悪い事は出来ない
今を遡る事40年余、その聡明で闊達な少女は四国の銅山で有名な某市に住む小学4年生でした。ある年、その少女が住む町に大相撲の巡業がやって来たのです。
宿泊地はその町の市営野球場傍で、食事などは屋外の地べたに、勿論ちゃんこでしょうが、車座になってとっていたと言います。大勢の浴衣姿の大男達がちゃんこをつつく様はさぞ壮観だったのではないでしょうか。
宿泊場所の近くに住んでいた、その少女は友達三人と、当時見張りもフェンスもない食事場へ興味津々で入って行ったと言います。関取Tのファンだった彼女はTを探して徐々に大胆になり、奥へと歩を進めました。
憧れのTを見つけて歩み寄ろうとした少女達に向かって、何を思ったか力士Tは食べかけだった鳥の骨を笑いながら投げつけたのです。それを見た周りの力士達は一斉に笑い出したと言います。
汚れを知らない幼気な少女達は何が起こったのか理解出来ず一瞬ひるみました。呆然としている彼女達に力士達の好奇の視線が容赦なく浴びせられます。子供心にいたたまれなくて立ちすくんでいると、一人の雲をつくような大男が近づいて来たのです。
その力士は端正ながら厳つい顔に似合わず、柔らかな微笑みを浮かべ、すまなさそうに「悪かったね、気をつけて帰りなさい」というような事を言ったのだそうです。
その少女は成人して幸いにも私の妻となり、その時の事を懐かしく印象深い思い出として折に付け話します。「今になって分かるけど、横綱にまでなった力士Kさんは、優しい関取だったのね」と。。。
58歳という若さで逝った希代の名横綱は、少女達のセピア色に染まりつつある記憶の中で、今なお懐かしく優しい思い出として生き続けているのです。
普段忘れているようでも、子供の時の記憶は何かのきっかけで鮮明に蘇ります。大人は迂闊な事は出来ないのだと思われた方、クリックをお願いします。
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コメント
私は、阪神、柏戸、目玉焼きだったなぁ。
子供の頃からひねくれているというか、圧倒的多数を反対のことが好きでした。
かといって、何でも反対するお花畑軍団とは一線を課していますけどね。
投稿: ASO | 2009年10月10日 (土) 16時12分
私は巨人、柏戸、ゆで卵でした。巨人だけは川上、長島時代からのファンで変えられません。
会社はバイクの頃から本田ファンだったのですが、入って少しがっかりしました。。。
投稿: 田中 徹 | 2009年10月10日 (土) 18時51分