ズバリ、完全自動運転車はどうなる?
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トランプ大統領の日本車叩きが止まらないようですが、製造業の重要性を本能的に感じているのでしょうか。それにしても身勝手な論理です。日本の貢献を無視して「日本には米からの輸入を妨げる障壁がある」と言うのですからメチャクチャです。アメ車だけ差別したりしませんよ。実際ドイツ車は売れています。
ゴリ押しすれば日本でアメ車が売れるとでも思っているのでしょうか。買う買わないは日本人の勝手です。自分の生活を犠牲にしてまで買う魅力が米車にあれば話は別ですが。。ちょっと頭の中を覗いてみたくなりました。別に日本だけでなく世界中で売れていませんから。。(笑)現地生産分の中国製アメ車は除く。
(最新のフォード・マスタング、最近はスタイリングは悪くないのだが、なんせでかい。立体駐車場には入らない。燃費も・・いい訳がない。)
さて前回の続きになります。マスコミは電気自動車がもてはやされると電機会社がクルマを作るようになると言ったり、自動運転が話題に上ると今度はITやコンピューターの会社がクルマを作るようになるなどと無責任に囃し立てます。
まあ軽いのなんのって、最近のユニクロのダウンジャケットより軽いです。(笑)自動車作りはそんなあまいものじゃございません。膨大なデータ、経験を元にしたノウハウの塊だというのが分かっていないようです。
その肝はスペックに表れないところにこそあります。つまり感覚の世界なのです。数字に表れる加速性能や最高速度、あるいは燃費などはクルマの性能のほんの一部に過ぎません。安全性、快適性などの目に見えないところに神は宿るのです。(笑)そこは幅広く、とてつもなく深い領域と言えます。終着点が見えないと言っても過言ではありません。
自動車は家電などと違って、まず動き廻ります。さらに全く異なる分野、ジャンルから数万点に上る部品を集めて来てひとつの思想コンセプトに収斂、インテグレートさせていく特異な製品です。走る芸術作品とさえ言えるでしょう。
(ボルボの最新型V90、なかなか格好いいです。)
上手く言えませんが、とにかく最近のはすごいんです。(笑)見え方も含め、甘味な世界を演出、提案してくれます。メーカーはそのワールドをオリジナルでどう表現していくかの競争をしていると言っても過言ではありません。昔のように数字に表れる性能だけで売れている訳ではないのです。
そういう高い次元にまで昇華された優れた製品に乗っていると自分も偉くなったような気がしたりします。時々いますよね。某ドイツ車に乗って、そこどけそこどけって、えらい勢いでぶっ飛ばして来る輩が。。錯覚以外の何ものでもないのですが、分をわきまえないというのは恐ろしいです。心して乗りましょう。(笑)
そこで思うのですが、完全自動運転になれば、保有台数は減っていくなどと言われていますが本当でしょうか。その場合わざわざクルマを買わずシェアするようになるので使用効率が極端によくなり、必然台数は減るだろうというのが根拠のようです。
しかしながら、それで所有欲は満たされません。そこはどう考えているのでしょうか? 私などのクルマ好きから見れば自動運転になろうがマニュアルだろうが、それは購入か否かの大きな判断材料にはなり得ないのです。
クルマはファッショナブルアイテムであり、シンボリックツールでもあります。つまりある意味服装と同じで自分を演出する道具のひとつなのです。イメージしましょうか。さっそうとゴルフ場に乗り付ける自分の姿を。。
大衆化したとは言え、元祖ハイソ系スポーツだけに背後に家族を感じさせるクルマでは格好つきません。かなりスポーティでないと具合が悪いです。タイトでしなやかで、引き締まった筋肉を連想させるようなボディデザイン、色は派手目でも構わないでしょう。これに乗っている人はシングルかな?って思わせるような。。(笑)
何かの記念日に、レストランで食事を家族とするにはフォーマルなセダン、色も濃いめが相応しいかもしれません。あるいは通勤で同僚に差をつけるにはタウンユースの斬新なライトデューティSUV、奥様のお買い物には小型ながらお洒落な赤いクーペ?あるいはミニのようなツートンカラーのアーバンコミューターでしょうか。
(日本で根強い人気のあるミニ、おねえさんではないですよ。そっちはミニではなく短パン、念のため。)
家族でピクニックやドライブに出かけるには子煩悩で家族思いのパパに見える小洒落たミニバン、あるいはリッチなステーションワゴン、明るいメタリックカラーが知的ファミリーの虚栄心をくすぐります。 キャンプにはカーキ色とまでは言いませんが、オフロードタイプのいかついSUVが幅を利かせるでしょう。その他色々。。
全てのシーンでの最適は無理だろうって? そりゃそうです。従って、どのシーンで自分を主張したいかで決まるのです。他のシーンは我慢しましょうか。(笑)だからこそ一台を選ぶ時に神経を集中して全力を傾ける訳です。そういう商品て他にありますか?
そういう訳で、私は例え完全自動が出来たとしても全ての自動車が自動運転になりシェアするようにはならないと見ています。自分が主体で動かすクルマは必ず一定数は残るのではないでしょうか。衝突回避のデバイスくらいは標準にすればいいです。自動は今で言うところのレベル2(半自動)で十分という人は多いような気がします。
もちろん商業車や公共の乗り物などは完全自動でも問題ないし、老人向けにはパーソナル完全自動運転車があってしかるべきです。そこは誰も反対しません。問題は、ドアツードアで100%の安全を保障するという、そんな都合のいい乗りものが果たして出来るのか、です。
結論から言いますと、見通しはかなり暗いと言わざるを得ません。不測の事態に全て対応する事は至難の業です。それでも人間が運転するより確率の点に於いて、はるかに安全なのですが、人はそれで納得しません。
そういうもんです。自分だけは事故を起こさないと思うから今でも乗っているので(笑)自分や家族にも重大な事故が起きると思ったら乗りません。人は勝手なもので、その自分以上の完璧さを自動運転車に要求するでしょう。
また人混みに突入した場合の人との間の、阿吽の呼吸をAIに求めるのも酷な気がします。安全値の見方が人間とは差があるからです。100%接触を避けるならフリーズしかねません。それらを全てクリアしたとしても、事故はなくならないものです。そう考えた時に100%製造者の責任になる商品を誰が造るでしょうか。
インフラとセットなら可能かもしれません。人や自転車と接することが出来ない全天候型専用道路を全国に張り巡らせば可能でしょう。何かあっても自動車の責任ばかりではないとなればメーカーも前向きになるかもしれませんが、いつになる事でしょうか。自然との共生を考えた時に、人のエゴのためだけにやっていいのかという疑問もあります。
等々考えていくと、少なくとも私の目が黒いうち、と言うか、今生きている人の半分くらいがいなくなった世界でも、ステアリングハンドルがないような完全自動運転車は難しいような気がしますが、どうでしょうか。
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