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2012年1月 3日 (火)

下山の思想

正月の三ヶ日は、初詣以外は家で食っちゃあ酒を呑んで、ブログもサボってだらだらしていましたから、五感が弛緩しきっています。その感覚では無責任な事も書けませんが、テレビを見ていて引っかかる事がありましたので、むらむらっと反論したくなりました。(笑)

五木寛之氏がテレビで新著「下山の思想」をPR していましたが、その中の「再び世界の経済大国をめざす道はない」というフレーズに「なぜ???」と反応してしまったのです。

成長神話の呪縛を捨て、人間と国との新たな姿を示す画期的思想、というキャッチコピーも気に入りません。(笑)日本の潜在敵国、あるいは敵勢力にとって思うつぼです。日本の知識人がこれなら、日本の籠絡は簡単ではないでしょうか。

筆者は五木寛之氏のファンでもないし、著書も殆ど読んでいないので五木氏個人への批判や思想の否定をする気はありませんが、この本に限っていうならば、基本的な前提が間違っています。従って、間違った前提から導き出された答えに価値はない、と言わざるを得ません。

五木氏は歴史的に見ても、ポルトガルやスペインのような、かつて栄えた元先進国が下山していると言います。確かに栄枯盛衰は世の習いですが、ポルトガルやスペインが先進国だったというのは本当でしょうか。

軍事的に強かった事は確かかもしれませんが、国内に強い産業や技術があったという話は聞いた事がないのです。一時的に栄えたのは丸腰の植民地から富を収奪する事が出来たからではないでしょうか。

オランダや英国の台頭、あるいは植民地政策の失敗から植民地を失って必然的に没落しましたが、日本と同列に扱うのは大きな間違いです。日本は技術力と、それを製品にする産業の力、すなわち供給力で発展して来ました。これが強い経済の源泉です。植民地から何かを収奪して発展した歴史はありません。

もっと気に入らないのは日本がピークを過ぎた成熟国と思っている事です。戦前の1929年にも同じような事を言った人がいます。もう日本は行き着くところまで行ったので、新たな道を模索すべき、だと思って戦争をした訳でもないのでしょうが、相対的上位に来た時に錯覚として、そう思い込む傾向は昔からあるのです。

先日も言いましたように人類は永遠の発展途上です。従って日本は成熟国家でもないし経済大国への道が閉ざされた訳でもありません。まして下山しなければならない程落ち目でもないのです。

経済は未だに一流だからこそ、基軸通貨としての立場が危ういドルに信任を与えるポジションにいますしユーロや元を支えています。これで言われるように円が落ち目なら世界経済はガタガタではないでしょうか。かろうじて大恐慌に至らないのは日本の存在感が大きいからです。

世界に散らばった日本の技術と潜在供給力が、スタンバイして睨みを利かしているからこそ、ヘッジファンド等の金融資本が世界を壊滅的に破壊しない範囲でしか跳梁跋扈出来ないのです。

それにはデフレという日本のシチュエーションが一役買っている事も確かです。潜在供給力が見えないというのは、格闘技で、戦う相手にどんな隠し技があるのか分からない事に似ています。思い切った技がかけられないのです

いずれにしても世界も日本も、エネルギー問題や環境問題で、この中途半端なシチュエーションに甘んじる訳にはいきません。まだまだ技術革新と経済発展を通じて、地球と共存出来る体制作りをしなければならないのです。

それを達成した暁には、高見から振り返って、人によっては下山してみるのも一興かも知れません。100年や200年先に、そういう時代が訪れるとも思えませんが。。。

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コメント

≫ 「人類は永遠に発展途上です」

・・・なので、五木寛之氏の日本下山論は根本的に間違いと断定しちゃいます。

ただし、彼の瑞々しいしい感性と、文学的香りを否定するつもりは全くありません。例えば私は40年程前に週刊誌≪平凡パンチ≫に連載された小説≪青年は荒野を目指す≫を食い入るように読んで、人にとって音楽とか芸術とは何か? 性愛とは何だろう、人間とは、放浪とは? 荒野をめざす一人の青年のヨーロッパ放浪旅行記を読んで、随分と希望を与えてくれたのは彼ですし。
ハインライン、アイザック・アシモフなどの世界中にあるSFとかを読んでいたら、もっとドライに自然科学的に人類を見ることが出来るのにね!

投稿: AZ生 | 2012年1月 3日 (火) 18時12分

五木氏は
「国家における奢侈と文化の欄熟は、明らかにその国の衰微の兆候である。なぜなら、個人が皆自己の利害に執着し、公共の利益には背を向けるからだ……ラ・ロシュフコー」というような意味で言ったのかもしれませんが、そこで下山というのはやはり妙ですね。
それならば国民一人一人がブータンのワンチュク国王の言うような「人格という龍を育てる」国になれば良いのだと思います。

精神(魂)の成長は永遠だ…というわけですね。

投稿: 冬 | 2012年1月 7日 (土) 00時56分

≫ 精神(魂)の成長は永遠だ…というわけですね。

・・・多分、物理的存在としての肉体と精神とで人間を構成していると仮定すると、肉体の生理的な有限を考えると、精神とか理念観念を無限と考える事が心の自由を獲得し、一個人の自立、偏向マスコミからの洗脳を防ぐ為には大切なのでしょうね。又国家とか民族とかのコンセプト(理想像、方向性)を共有する事が大切なのですが、現政府は国家ビジョンが見当たらない、聞いたこともありません。

ちょっと脱線します。キリスト教/仏教/神道などの各種宗教は個人の精神的安定を図る為に先人が発明したのが発生理由と思われますが、とかく権力者が宗教をうまく使って、国家の繁栄(他国への侵略)に使って来た中世以降の世界史に枚挙にいとまがないでしょう、十字軍のエルサレム奪回とか。。。仏教/神道の国が他国を侵略した例は見当たりません。タイ/ミャンマーなどがそうですね、日本も防衛の為の戦しかやったことがありません。あ、これ以上の論議はやめましょう、ややこしくなりますから。
21世紀は水瓶座(英知、知性、人類愛)の時代になるかも・・・と期待していましたがマダマダどたばたが続きそうです。今年こそは良い方向に前進したいですね。

投稿: AZ生 | 2012年1月 7日 (土) 04時15分

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