なぜ反日国は誕生したのだろうか(中編)
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前回からの続きになります。そもそも「なぜ反日国は誕生したのだろうか」というタイトルにしたのかと言えば、中韓共に最近になって急に反日の機運が高まった可能性があるからです。不自然な感じは否めません。
大昔はともかく、前回拙ブログが独断で認定した中国の建国105年、韓国70年、の建国前後でさえ彼らに国家という概念があったかどうかは疑わしいのです。国家の概念がないのに組織的に反日になる事はあり得ません。
従って、中国でいえば日中国交回復以降、韓国の場合は、李承晩は個人的には超の付く反日で、反日教育もしたのでしょうが、一般国民が本格的に反日になるのはずっと後の事だと思われます。朝日新聞やNHK、旧社会党らによる慰安婦捏造キャンペーン後というのが、ひとつのターニングポイントではないでしょうか。
歴史上も異例という程の高給取りだった当時の合法的売春婦、キーセンが「強制連行された従軍慰安婦」に修正され、日本人と同じように給料をもらっていた現場作業員は最近になって「強制された徴用工」に修正されました。
当時は朝鮮人も我々と同じ日本人だった訳ですから、彼らだけが酷い目に遭ったというのは、いかにも無理があります。同じ言い方をすれば日本人慰安婦もいて日本人徴用工もいた訳です。
(日本人と朝鮮人の関係がよかった事を証明する写真)
残存する資料を調べれば分かりますが、むしろ朝鮮人は最後の最後まで徴兵も行われず本土の日本人以上に優遇されていたのです。この白を黒と言いくるめる強引さが、何が何でも後には引かないという暗黙の決意を感じさせます。いくら日本が否定して抗議をしても見通しは限りなく暗いのではないでしょうか。
ひとつの考え方として、正統と言えるかどうか疑わしい勢力が建国した場合、その国を存続させるため、またその正当性を認めさせるため、あるいは嘘で塗り固めた歴史を暴かれないために邪魔な日本を叩いていると考えると納得がいきます。日本は彼らの歴史上、極めて不都合な存在なのかもしれません。
よく歴史は国によって違うと言います。自国に都合のいいようにある程度脚色したり修正する事は、ままあるのでしょう。それでもなかった事をあった事にしたり、あった事をなかった事にする事は出来ません。
第三国の目もあって普通は露骨な真似は出来ないのです。いくらドイツとフランスの仲が悪いと言っても、そこまでの事はしません。プライドもそれを拒みます。まさかやってもいない戦争で勝っただの、あるいは全く殺してもいない相手を何十万人も虐殺した、などと言える訳がないのです。
話は前後しますが、20世紀になったばかりの世界の状況はと言えば、ご存知のように地球の80%以上の地域は欧米植民地主義国家の支配下にありました。残りの朝鮮半島や台湾、あるいはネパールなどは風土病もあり、魅力のない地域として、言わば見捨てられていたのです。
(第二次大戦前のアジア地域の勢力図)
タイの場合は英領と仏領との緩衝地帯として経済的にはともかく、軍事的侵略を免れていました。そういう中で日本の立場は微妙だったのです。極東にあって交易の要衝になりえない立地、つまり魅力が薄かったから、という説もあるようですが、当時既に強力な軍事力を有していた事も事実で、明治維新以降、さらに強力になった事で軍事的侵略の対象とはなり難かったのです。
それが日露戦争後、欧米の日本を見る目は変わります。自分たちよりはるか下に見ていた有色人種が白人国家、しかも大国に対する始めての本格的近代戦争で勝利した訳ですから、心中穏やかでなかった事は想像に難くありません。
逆に虐げられていた有色人種は、そこに一縷の望みを見た訳です。有色人種からの収奪で富を得ていた欧米列強にとっては最悪の展開と言えます。自分たちが行って来た悪行が白日の下に晒されかねません。
ドイツのウィルヘルム二世が黄禍論を唱えたり、米がオレンジ計画などで日本潰しを画策したとしても無理はなかったのです。つまり邪魔者、目の上のたんこぶが日本だった訳です。早い時期に潰しておかないと、いずれ自分たち白人国家全体の脅威になりかねません。
一方、日本に敗れたロシアは敗戦によって日本アレルギーが蔓延したと言います。出来れば戦いたくない相手という事で1941年、日ソ不可侵条約を結びました。しかし、それだけでは安心出来なかったのです。西の強国ドイツ、東の苦手とする日本に挟み撃ちになる事を極端に恐れ、何とか日本を北に向かわせず、南下させようと画策します。
世界に展開していたコミンテルンは他国の協力者を巧みに使って日本に様々な奸計を仕掛けて来る訳です。日中戦争を長引かせ、南に戦力、意識を集中させる作戦ですが、関東軍が易々とその罠に嵌ったのは歴史の必然とは言い難いです。
蒋介石率いる国民党軍の方はと言えば、英米の支援を受け、これまた意固地なまでに日本に敵対します。国際法も何もあったものではありません。亊あるごとにちょっかいを出したり、嫌がらせをして来ました。
(当時の東京朝日新聞、通州事件の記事)
200人以上の犠牲という、日本人居留民に対する凄惨を極めた通州事件はその最たるもので、中国に対する日本の見方が大きく変わった出来事と言えるのではないでしょうか。
反日感情がベースにあってこれらの行為に及んだのかと言えば、否、米英ソの手先となり、本当に組んで共闘すべき相手である日本を攻撃するのですから言語道断と言わざるを得ません。
そこには世界的視野での戦略や、将来に対する国家的ビジョンもなければ、民族としてのプライドとも無縁な、ただ今日を生きるだけの野盗の群れが存在していたに過ぎないのです。
取り留めなく長くなってきました。(笑)また次回に続きます。
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