恩讐の彼方にあるもの(前編)
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韓国朴大統領の告げ口外交は止まるところを知らず、また韓国官民あげての世界中での反日活動、反日プロパガンダも激化の一途を辿っているように見えます。なぜ彼らは日本を異常なまでに敵視するのでしょうか。まるでストーカーのようです。
とある保守系経済ブログでは、最近の韓国の一連の行動に対し「いい加減にうんざりする。未来志向でない、こういうやり方は何のメリットもないし解決にもならない」と苦言を呈します。
しかし彼はまた、日本が戦前、戦中に朝鮮半島に対し酷い事をしたというのも事実であると信じているようです。それは、「よく日本はいい事しかしなかったという人がいるが、そんな事はない。それならなぜ歴代首相や政府要人が謝るのか」と言う言葉に現れています。
裏を考えない素直過ぎる日本人らしいコメントです。この人はまた、韓国南大門で見た、日本人による閔妃殺害の絵を事実だと信じているのですが、どこまで人がいいのかビックリしてしまいます。しかしこれが平均的日本人かもしれません。
日本統治前の朝鮮半島はと言えば、国家の体をなしてなかった事は明らかです。李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃・閔妃らの圧政に苦しむ一般庶民は日本による併合を、むしろ望んでいたと言われています。
1985年、日本が日清戦争に勝利し清国からの影響を排除、大韓帝国として独立を果たすもののソ連の南下政策に脅かされる事になります。安全保障上、ソ連の進出を嫌っていた日本にとって朝鮮半島の親日化は喫緊の課題でした。
1910年、結局併合という形を取りますが、欧米植民地主義的な領土的野心がなかった事は確かではないでしょうか。この併合が日本の一方的なものでなかった証拠に、国際世論、特に米が日本による朝鮮保護が東アジアの安定に貢献すると評価、支持したといういきさつがあります。
つまり、半島は地政学的にも防共の為の砦、あるいは緩衝地帯という見方が正しいのです。従って植民地支配よりは同じ反共の東洋人としての共存、共闘を画策したものと思われます。
ともあれ、本土に準ずるインフラの整備や教育方針を見ても、日本が明治維新後に辿った概念を半島に持ち込み富国強兵殖産興業に邁進した事は明らかです。台湾に対しても同じように融和、穏健策が採られ、経済的にも発展したのはご存知の通りです。
さて、時は1941年12月8日、日本軍が真珠湾を攻撃し、米の参戦で世界大戦の火ぶたが切って落とされました。緒戦に於いては日本軍の連戦連勝で日本統治下の朝鮮半島でも連日のように華々しい戦果が報道されていたと言います。今日はその頃の話をしましょう。
事実に基づいたノンフィクション仕立てのフィクションです。(笑)
朝鮮放送局で日本語のゲスト講師をしていた洋子は電車で単身通勤をしていた。洋子の父は京城(ソウル)で商店を経営していたが、商売そのものは順調だったと言う。洋子は13才の頃から父に連れられ京城に来ていたが、町は近代化された都会で気に入っていたのだ。
朝鮮人達も大半は素朴な感じで敵対意識は感じられない。むしろ親切にされる事で負担に感じる程だったと言う。そんな洋子も年頃となり、男達が接近して来た。その中で、ちょっと遊び人風だったが背が高く、当時で言うハイカラな船員、幸一のひたむきさにほだされ、次第に好意を持つことになる。
(日本のミニチュアの三越デパート/左、第一銀行本店/右)
幸一の父親はある大手商社の京城支社幹部社員だった。その関係で、やはり幼少の頃から京城に住んでいる。その頃の京城は小東京とも言える小洒落た街で、治安も悪くなかった。尤も、警察官の大半は朝鮮人であったため、日本が統治していると言う実感さえなかったのだ。
洋子は通勤の途中である男の事を考えていた。朝鮮人の同僚であった彼は洋子に横恋慕していたのだ。そのため何かにつけて接近して来る。今で言うストーカーほどではないが、会社の帰りに家まで送ると言ってきかないのには閉口していた。
洋子が幸一と婚約をした時には、その男は驚いた事に人前もはばからずに号泣したと言う。日本人の男では考えられない。洋子は朝鮮人と結婚した古い友人を思い出し、どうしているのかと案じざるを得なかった。当時はそういう例も珍しくはなかったようだ。
(イメージ画像)
戦争は激しさを増し、幸一の乗った輸送船も米爆撃機の攻撃により撃沈された。幸いパラオに停泊中であった為、海に投げ出されたものの陸地に逃げ込み難は逃れたのだが、二日にわたる延べ数千機もの空襲で身動きが取れない。ジャングルの泥水をすすって喉の渇きを癒すしかなかった。その時の水が原因かアメーバ赤痢にかかり体調を崩した幸一は京城の我が家に戻る事となる。
戦時中だというのに京城は平和そのものだった。食料も十分にあり、特に不自由する事はなかったと言う。しばらくの静養のあと、幸一は友人の勧めで逓信局への転職が決まった。これであの魚雷の恐怖から逃れられると思うと体の力が抜けて行く。毎晩のように空襲の悪夢に悩まされる事もなくなるだろう。
前戦の兵士達や船乗り仲間にはすまない気がしたが、洋子や家族の為にも通信士としての地上勤務を決断したのである。しばらくして幸一と洋子は結婚式を挙げた。新しい所帯は岡崎町の一角にある広い官舎が与えられたと言う。
その地域には朝鮮人の金持ち階級である両班(ヤンバン)も住んでいて広大な敷地に大層立派な家が建っていたらしい。晴れた日には庭に大勢の、派手なチマチョゴリで着飾った若い女性たちが楽しそうに茶会のような事をしていた。
(この女性達が両班の妾という訳ではありません。イメージ画像です。)
洋子は、漠然とお妾さんが大勢いるのだろうと思っていたが、あながち間違ってはいないのではないだろうか。それ程自由で豊かな生活がここにはあった。日本本土が空襲の恐怖に苛まれていたのとは大きな違いだ。
幸一と洋子の、そんな幸せな日々も長くは続かなかった。いきなり終戦の日がやって来たのだ。さすがにこれは青天の霹靂だった。戦況が不利な事は分かってはいたが、まさか日本が敗れるとは思ってもみなかったのだ。
洋子は玉音放送は外出していて聞かなかったが、家族の引きつった表情を見てただ事ではないと思ったと言う。色々な流言飛語が飛び交った。ソ連兵が来るかもしれないから若い女は天井裏に隠せ、丸坊主にした方が良い、米軍はいつ上陸して来るのだろうか、米軍も乱暴なのか?皆不安は隠せない。
長くなりますので次回に続きます。。
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