ターニングポイントに必ずいるタラとレバ
日曜日のテレビで米原子力空母「ロナルド・レーガン」を詳細に紹介していました。艦と90機の艦載機を含めて積載総額1兆円を超すそうです。正に動く戦略的軍事基地ではないでしょうか。
乗組員は6000人にも及び、維持の為の補給は週一回、航行しながら補給艦から受けます。小さい町一個分ですから維持にも大変な費用がかかるのです。こういう船を何隻も持っているという事自体が凄い事ですが、思えば日本もそういう勇ましい時代がありました。
太平洋戦争前の海軍力は質も考慮すれば対米で二倍の差があったと言います。航空母艦数も日本の方が多かったのです。ミッドウェイ海戦でヘマさえしなければ、どうなっていたのだろうと想像を巡らせます。正にタラレバですが、有利な条件で講和条約に持ち込む可能性は十分にあったのです。
作戦前、日本海軍の正式空母6隻対米空母2隻(実際は3隻)では、圧倒的に日本側が有利とされていましたが、情報戦に遅れを取り、ツキにも見放された日本側の損害は空母4隻と致命的でした。
米側の損害、いなかった筈の空母ヨークタウン一隻とは大きな差があります。ここで戦争の大勢は決してしまったようです。ターニングポイントはいきなりやって来たのです。
しかし、戦争は消耗戦とは言え、数千億円もするような船を壊し合うのは信じられません。もったいない限りです。人間がもう少し賢ければ、その力を違う方向に使っていたらと思わざるを得ません。
その後、数ある日本の危機の中でもバブルの崩壊は、日本経済の大きなターニングポイントになりました。今にして思えば下手な処理をしたものです。例えは適当とは言えませんが、リーマンショック後のアメリカや中国のように、大規模量的金融緩和で乗り切れたのではないでしょうか。デフレが解消されない今日を見れば明らかです。
その後の民主党による政権交代は政治のターニングポイントになりました。マスコミに乗せられたとは言え、日本国民は取り返しのつかない選択をしたのです。
自分の事で言えば、未だに夢にまで見るターニングポイントがあります。あの時に、違った処理さえしていれば、ここまで悔いる事はなかったのではないかと。。。
それは、忘れもしない7年前、ある暑い9月の晴れた日の事です。朝から気温は高いものの体調はよく、いい予感がしていました。ひょっとしてベストスコアが更新されるかもしれません。コースも好きな千葉のニュー南総ゴルフクラブです。
予感は的中し、インスタートの1番ホールからパーが続きます。5番で長いバーディパットを沈めると、残りホールも全てパーとし、前半はハーフベストの35を叩き出します。
後半も勢いは止まりません。1番、バーディ逃しのパーの後は、2番ロングでは1メートルを沈め、この時点で2アンダー、いよいよ期待は募ります。3番ショートを無難にパーで切り抜けると、続く4番(13番目のホール)はティーショットがトラブルながら6番アイアンによるリカバリーが完璧でパーとします。
水を入れての5番ホールは長めのミドルです。左引っかけが恐いのですが、好事間多し、案の定、深めの左ラフに打ち込んだ第二打はバッフィでチョロ、舞い上がった第3打もグリーンに届かず、何とこのホール、痛恨のトリプルボギーを叩いたのです。
緊張の糸が切れた残りホールは、ダボ2発を加え、結局35−42の77という自己ベストには遠く及ばない数字になりました。あの時の、あのホールに戻れるのであれば、寿命が少しくらい縮まってもいいなどと、考えるゴルファーは多いのではないでしょうか。
それにしても、そのノーボギーのラウンドと言うのは、後にも先にも一回だけです。アベレージゴルファーとしてはギネスものの、非常に稀な珍記録ではないでしょうか。
あの日をターニングポイントに、私のゴルフもその後、落ち目の一途を辿っています。女々しいタラ・レバの話でした。
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コメント
>太平洋戦争前の海軍力は質も考慮すれば対米で二倍の差があったと言います。航空母艦数も日本の方が多かったのです。ミッドウェイ海戦でヘマさえしなければ・・・
帝国海軍ミッドウェイ攻略機動部隊の発進した偵察機が迎え撃つ米機動部隊の上空近くを通過した際、彼らはちょうど低い雲の下にいました・・・私がヘマをしたばっかりにこの大作戦に負けたのです・・・と言う海軍パイロットの戦記を読んだ覚えがあります。勝敗は紙一重。
1965年のF1メキシコGPではホンダRA272改をドライブしたリッチー・ギンサーが初勝利。これは日本製のマシンとして、タイヤメーカーのグッドイヤー及びホンダ製エンジン/シャシーにとっても初勝利となり、記念すべきものとなりましたが、2位との差が0,2秒・・・勝敗は紙一重ですね。
投稿: かかし君 | 2011年7月31日 (日) 18時28分