正しい歴史認識を持つのは成熟した国家の証
今朝の日テレで、次期民主党代表候補の小沢鋭仁氏と馬淵澄夫氏が出ていました。二人とも増税反対派です。馬淵さんは景気対策として量的緩和まで示唆していましたが、至極まともに見えます。例によって最初だけかも知れませんが。。。(笑)
話は変わります。蒸し返すようですが、先日の李明博大統領の大韓民国66周年独立記念日における声明には心底がっかりしました。実業界で辣腕を振るった彼ならば、まして日本生まれという事もあり、ねじれた日韓関係をある程度修復する力があるのではと思っていたからです。
国民に正確な歴史を教える義務があるのはお互い様です。一方的な解釈、押しつけでは正常で信頼に足る二国間関係は築けません。どういう意図を持って日本から反発を買うしかない言葉を使ったのか謎です。短期的にも長期的にも技術や資金面で最も頼りになる相手に言う台詞とはとても思えないのです。
なぜ筆者が韓国に対して、このように追求姿勢をとるのか、疑問に感じる読者の方も多いかもしれません。半世紀以上も昔の話がベース故に、不確かな事に首を突っ込んで行くのは確かに危険です。下手をすれば墓穴を掘りかねません。
実は66年前の10月某日、筆者の母はソウル(当時の京城)から日本に引き上げて来ました。筆者の父でもある夫や祖父母と共にです。両親は結婚前から双方の父親のビジネスの関係で戦前よりソウルに生活の基盤をおいていたのです。
当時のソウルは日本の血税を投じ、インフラの整備が行き届いていました。近代的な大都会で治安もよく発展していたのです。朝鮮半島の人達とも仲良く共存していたと言います。もちろん差別などもなく、放送局に勤めていた母の同僚にも朝鮮人はいたのです。(PHOTOは1936年当時のソウルと水豊ダム)
同じ国の人間として、アジアの平和の為とまでは言わないまでも、共存共栄の為にに尽していた事に間違いはありません。その点で全く何の違和感もなかったのだそうです。
創氏改名にしても大多数は抵抗もなく、むしろ海外において当時のアジアの一等国である日本人と差別されないメリットは大きかったと言います。日本人との恋愛にさえ垣根はなく、結婚自体もあり得ない話ではなかったのです。
勿論、こそ泥の類いはいて、玄関の鍵を閉めていないと靴が盗まれるということはあったようです。貧困層も少なくはなく、日本人に対する雑用の代賃で生活をしていたと言います。しかしエリートに関しては出世の道は開かれていて、日本人との区別なく努力の甲斐は報われました。数多くある例が物語ります。
戦争末期にも米軍などによる空襲はなく、平和そのものだったと言います。しかし、その平穏な世界は突如として破られました。終戦を境に多くの朝鮮人は態度を一変させたのです。日本女性は本国へ引き上げるまでの間は隠れて暮らさなければなりませんでした。
しかし、その不安は米軍によって払拭されます。進駐して来た米軍は日本人に対しては紳士的で優しかったのだそうです。両親にも友人が出来て交流があったと言いますから、内地とは随分な違いではないでしょうか。
結局殆どの財産を失って日本に帰り着きますが、半島での思い出は決して悪いものではなかったようです。未だに懐かしく話をする事から分かります。母などは、熱烈ではないにせよ、韓流にも好感を持ちドラマなども見ているくらいですから。。。
以上の事から、賢明な読者の皆さんは既にお分かりだと思います。彼の国の戦後の傍若無人な振る舞いは日本人に対する裏切り以外の何ものでもありません。李大統領の言う正しい歴史とは何でしょうか。私は韓国側こそ、私情を交えず正確に学んで欲しいと願うのです。(下のPHOTOは日本統治前のソウル/上の画像と比べて下さい)
日本で言えば明治時代に当たります。顔料がなかったせいで着る物に色がありません。(PHOTOは http://peachy.xii.jp/korea/korea2.html#heigou からの引用です)
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コメント
反日教育と、それに手を貸した日本のマスゴミに成果でしょうか。
創氏改名も強制ではなかったですし、士官学校の主席卒業も差別がなかった証しですし。
近くに住んでいる帰化されたオモニがいうのには韓国軍事政権の時の方がは酷かったし、その前の併合時も差別は韓国人(当時韓国はなかったですが)同士の方があったとのこと。
私も若かりし頃、韓国大使館や韓国銀行などに出入りする仕事をしていましたが、むしろ良くしていただきました。
その後韓国内で反日教育が始まり、日本文化の流入阻止、世間を知らず韓国起源説、昔から独自文化がなく唐辛子だって本当は日本経由で入ったのに。(海外ではアイアム・ザパニーズって今でも言うらしいですが・・・)
そろそろお付き合いはほどほど以下にするのが良いのではないかと思います。
普通のお付き合い、支援まではもういらんでしょう。
結局は日本がしっかりとしていないことが一番の原因だと思いますが、大震災を機会に誰が友人か分かったし、誰が売国奴であるかもわかりました。次の選挙は、今回ミンスを選んだ方々は良く考えて欲しいと思いますね。って、自民も・・だし、役人も・・だし、国民の我々がもっと声をあげなきゃいかんですね。
投稿: ASO | 2011年8月20日 (土) 12時51分
鳩◎さんが“友愛”なんて言う前から、とっくの昔(大日本帝国時代)から日本は技術もお金も近隣外国へ差し上げて(投資?)いたのですね。韓国へは国家予算規模で鉄道/発電設備/学校/病院等山ほど建設したようですね。欧米白人帝国にならって植民地にしたかったのか?と思いましたが、結構日本と対等の人権とかも設定していたようです・・・で、日本が貧乏になっちゃったのなら、少し寂しい。八紘一宇(国家と世界が皆兄弟家族)が理想なのでしょうが、共産中国は軍備を二桁で毎年増強するのでヤナ予感・・・
投稿: Carly | 2011年8月21日 (日) 18時16分