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2009年8月10日 (月)

多極化する核保有国

今から20年以上も前の話になります。家を東京郊外の東村山市に新築し、東久留米のマンションから引っ越した直後の事でした。子供にとっては迷惑な話でしょうが、残り少ない幼稚園生活を元の幼稚園で過ごす為、少し遠方からのバス通園を余儀なくされたのです。

親にとっては心配の種が増えた事になります。そこで連絡先を記したカードを子供に持たせようとしました。「これを持っていれば、いざという時に安心だよ。」ところが子供は意に反して頑として所持を拒むのです。

何か勘違いでもしているのかと思い、よく聞いてみると、「そんな事には絶対にならないから必要ない」と言うのです。要するに、そういう事態を想定すること自体、恐くて耐えられない「持つ=悪いことが起きる」という事のようです。この場合、カードは忌み嫌うべき存在となるようです。

時は流れて、昨日は長崎にプルトニウム型原爆が落とされてから丸64年になります。新ためて、その悲惨さを世界に訴えていますが、年々世界の関心は高まり、その訴求力は強くなって来ているのではないでしょうか。

この場合、時間の経過は風化を意味せず、逆に先鋭的に人類の犯罪と、悲惨な事実をあぶり出しているかに見えます。アメリカの誤算でもあるのではないでしょうか。オバマさんはそれに呼応するように、プラハでの演説で、世界唯一の核使用国としての道義的責任に、アメリカ史上始めて言及しました。
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続いて米ロ中心の核軍縮を提唱しましたが、軍産複合体の思惑とは必ずしも一致していないようです。つまり、経済的理由からの先走りではないかと勘ぐられているのです。その結果、核の拡散、多極化が起きる事をむしろ憂慮すべきかも知れません。

米国内に、いかに戦後都合よく教育されたとは言え、核使用に対する正当性を信じる人が現在、61%もいるという驚くべき事実は、オバマさんの演説とは裏腹に、今後も使われ得る可能性を否定出来ない事を示しています。

さらに、既に所持している国や勢力が手放すとは考え難いのです。北朝鮮だって瀬戸際外交を続けながらも、最終カードをあっさり手放すとは思えません。従って、圧倒的優位に立つ軍事超大国が世界の警察官的役割を果たし、世界に睨みを利かせる構図は崩れ、核の野放し状態という、日本など核を持たない国にとって好ましからざる方向へ向かっていると考えるべきではないでしょうか。

いえ、誤解されて困りますが、私は日本も核を持つべきだ、などと言う気はさらさらありません。しかしながら、持たないという選択肢を安易に喧伝すべきではないと考えます。近隣に必ずしも友好国とは言えない核保有国が複数存在する事実だけは踏まえて、その対策を講じなければならない事は否定しようがないのです。

理想は核さえも凌ぐ、政治的、経済的プレゼンンスを確立する事ですが、仮にそれが出来たとしても、フェールセイフティという意味で、それをバックアップする最低限の軍事力が必要である事も確かなのではないでしょうか。

アメリカの核の傘が頼りにならなくなりつつある現状を見たとき、子供の「持つ=悪いことが起きる」的、幼稚な発想で、自国を守る為の軍隊さえ整備しない国が、この激動の21世紀に、あるいはそれ以後も存続が保証される筈はないのです。

子供の場合は、たまたま結果的に悪い事が起きなかったから良かった、で済みましたが、未来永劫、運と不安定な他国に頼って行かなければならない危うさを、そろそろ本気で考える時が来ている、と思われた方、クリックをお願いします。

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