日本の年輪、風雪150年(後編の1)
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正月のテレビを見ていて印象に残ったのは明治維新前後を時代背景とした別子銅山の話です。近代化、機械化を提言する広瀬宰平は住友家の同族でもないのに38歳の若さで別子銅山の総支配人となり、50歳で総理代人に指名され経営を任されます。
興味深かったのは、フランス人技師を招聘して銅山の近代化プランを作らせますが、実際の作業は日本人が技術を学び日本人の手で成し遂げるところです。そのフランス人技師ラロックをあっさりとクビにしてしまうのです。尤も、年俸が今の価値で言えば7億2千万円と言いますから、ふっかけ過ぎと言われても仕方ありません。
結局10年の作業計画が19年もかかってしまいますが、外国人に任せていたのではいつまで経っても独り立ち出来ません。激動の時代に国家100年の計を標榜する広瀬は、銅や鉄を日本独自で精錬、量産出来ずして日本の未来なしと、敢然と難題に立ち向かって行くのです。
ん〜〜まず国家ありきですか。昔は偉い人がいましたねえ。技術は盗むもの、あるいは人ごと会社ごと買えばいいと嘯くどこかの国とは大違いです。(笑)広瀬宰平のような人物が日本に何人もいたからこそ維新後の奇跡的な近代化が実現したのでしょう。
さて、そういう時代背景の下、日本は防衛ラインを朝鮮半島に置き、亊あるごとに朝鮮に干渉して来る大国(清、ロシア)とぶつかります。まず組織力がなく士気も低い清軍に日清戦争で圧勝し、さらに10年後には南下して来るロシアと国家存亡をかけて戦う事になるのです。回り始めた歯車を止めることはもう出来ません。
ところが、勝ち目が殆どないと思われた戦いに日本は勝利します。英米からの支援や時の運があったにせよ、日本がこの戦いに勝利出来たのは、ある程度の力(技術力を背景とした軍事力)をつけていたからです。
例えば下瀬火薬はロシア軍の想像を絶する破壊力でした。あっという間に世界最強のバルチック艦隊を全滅させ世界を震撼させた事は日本人でさえ信じられない出来事だったでしょう。
その後第一次大戦を経て、ご存知零戦や巨大戦艦大和の時代を迎えますが、防御はともかく戦闘能力だけは世界でも一流となっていきます。量を制限された事により質を磨きました。ただ、攻撃は最大の防御なりという考えに偏り過ぎたのか、防御をおろそかにした誹りは免れません。それでも戦い方次第では相手が米と言えども勝機は十分にあったのではないでしょうか。
(先日YouTube を見ていたら私が描いた大和の絵が無断で使われているのを発見しました。内容的には問題ないようなので黙認する事にします。)
https://www.youtube.com/watch?v=2dXjF45cspQ
大鑑巨砲主義で時代遅れと言われた大和、武蔵にしても大口径主砲による艦砲射撃の威力は絶大です。ミッドウェイ海戦の時に敵空母攻撃は艦載機に任せ、戦艦部隊が基地を叩くという作戦が実行されていたなら戦局も変わっていたかもしれません。実際には連合艦隊司令長官山本五十六が乗艦する旗艦大和は空母部隊のはるか後方にいて戦闘には一切参加しなかったと言いますから、正に宝の持ち腐れでした。
話は前後しますが、日露戦争で勝利した日本は賠償金こそ得られなかったものの南満州に一定の利権を持つ事になります。当時としては当然の事でしょう。その頃の清は弱体化し、さらに辛亥革命後は群雄割拠で国としての体を成しません。日本がその間隙を縫って満州全域での間接支配を画策したとしても、誰に咎める権利があると言うのでしょうか。
日本は五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)の理念の下、満州国の近代化に自らの投資により取りかかります。正に理想郷の誕生です。大東亜共栄圏が現実味を帯びてきました。ところが、世界にそれを好ましく思わない国、勢力がいない筈はありません。満州国は国際連盟の場では国家として承認されず、日本は国際連盟脱退を余儀なくされる事になります。
そこから日本の最も厳しい苦難の時代が始まりますが、まずロシア(当時ソ連)が世界に散らばらせたスパイ(コミンテルン)を使って日本に奸計を廻らせたのは有名な話です。ハルノートのハルさんも実はコミンテルンだったようで、満州利権を狙っていた米も少なからずコミンテルンの影響を受けていました。
日中戦争のきっかけになる事件、事変もコミンテルンが裏で手を回していたと言われています。一方的に日本軍が仕掛けた戦争ではないようです。それでもイケイケの関東軍相手ですから火の手を上げる事は容易だったのかもしれません。その辺りは検証のしようがありませんが、当時既に事後政府承認で動いていた関東軍に全く非がなかったと言うには、ちょっと無理があるような気がします。
