それでも歴史は繰り返す(1)
広島、長崎への原爆投下の日に続いて、8月15日の終戦記念日が近づきつつあります。丁度お盆休みと重なるこの暑い季節は、戦争を回顧するのに適切な時期なのかも知れません。二度とあのような戦争が起きる事のないよう、明日の日本を信じて闘い散っていった英霊や、犠牲となった一般市民の無垢な霊の為に祈るのみです。
かく言う私は戦争を知らない世代ですが、戦後民主主義教育を受けた最初の頃の世代でもあります。その当時の子供時代に思いを馳せた時、日本人の、いや世界の、あの戦争に対する考え方が、時と共に変化して来ているのを感じるのです。日本に限って言うなれば、昔の方が、もっとのんびりしていて、戦争に負けたにしては悲壮感もなく、さばさばした感じではなかったでしょうか。
それがいつの時代からか、日本の犯した(かもしれない)戦争犯罪、あるいは戦争故の副産物的過失について、マスコミや周辺国から厳しく断罪されるようになります。靖国神社へ首相が参拝しただけで、特亜諸国からは内政干渉とも取れる大騒ぎが起こるようになって来たのです。
何かにつけて、当時の問題が蒸し返され、エンドレスで拡大している様にさえ見えます。それに対抗する形でもないのでしょうが、日本側の保守層から反発が起き、ネット(裏)は戦場と化しました。明らかに終戦後間もない頃と比べて、周辺国との仲違いは酷くなっているのではないでしょうか。
その動きは日本の経済発展とシンクロしているかのようです。出る杭は打たれるの例えでもないのでしょうが、日本の稼ぎは、利権絡み議員等の協力もあり、どんどん海外へかすめ取られていきます。一見合法的で、目に見え難い金融絡みのものや、企業買収を併せると、その損失は莫大なものになるのではないでしょうか。働いても働いても、裕福になれない構造が出来上がっているのかもしれません。
ところで、話は変わりますが、小泉元首相の印象はと言うと、田中眞紀子氏の言い得て妙な例えにもあったように、普通の常識的な議員という感じは受けませんでした。風変わりな、一見無責任そうな見え方は、よく言えば、何かやらかしてくれそうな雰囲気を醸し出していたのです。
首相になってからの、靖国参拝等に見られる自分の信念を貫き通すかの姿に、嬉しい誤算だったかもしれない、と国民の期待が膨らんだのも無理からぬ事ではないでしょうか。財政再建と構造改革を強く打ち出す姿勢には頼もしさすら感じたものでした。
本当に、当時小泉さんによって改革が行われ、日本にもやっとまともな時代が来るかもしれないと思われた方、クリックをお願いします。(明日に続く)
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