新興国は先進国を追い抜くことができるか(?)
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行政なり経営者なりの特別な意図がなくとも時代とともに世界は自ずと変わっていくものですが、それを「変えない」ために積極的に介入しようとする人もいて、こうした振る舞いがしばしば日本では「改革」と受け止められてきたのではないでしょうかね。例えば新興国の台頭で日本の製造業の国際競争力に陰りが見えてきたときに、先進国型の高付加価値産業へシフトするのではなく、あくまで製造業中心の新興国型の経済モデルを「変えない」ために労働/雇用の規制を緩和して賃金抑制を支援するような「改革」等々。
ある匿名ブログのようですが、ユニクロを批判していましたので注目しました。その記事自体は、批判の矛先がイメージと違って、がっかりしたのですが、上記のフレーズには、すっごく引っかかったのです。(笑)
特にアンダーラインのところは、一見すると一理ありそうなのですが、非常に危険な考え方と言えます。この場合の高付加価値とは何をイメージしているのでしょうか。恐らく IT 関連や、形の見えない何かをイメージしているのではないかと思うのですが、それが経済の主役になる事などあり得ません。
この人が錯覚しているのは、日本などの先進国が有する製造業の技術や供給力が、新興国に追いつかれると思っている事です。後から後から出て来る新興国によってトコロテン式に先進国が追いつかれ、追い越されて行くというのは大いなる錯覚と言わざるを得ません。
ちょっと考えれば分かりますが、日常生活に最低限度必要とされるコモディティ(一般消費財)に関しては、各国、違いこそあれ、長い歴史に裏打ちされた確かなものはあります。しかしながら、それ以上の高付加価値系消費材に関しては、もの凄い差があるのです。
これは一朝一夕には追いつけません。なぜなら概念や技術の文化的、歴史的積み重ねと、莫大な開発予算が必要だからです。従って、相対的表現にはなりますが、高付加価値商品を生み出せる国は、世界広しと言えども欧米の数カ国と日本しかないのです。
新興国と言われる国は、それら先進国の企業が直接投資して産業を興しているに過ぎません。独自に産業を興す場合もありますが、気が遠くなるくらいレベルに差があります。従って、先進国からの支援がなければ成り立たなくなる事は明らかです。
つまり、何が言いたいのかと言いますと、既に世界で一番の座を獲得している日本の製造業が、新興国に追いつかれ追い越される事などあり得ないという事です。まともなら、その差は、ほぼ永遠に埋まらないでしょう。
新日鉄とポスコの例をとっても、方向性電磁鋼板の技術に関し、ポスコは10年で30億円もかけたからオリジナルだと言います。しかし新日鉄に言わせると数十年で数百億円の開発費だと言うのです。米から供与された基本技術の上に、それくらいの時間と費用がかかっている訳です。
もの言えば唇なんとやらで、語るに落ちていると言わざるを得ないのですが、つまり、それくらいかけなければ重工業の世界で一番の技術を開発する事など出来ないという事です。しかし、現実にはテレビや半導体で抜かれたではないか、と言われるでしょう。その見方こそが浅いのです。(笑)
一見、表面的には同じように見えても、内容を精査すると全く別ものである事が分かります。例えば液晶テレビなどの電気製品の場合、日本と韓国で世界の大半のシェアを握りますが、なんで日本と韓国だけなのでしょうか(?)
(液晶テレビシェア2011年)
他の国は(?)「追いつき追い越される」理論と矛盾します。まあ、そうは言っても中国などが近い将来に接近して来る事は否定しません。なぜでしょうか。それは、日本が近くにあるからです。
日本の電子部品も含めた生産財、資本財を使い、誰かがデザインして賃金の安い人が組み立てれば、一応商品としての格好はつきますから、生産自体難しい事ではありません。品質を問わなければ、ある程度のシェアも取るのではないでしょうか。
そういう、技術漏洩も含め、後から来て美味しいところだけをさらう、お手軽なやり方に対し、先進国は血の滲むような開発努力と、緻密な生産システムを構築します。特に日本の強みは、巨大な垂直統合型産業構造を国内に有する事です。出来る限り他国に頼らない自立したやり方です。
シャープなどは最後の最後まで社内での垂直統合型にこだわりました。技術の蓄積、利益率の確保、供給の安定化、品質の維持等の点でアドバンテージがあるからです。ここまでのこだわりを持つ民族は日本人とドイツ人くらいしかいないのではないでしょうか。
残念ながらシャープは新興国による価格破壊という自爆攻撃の前に、台湾メーカーと組まざるを得なくなりましたが、断腸の思いであった事は想像に難くありません。国際水平分業型企業モデルへの一歩を踏み出した事になります。
テーマの答えは既に述べられていますが、新興国型と先進国型の違いはそこにあります。先進国は最終消費財メーカーを頂点とし、数多いサプライヤーによって構成される分厚いピラミッド型産業構造を国内に持ちます。歴史の浅い新興国には、それは望めません。従って極端に言えば、組み立てメーカーと販社のみの構成となります。
その場合、重要部品は海外から調達する事になりますから、生産財輸入が多い事が特徴です。韓国が日本に対して年間2〜3兆円もの貿易赤字を抱えるのは、この事によります。つまり自国内にピラミッドの裾野がないので、他国から部品や素材を調達せざるを得ないのです。半導体の場合は、製造装置まで日本などから輸入します。
その結果、輸出と輸入が連動して増える事になります。いつまで経っても経常黒字国になれない所以です。それをサポートするのは金融ですが、常に外貨の乏しい韓国への金融サポートは、なぜか被害者の日本が熱心にやっているというバカバカしい事実が存在します。
結局、世界を相手にしている限りは、この循環は抜け出せません。で、話は昨日の記事や、「ガラパゴスへの誘惑」へと続いて行く訳ですね。つまり、世界がまともであれば、日本の一人勝ちになります。ところが結果として、経常赤字国の山を作っても、日本が自腹を切って助けるのであれば意味がありません。国民はいつまで経っても裕福にはなれないです。
ならば胡散臭い世界と付き合うのは限定的にし、ソフト鎖国でも何でもして内需を拡大すればいいのではないでしょうか。こちらはゼロサムでなく、無限に需要と供給が拡大して行くポテンシャルがあるのですから。
補足説明しますが、筆者はけっして新興国の人に能力がないと言っている訳ではありません。そんな能力を発揮する必要のない環境にいれば、日本人だって数世代の後にはヤシの木陰でビールでも飲んで、昼寝しながらのんびり過ごしている事でしょう。(笑)
環境が人を作り、その人が付加価値を作ります。その経験がDNAとなり、さらに高付加価値化して行く循環にはまれば、その人達は世界に貢献する事が宿命づけられていると言って過言ではないでしょう。
好むと好まざるとに関わらず、その役割を担うのが日本です。従って、日本の独立性、アイデンティティを守らなければ、結局は地球を守れない事になります。
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