溺れる犬は棒で叩け
トヨタ叩きは収まる様子もなく、拡大の一途を辿っているように見えます。TBSサンデーモーニングの女性コメンテーターなどは全く車の知識がないのに、あたかもプリウスに欠陥があって、そのせいで死者が出た、というような事を言っていましたが、全くの事実無根です。もう少し勉強してからコメントするべきではないでしょうか。
一方トヨタが工場を持つアメリカの四州の知事達は、さすがに危機感を持ったのか擁護に懸命です。それでなくても雇用不安が増大している時に、泣きっ面に蜂は願い下げなのでしょう。それにしても米マスコミもえげつない、「溺れる犬は棒で叩け」というのは、確か韓国の諺だったような気がするのですが・・・
今開催されている冬季五輪では、こちらも溺れかかっている日本のスノボー選手に対する批判、制裁が賛否両論を呼んでいるようです。叩く論調は感情的で擁護派に対する説得力があまりないように思えるのは事の本質を見ていないからなのかも知れません。
確かに、ユニフォームなのに、一人だけ全く違った着こなしをしたのでは、デザイナーの意図も生きないのではないでしょうか。ズボンをずり下げた、明らかに輸入されたこのファッションは、どう見ても胴長短足の日本人には似合わず、私など年寄り組からは顰蹙しか買わないのです。
このルーズなファッションと、会見での受け答えが多くの日本人の逆琴線に触れました。平常心、自然体と言えば聞こえはいいのですが、私はむしろ彼の覇気のない表情、輝きを見せない目が気になります。本当にオリンピックに出られる程の能力を有しているとは思えないのです。
擁護派の論調はと言えば、自分流を貫いてどこが悪い、というものや、スポーツ選手は結果で示せばいいと言うものですが、こちらも説得力に欠けます。国内ならともかく、国の期待を背負う国際大会、特にオリンピックは選手にとっても特別な舞台の筈です。義務意識を押し付ける気は毛頭ないのですが、気概や意気込みというのが面映いとしても、もう少しやる気を見せて欲しいと思うのは望み過ぎでしょうか。
私が言いたいのは、戦後民主主義の、最初はGHQに押し付けられたにせよ、日本の教育の結果として、国防意識すらなく、さらに公共の利益より個人の利益が優先する、持続可能とは思えない極めて特殊な環境にいる国民が、井の中で甘やかされた世界感を当然の如く、臆面もなく世界に向けて発信する無恥さは、いかがなものかという事です。
これは彼個人の問題ではなく、コーチも含めて、恥に対する感性が鈍くなった日本人全体の問題ではないでしょうか。かと思えば石川遼君のような、今のところ完璧に見える若者もいて、どちらが本当の日本の若者なのか判断に苦しむのですが、遼君のような青年がいる事自体、奇跡かもしれないと思われた方、クリックをお願いします。
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