心神
子供の頃、中学生くらいの私は、その当時の男の子の例に漏れず、プラモ作りに熱中していました。当時は未だ日本製よりもアメリカ製が抜群に良くに出来ており、レベル社、モノグラム社製の航空機模型には憧れたものです。
グラマン・ヘルキャット(PHOTO左)やロッキードP-38、コルセア、アベンジャー、ドーントレス、空飛ぶ要塞のB17、B24、部品点数が多く、可動部分が本物っぽいスカイレーダーなどは垂涎の的で、当時1000円以上もする高嶺の花を手に入れようと、お小遣いを貯めては買いに走ったものでした。お陰で狭い私の部屋はプラモで溢れ、仕方がないので天井から吊るしたり、色々苦労をしたのです。
私としては、アメリカ勢に対抗すべく、日本の優秀な戦闘機、零戦や飛燕、紫電改等の精密な模型が欲しかったのですが、当時の日本製は出来が悪く、並べて陳列するには忍びませんでした。従って数において米勢に圧倒される事となります。。。セピア色に染まりつつある懐かしい思い出です。
大戦中の実際の戦闘における能力は、初期には零式艦上戦闘機(零戦/PHOTO)が圧倒していたと言われています。一対一では必ず落とされる、一対二で五分五分、従って、米軍はゼロファイター(零戦)には三機で当たれと指示していたそうです。
1000馬力しかないゼロがなぜ強かったのかは、徹底した軽量化によります。軽量ながら堅牢なボディを持ち、旋回性能が抜群であったのです。航続距離も長く、火器(20ミリ機銃)も必要十分でした。大排気量ながら鈍重なコルセア、ロッキードはカモでしかなかったのです。
流石に大戦末期は、2000馬力エンジンを積む、いかついグラマンヘルキャットあたりに苦戦したようですが、シンプルで美しいデザインも評価され、戦艦大和同様、日本人の心のどこかに生き続けているのです。
そのゼロファイターの生みの親である三菱重工が自衛隊から国産ジェット戦闘機開発の依頼を受けていた事を、迂闊ながら最近知りました。エンジンはIHIだそうです。内容はよく分かりませんが、「心神」(PHOTO)と呼ばれるその戦闘機はステルスタイプと言われていますから、凄い事に、F22ラプター辺りが想定されているのかも知れません。
アメリカが売り渋っている欠陥F22の代わりに、リスクをヨーロッパに分散するべきという考え方で、ユーロファイターという選択肢もあるようです。
それともいっそ米の抵抗を押し切ってでも国産化のチャンスと捉えるべきでしょうか。1000億円の投資で積年の憂さを晴らす事が出来れば安いもの、と自衛隊他、関係者は思っているのかも知れません。
心神は「わがたましい」と読むそうですが、音読みだとパンダみたいで訓読み共にいかしません。零戦のように、もう少しカッコいい名前にしてもらいたいものです。2011年には試験飛行するそうですが、ちょっと楽しみかもしれないと思われた方、クリックをお願いします。
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コメント
f4uコルセアは朝鮮戦争にも活躍した大変な名機です。ゼロ戦は翼がガソリンタンクになっていてすぐ火だるまになりましたが、コルセアのように全て胴体内にタンクを納めれば被弾にも強かったと思います。また機銃の弾道の直進性が米軍の方が良かったようですね。
投稿: 元カーデザイナー | 2009年8月21日 (金) 11時26分
元カーデザイナーさん、いつも見ていただいて有り難うございます。コルセアは翼のデザインが格好良く、好きな戦闘機の一つでした。何十年ぶりでしょうか、懐かしく思い出されます。
投稿: 田中 徹 | 2009年8月21日 (金) 11時32分
零戦の話がでたついでに最近読んで感動した本、「永遠の0」。零戦パイロットの教官として、また本当の人間として最後の最後に果てた宮部久蔵をめぐる自分のルーツ探しの小説。涙、涙で人前では読めません。
薩摩半島の特攻基地;知覧の近くで育ったものですからよりいっそう感慨深く読みました。
ちょっと的外れのコメントですみません。
投稿: けいしくん | 2009年9月18日 (金) 15時39分
けいしさん、いつも有り難うございます。迫力ある文章は書けませんが、今後とも宜しくお願い致します。
投稿: | 2009年9月19日 (土) 20時54分