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2011年3月28日 (月)

悲劇の中で知る日本の存在感

先週末には停電はありませんでした。街は一見何もなかったかのようです。朝起きて、しばらくはいつもの週末の朝のようで、さわやかな気分なのですが、次の瞬間に、「ああ、そうだ、いつもの週末ではないのだ」と思い出してしまいます。

心の中の、一点の曇りが晴れないのです。自分の一生のうちに、まさか、こんな大災害が起こるなんて、概念としては、あり得ると分かっていても実感はなかったのです。しかも被災地では、いつ終わるとも知れない戦いが続いています。

報道されませんが、現地には未だ火葬も埋葬もされない遺体が相当数横たわり、凄惨を極めているそうです。何百キロにも渡る戦場のような被災地にも手がつけられず痛ましい姿を晒しています。

被害が、あまりにも広範囲に及んだ為に、また福島第一原発事故もあって、折角無事であった被災者への補給もままなりません。これには人災も加わっていると言います。民主党のパフォーマンスが優先されて、現場は二の次にされているのです。

いえ、今日は民主党叩きがテーマではありません。(笑)昨日の「田舎の主婦」さんのコメントのように、あくまでも前向きな話をしたいのです。ところが、日本人の悪い癖で、連帯意識はいいのですが、すぐに自粛ムードに入ってしまいます。

被害が及ばなかったところまでが停滞したのでは何にもなりません。電力の復旧を最優先して、力強く産業を復活させなければいけないのです。それが被災地を救う事にもなります。

ところで今回、後出しじゃんけんかもしれませんが、この未曾有の大災害を予想していた人は意外に多いのです。一年前あたりから、ボツボツ出始めていました。時期と場所の特定は難しいようですが、日本のある場所、あるいは東日本、というのは異口同音に言われていたのです。

ある霊能力者などは、日本は大災害に遭うが、その後新しい価値観を持った若者達が現れ被災地は華麗に復興すると言っていました。日本雛形説を裏付けるようで頼もしい限りです。

また、チェコの女性霊能力者は、「あなたがた日本人は、その信じる心と驚くべき謙虚さで、じきにこの脅威を乗り越え、この圧力と痛み、不安定さのおかげで計り知れないほど大きな悟りの感覚を手に入れるでしょう。」と言っています。

さらに「あなたがたの国は再びその足で立ち上がり、以前よりも美しさを増すでしょう」と結んでいるのです。励みになるではありませんか。

世界中から日本の復興を願う声は届いています。日本人の知らないうちに日本は世界の雛形になっていましたし、文化の面でもリーダー的役割を果たしていたのかもしれません。謙虚な日本人は、望みもしませんが、世界の中での存在感は意外に大きいようです。

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