超先進国型経済モデルへのパラダイムシフト(2)
昨日からの続きになります。
一方、日本のガラパゴス化が言われて久しいのですが、世界に通じないという意味合いで、ネガティブに使われて来ました。なる程、日本人程こだわらない外国の人達に、日本の標準を押し付けるわけにはいかないのです。マスを取ろうとするならば、世界に合わせる事が肝要です。
しかしよく考えてみて下さい。世界に合わせるという事は、人的能力も含めて質を落とすという事に他ならないのではないでしょうか。そういう世界で戦って、本当にいいんでしょうか(?)そういう量を競う世界は、韓国に追いつかれ、やがて中国にも凌駕されてしまうかもしれないのです。何度痛い目に遭ったら気が済むのでしょうか。
その場合、拡大再生産というキーワードがまさしくキーになります。人類は産業革命以降、せっせ、せっせと不毛なこの作業を繰り返して来ました。途中 IT革命や金融ビッグバンがありましたが、長期的継続性は望むべくもなかったのです。
やはりもの作りが経済の基本である事は確かなようです。しかしながら拡大再生産に限界が見えた今、そろそろもの作りのパラダイムは、ドラスティックな転換があってもいいのかもしれません。少なくとも先進国、特に日本に関してはです。
ヒントは江戸時代にあるように思います。強い軍隊(武士)と、豊かな、自然と共生する文化的生活があったのです。世界の情報が鎖国政策により、限定的であった事は弱みになりましたが、致命的ではありませんでした。その証拠に欧米列強の軍門に下る事はなく、植民地になる事はなかったのです。
現代に置き換えて、ネット社会では情報はいやでも入って来ます。海外旅行だって、いつでも好きな所へ行けるのです。従って例え鎖国同然の状態にしたところで、最低限、世界に迎合すべきものは何とでもなるのではないでしょうか。日本だけ取り残される事は考えられません。
世界が相手での量産主体のやり方に限界が見えた今、江戸時代のように日本独自のもの作り文化を押し進めた方が、色々な分野で結果的に高い付加価値を生む事は明らかではないでしょうか。相乗効果で人間の質も上がるかもしれません。
幸い1億人以上いる市場が背景にあります。何も無理してまで世界に売らなくても、量産効果としての必要最低限は保証されているのです。それを世界に合わせていたのでは、劇的な価値の上昇は望めません。
結果的に日本人だけに照準を合わせた方が、より高い価値に変換していく事が可能になるのです。質をどんどん上げていく事によって、あるいは新価値創造等と併せれば、内需だけで5〜10%くらいの成長は十分可能ではないでしょうか。外需を当てにする必要はなくなるのです。
それにはまず、食料やエネルギーの自給率を独自の技術により高め、輸入に多くを頼らないシステムを確立する事が大前提となります。輸入を極限まで減らすことが出来れば、ニーズに応じた対応は最低限するとしても、輸出に血道を上げる必要は無くなるのです。幸い脱化石燃料の時代、自給自足経済確立のチャンスと捉えるべきではないでしょうか。
日本人が総オタクになって、世界の追随を許さない独自の高付加価値製品、文化、自然と共生出来る環境、新エネルギーを創造した時に、列島そのものが価値の塊として燦然と光輝きます。世界各国が砂か石ころとして、その中で巨大なダイヤが光輝く様を想像してみて下さい。
そうなればいやでも世界はついてくるのではないでしょうか(?)凄い事に、これならいくら円高になってもメリットしかありません。「いや、逆に円安になるかもしれない(?)」もしそう考えるなら、あなたは悲観論者の極みと言わざるを得ません。日本人の力を知らなさ過ぎます。
既に十分に強大になった力を認識せず、無防備に世界に対して拡大再生産を続けて行くならば、第二次大戦の二の舞だってあり得るのです。最盛期の米のように強大な軍事力の背景なくして一人勝ちは許されません。世界の奸計の的となり、国民は犠牲を強いられるのです。
日本人はもっと目を見開いて、いかがわしい海外に迎合する事なく、独自の文化創造に専念した方が、防衛も含めて、全ての面で良い結果をもたらすのではないでしょうか。私はこれまでの経験などから、そう思えてならないのです。
確かに、インターナショナルとかグローバリゼーションという言葉に弱く、悪い世界の影響を受け過ぎた日本は一度リセットして、内向きになった方がいいかもしれないと思われた方、クリックをお願いします。
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