ともあれ、日独防共協定を結んでいた筈のドイツでさえ、軍事顧問団を蒋介石の国民党軍に参加させ、日本軍攻撃を指導するという信じ難い裏切り行為に出ます。米は米でフライイングタイガースという航空機百機からなる援軍を卑怯にも義勇軍の名目で、これまた国民党軍に参加させていたのです。
騙し討ちはどっちやねん。しっかりフライイングしとるやないか。(笑)
その他、援蒋ルートを通じた米英仏ソによる国民党軍支援も公然と行われていました。正に日本は孤立無援、四面楚歌の中での戦いを強いられる事になります。そこへABCD包囲網が構築され、さらにハルノートでダメを押される訳ですから、残された選択肢は戦争しかなかったと言っても過言ではないでしょう。
つまり白人による世界秩序を守りたい人種差別国家群と、それに異を唱える有色人種の雄がぶつかるという歴史の必然がそこに存在したのです。
当時の常識で言えば、何も悪い事をしていない日本が寄ってたかって痛めつけられる訳ですから、座して死を待つより、戦って討ち死にを選んだとしても責める訳にはいきません。マッカーサーが言う日本の自衛の為の戦いの火ぶたは、真珠湾奇襲攻撃により切って落とされたのです。
ところで話は変わりますが、昨年の終戦記念日に靖国神社参拝した際、参道中央で弁論の催しが行われていました。通りかかるとインド人の若者が大勢参加していて何かを訴えているようです。
そこで通訳の声を注意して聞くと「今まで嘘の歴史を教えられて来たが、チャンドラ・ボースが言うところの歴史の真実は、この靖国神社にある事が分かった」などと言っているようです。
その時、私の脳裏に浮かんだのは「いずれ靖国神社は有色人種、特にアジア人の心のメッカになるかもしれない」という事です。
アメリカにとって日本人が犯した最大の罪は、アジア主義の旗を掲げ、有色民族に誇りを抱かせることによって白人の誇りを貶めたことだった。(ジェラルド・ホーン)
大東亜戦争初期に東南アジアや香港から日本軍によって追い出された白人植民地主義国家が一番恐れたのは、それまで数百年に渡って虐げ、搾取し続けて来た有色人種に対する犯罪を追究される事です。現地人の目の前で日本軍にぼろ負けしたのですからその権威は地に落ちています。二度と敬われる事もなければ支配する事も叶いません。
そのショックは致命的に大きく、何とかしてその事実は隠さなければならない、あるいは後世に伝えてはならないという一心で白人国家は嘘の上塗りを続ける事になるのです。つまり人種戦争をした日本は侵略国家、戦争犯罪国家でアジア人を虐殺した、そうプロパガンダをする必要に迫られた訳です。
その策略に易々と乗っているのがKの国とCの国という訳で、白人支配者階級の手先となって必死に日本を叩いています。何とも哀れで滑稽で、愚かな話ではないでしょうか。果たしてこれらの国が目を覚ます事などあるのだろうか。尤も、その前に自虐史観に浸っている日本を何とかしなければ。(笑)
(この話予定より長くなりますが、さらに続きます)
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コメント
靖国神社がアジア人の聖地、有色人種の聖地になる時がやがて来るに決まっています。
投稿: 八丈島 | 2016年1月 6日 (水) 19時36分
歌舞伎の台詞ではありませんが「戦後の汚名を晴らさで死なりょうか」キリー
今の日本人の多くが白人たちの日本への怨念を知らず英国、蘭国、仏国、等へ無防備で近付くのは危険です。戦後、欧州の主だった国は日本のせいでその多くの植民地を失い、収奪による繁栄を失いました。特に上流階級の怨念を理解すべきです。
我が国は、たとえ彼らがリビジョニスト、歴史修正主義者と言おうとも、間違った歴史は修正していく必要があります。
英国のチャーチルは何代か前の先祖の、間違って言われた不名誉を修正すべく頑張って、それを成し遂げたことでも評価されています。我々にできないはずは有りません。
投稿: ナベ | 2016年1月 6日 (水) 20時12分
靖国神社へは、1月7日に参拝致しました、5年ぶりの日本であり、靖国参拝です。遊就館でも零戦五二型(A6M5)の展示を拝観させて頂きました。日本刀の展示会も参観させて頂きましたが之も入場無料。私と家内とでは別行動で7年ぶりの再会・お食事会を奥様会(?)で楽しんだ様です。彼女たちの待ち合わせ場所は九段下側の大鳥居の所。最近は一礼してくぐるのが定着しているとの事です。 そうなのか、日本の心が蘇えりつつ有るようですね。
投稿: AZ生 | 2016年2月17日 (水) 18時35分