歴史は繰り返さない(後編)
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昨日の記事の続きはどうなるのかと、興味を持たれた方は多いのではないでしょうか。ところが、よ〜く考えてみると、そこから先は未だよく考えていなかったのです。ハードルを上げてしまった感は否めません。(笑)
書きながら、長くなりそうなので「続く」としましたが、全くの、仮想の域を出ない話は説得力がないし、面白くもありません。後半は少し時間をかけて検討をする必要がありそうです。従って今回は、取りあえずぼかしておきます。
それにしても、自律的成長が可能な欧米や日本が不況になったり経済成長が止まるのは妙な話です。反対にBRICS 諸国が先進諸国を尻目に高成長をするなんて事は、どう考えても不可思議と言わざるを得ません。それらの国は基本的には資源国です。歴史的に見て資源国が高付加価値創造国になった試しなどないのです。
筆者は、失礼ながらインドを見て、ある種の確信を得ました。とても繊細で緻密な作業が出来る環境ではないし、メンタリティ的にも、自己犠牲的に集団の為に何かを成す空気が存在するとは思えないのです。主に地理的背景がそうさせるのではないでしょうか。(間違っていたらご免なさい/笑)
従って、歴史が繰り返すのであれば、BRICS 諸国のいずれかが覇権を取る事はあり得ません。もし、派遣国となったならば、それは見えない外的要因が働いたと見るべきです。その場合、「歴史は繰り返さない」のです。
日本の場合、歴史を繰り返させない為には、抑止力と言う点で、強力な軍事力、政治力が必要である事は言うまでもありません。そんな日がいつやって来るのか、甚だ疑問と言わざるを得ないのですが、TPP に参加をするようでは半永久的に、その可能性が失われるでしょう。
さて、このところクルマの暴走による犠牲者が多く出ているようですが、こういうニュースを聞くたびに行政の無策を呪います。危険な道路が多すぎるのです。とても何千万台ものクルマを走らせる環境ではありません。
年に5〜6千人もの犠牲を出しながら、放置している神経は理解出来るものではないです。ところが、住めない土地を作ることはありますが、年に一人の犠牲も出さない原発に対しては異様に神経質です。目に見えない怖さの方が恐怖感が強いと見えます。
放射能の問題だけは、素人に判断出来ません。しかしながら、同じ土俵に専門家も素人も、あるいは工作員まで混じって(笑)議論百出なのは違和感があります。専門家中の専門家に判断を委ねたいのですが、悲しいかな、それが誰だか、さっぱり分からないのです。
しかし、廃炉にするにも、その過程での危険は排除出来ないと言います。つまり、一気にリスクゼロは望めないのです。ならば、地元の賛同が得られるかどうかというデリケートな問題は残しますが、段階的縮小の中で、安全度の高いものに関しては、必要最低限の稼働を選択肢として残すべきではないでしょうか。
その賢明な選択が出来なければ、魑魅魍魎共が推進する、コスト的には大いに疑問で、しかもそれが国民に転嫁されかねないメガソーラー構想などがはびこります。購入価格が1キロワットあたり42円(税込み)になりそうだという事ですが、喜ぶBKD共 の顔が浮かぶようです。
ここにも国民不在の非日的圧力が働いていますが、ここだけは歴史を繰り返させてはいけないのです。
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コメント
> 歴史は繰り返さない
・・・そうです。歴史は自らが建設する為に有るようです。反日害国勢のキツネやたぬき、北の白熊やドジョウをぶっ飛ばしましょう! <天は自ら助くる者を助ける>あの~皆でやれば怖くない・・・ですよね。
投稿: AZ生 | 2012年4月24日 (火) 16時14分