ああ、モンテンルパの世はふけて
昭和28年7月、フィリピン、マニラ郊外のモンテンルパ刑務所に収容されていた死刑囚を含む日本人B,C級戦犯108名が、独立記念日に大統領の特赦を受けて釈放されました。横浜の埠頭には帰りを待ちわびる家族や関係者2万8千人が詰めかけたと言います。
当時のフィリピンの大統領は、戦争で妻子を失い、日本兵を一番憎んでいると言ってはばからなかった親米派のキリノ氏でした。彼はひと月前に、モンテンルパで日本人死刑囚に付き添う真言宗僧侶、教誨師加賀尾秀忍の面会を受けます。(PHOTO上)「どうせ、死刑囚の命乞いの為に涙でも流すのだろう」と側近に漏らしていたその面会で、キリノ大統領は大きな感銘を受ける事になるのです。
まず謁見に対する礼を述べた加賀尾秀忍は黙ってオルゴールを差し出します。大統領はいぶかりながらもオルゴールの蓋を開き、物悲しい音色にしばし聞き入りました。「この曲は何ですか」との問いに、加賀尾は作曲者がモンテンルパの刑務所の死刑囚であり、作詞をした者もまた死刑囚であることを明かし、詞の意味を説明したのです。
「私がおそらく一番日本や日本兵を憎んでいるだろう。しかし、戦争を離れれば、こんなに優しくも悲しい歌を作る人たちなのだ。戦争が悪い。憎しみをもってしても戦争は無くならない。どこかで愛と寛容が必要だ。それにしても日本は戦争に負けたと言うのに、堂々たる外交ぶりだ。ここは素直に見習わなければならない」
釈放時のキリノ大統領の弁です。彼をしてここまでの事を言わしめた加賀尾は、歌手渡邉はま子始め、日本の当局関係者、世論の後押しを受けたものの、自らの意思で単身現地に滞在し、無実を含む日本人戦犯の釈放の為に人生を賭して尽力するという真性の、古き良き時代の日本人でした。
先週末12日に放映されたフジテレビ制作の「戦場のメロディ・108人の日本兵を救った奇跡の歌」は、大統領の妻と三人の子供が日本兵に殺された(一般的には日米戦の巻き添えになったとされている)という点と、別れの「君が代」、さらに500万人に及ぶ日本人の署名数が削除されるというフジテレビの偏向ぶりは差し引いても、大変見応えがあり、忘れかけていた何かを思い出させてくれたのです。
当時の日本人は今とは別の人種だったのかもしれません。商売抜きに、受け取った曲をアレンジする事なくレコーディングし、無償で国交のない現地へ単身赴いて慰問コンサートを開く渡邉はま子の気概と、国交のない国へのビザ取得に協力を惜しまない政府担当者がいて、
死刑囚に付き添いながら、絶望的状況の中で何とか救う手だてはないかと画策、奔走する加賀尾は勿論、加賀尾の提案に素直に乗り、素人ながら人の心を打つ曲を作る死刑囚(作詞がB級戦犯死刑囚:代田銀太郎元大尉、作曲がB級戦犯死刑囚:伊藤正康元大尉)と役者が全て揃ったのです。
それにしても凄い話です。特筆すべきキリノ大統領の、一国の指導者に相応しい寛容さは勿論の事、明日処刑されるかもしれない身でありながら、創造活動に打ち込めるメンタイリティが今の日本人に果たしてあるのでしょうか。無実の仲間が次々と処刑される状況にいたなら、正直言って、得意な絵を描けと言われても、私には出来そうもありません。
日本は物質的に豊かになったかもしれないが、失ったものは確実にあり、それは人間、いや日本人にとって欠く事の出来ない大きなものだったかもしれない、と思われた方、クリックをお願いします。蛇足ですが、渡邉はま子を演じた薬師丸ひろ子(PHOTO下)の大人の演技と歌、見応えがありました。
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