆にも、思いつくまま私のイメージを述べてみたいと思います。又竜頭蛇尾になるかもしれません。あまり期待しないで読んで下さい。

今、日本や世界では新時代、いや新地球の為のテクノロジーが、雨後のタケノコの如く出て来ています。玉石混淆かもしれませんが、様々な分野で百花繚乱と言えるのではないでしょうか。通信、コンピューター、バイオ、ロボット、環境省エネ、数え上げたらきりがありません。

残念な事はそれらが互いにリンクしていない事です。その為、時系列的な考証がばらばらで、折角の発明、開発がうまく横のラインで結びつかず、その結果、自然消滅的にフェードアウトしたり、もったいない事になってしまう場合が多いのです。

企業単位で出来る事の限界ではないでしょうか。国家単位、あるいは地球規模での連携が必要である事は明らかです。では国連でそういう活動が出来るかと言えば、エゴとエゴがぶつかり合う現状を見ると、甚だ疑問と言わざるを得ません。どこかの国家が主体になってやる方が、はるかにましではないかと思われます。

はっきり言いましょう。100年単位で将来をイメージする、この大構想のリーダーシップをとれる国は、予算的にも技術的にも日本しかありません。日本を主体として、世界から協力者、協賛者を募るのです。それらをうまく連携させてシステマチックに開発を行う機関の創設を行います。その場所は東京近郊のお台場(?)とか、が好ましいかもしれません。

広さ的には茅ケ崎市(?)くらいでしょうか。人口は当初2〜3万規模になります。それは地上にあるとは限りません。例えば半地下のような形態もあり得るかもしれないのです。全くの地下空間(大ドーム)だって面白いのではないでしょうか。なぜなら基本的テーマは地球と共存共生だからです。

従来型の、上に伸びるアスファルトジャングルは地球にとっては鯨にくっつく藤壷のような物かもしれません。びっしり覆われてしまうと生命の危機となります。ですから表面はあくまでも自然な形を尊重したいのです。モグラのような生活はいやだと言われるかもしれませんが、その心配は無用です。光ファイバー技術等で空は、いや天井は実際の空と比べて遜色ありません。
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それに実際の太陽を見たければ、外に出ればいいだけの話です。外は緑生い茂る自然に本来存在すべき種の生物達が生体系を守って生活しています。そこには出来る限り人工の手は加えるベきではないでのす。(PHOTOはイメージ、もう少し自然主体になる)

そうです。壮大な未来実験都市の出現です。中ではあらゆるジャンルで、民間企業のアドバンス研究開発部門が中心となり、先端技術開発と実験が行われます。勿論実用化に至った技術は外の世界へフィードバックされます。外も徐々に変化していくのです。

例えば、中の生活は人類の英知を集めた超ハイテクなものになります。但し、あくまでも自然との共生は忘れません。当然リサイクルが基本となり、無駄は極力排するのです。周りにはセキュリティや労役に携わる人型ロボットが普通に生活しているかもしれません。

移動手段は立体的に張り巡らされた目に見えない軌道上を、カプセルタイプの無公害トランスポーターが快適かつ安全に走行し、渋滞による時間的ロスなどは過去のものになるのです。食料は勿論有機栽培の自給自足です。住宅は耐震構造だけは必須ですが、従来とは全く違ったデザインになるのではないでしょうか。

考えただけでもわくわくして来ます。この未来都市空間が地球と人類を救う事になるかもしれません。費用は全く予想もつかないくらい莫大なものになりますが、地球の将来を考えれば安いものです。桁違いな公共投資は従来型とは決定的に違って、価値を生み続けるのです。それは凄まじい乗数効果を生みます。GDP1000兆円なんてあっという間に軽く突破するでしょう。

勿論世界からの投資に関しても大いに歓迎します。地球がテーマである以上、排他的になる意味はないのです。但し、リーダーはあくまでも日本であるという事だけは譲れません。この技術優位は安全保障的意味合が非常に強いからです。世界に対しては段階的に技術の供与をして行き、その循環システムは日本を頂点に永遠に続くと言う訳です。

新自由主義市場経済による資本主義が事実上崩壊し、独走しがちな一党独裁共産主義の台頭が危ぶまれる昨今、日本の置かれたポジショニング、シチュエーションは甚だ心もとないと言わざるを得ません。100年に一度と言われる転換期だからこそ、世界をリードするビジョンと理想が求められますが、日本がその役割を担って何か不都合でもあるのでしょうか。

いい加減に政治家と官僚の皆さん、眠い目を覚まして日本の経済と技術の実力に気がついて下さい。チマチマした目先の利益だけ追わず、国家100年の大計を構築しようではないですか。

ちょっと壮大に過ぎて、夢物語とお思いかもしれませんが、誰かが言い出し、イメージが共有出来れば全くあり得ない話ではないかも(?)と、思われた方、クリックをお願いします。

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