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2017年7月27日 (木)

テスラ・モデルSが高級車とは言えない、これだけの理由

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---日米 FTA消費増税 /カジノ解禁に反対します ---

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 前回、テスラ・モデルSは高級車とは言えない、ときっぱり書きましたので、今日はその説明から入ります。その前に高級車の定義を独断と偏見で決めなければいけません。

高級車とは
1)まず確立されたエンブレムが周知されて久しい事。車全体を見る必要がない。つまり歴史の積み重ねが必須である。

2)その中で、ある程度の大きさを持つ事、全長4700以上、全幅1800以上、つまりDセグメント以上の大きさが欲しい。

3)確立された技術の、信頼性が高いエンジンを搭載する事、まず高性能ガソリンエンジン車が対象。モーターのみの駆動が高級車なんてブラックジョークか。

4)その存在を否が応でも認めざるを得ない特別な存在感がある事。つまり格調高く説得力のあるデザインでなければならない。当然フォーマルな場所にも通用する。

5)バックミラーで見て、瞬時に判別出来るアイデンティティを有する事。簡単に言えば顔のデザイン。

6)質感の高い内装を有する事。メーター廻りのハイテク感プラス高級家具を思わせるシート、トリム類、ハイセンスなイルミネーション等。

7)触感も大事。精度の高い部品同士で構成された各機能部品から操作時にスウィートな感触が手に伝わる。

8)雑音を徹底的に排し、計算された耳障りのいい音だけが社内に伝わる。それも極繊細に。

9)形状的には3ボックス4ドアセダンが中心で、バリエーションとして2ドアクーペ、ステーションワゴン、コンバーティブルなどがある。

まあ、言うまでもありませんが、テスラがこれらのいくつを満たすのかと言えば、せいぜい二つでしょう。そもそも車の成り立ちとしておかしいです。普通に考えて、加速や最高速、航続距離などの目標性能が達成出来ないからと言って、強引に電池の量を増やすというのは乱暴です。安易に過ぎます。本末転倒と言えるでしょう。

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(ヘンテコなテスラのインパネ廻り、モニターはデカければいいというものでもない。アメ車らしいと言えばそうかもしれない。)

ご存知のように車の設計は軽量化との戦いです。グラム単位で設計者は日夜苦心しているのです。なぜなら重くていい事なんて何もないからです。まず燃費(電費)に悪影響を与えます。走行性能にも色々な害があり、耐久性にも問題が出ます。それをカバーするためにはオーバースペックの部品が必要になり、さらに重くなるという訳です。正に悪循環です。

従って現状のEV技術ではAまたはBセグメント程度がやっとで、それ以上大きい車をEVにするというのは無理があります。欠点をカバーするために電池を多く積まざるを得ず、デカい、高い、という商品としての存在価値を失いかねない方向にいかざるを得ません。つまり単純思考=頭が悪いという事です。

ユーザーはメーカー都合でバカデカくなった高価格車を買わされる訳ですから、いい面の皮です。それなら半分の500万円も出せばはるかに高性能で安心が出来るハイブリッド車が買えます。環境性能に関しても、デカくなったEVに大したアドバンテージはありません。WELL TO WHEEL (油井から車まで)でのCO2や有毒ガスの排出量ならむしろハイブリッド車(PHV)に分がある程です。

EVを安易にゼロエミッションヴィークルと呼びますが、化石燃料による電力供給では説得力がありません。EVは再生可能エネルギーによる電力 プラス スマートグリッドがセットになって始めて存在価値が発揮出来るというものです。従って単独での価値は限定的と言わざるを得ません。まして高級車?ノンノン(笑)

テスラを既に買われた方にはお気の毒ですが、そもそも加州からの補助金や国からの助成金を何十億ドルも受け取り、黒字になった事がないビジネスモデルによって生産されたものとは、誰かの税金と犠牲の上に成り立っているのであって、決して胸を張って所有を誇れるものではないという事を付け加えておきます。

ここからは自動車の根源的な話をします。
まずサイズに関してですが、人の大きさに差があるので国によっても最適サイズは異なって来ます。5人乗りセダンとして合理的に考えればDセグメント程度というのが目安になるのではないでしょうか。安全性と快適性、走行性能、環境省エネ性能を総合的にバランスさせると、それ以上のサイズが必要とは思えません。

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(メルセデスベンツCクラス/Dセグメントのど真ん中)

ホンダが合い言葉にしていたメカミニマム、マンマキシマムの思想でいけば、Dセグのキャビンをそのままにして、前後を少し削りたいくらいです。量販が宿命づけられたカテゴリーの車としての最大モデルは、将来的にはそのくらいのサイズに収斂していくのではないでしょうか。

そのサイズの車が安全で快適に走れるだけの安全/快適装備、動力性能を持つべきである事は言うまでもありませんが、そこはあくまでも技術主導ではなくコンセプト主導で考えられるべきです。技術はコンセプトに従って開発され磨かれるのものであって、その逆をやってはいけないのです。FCV(燃料電池車)などは技術主導の悪しき例と言えます。正に宝の持ち腐れです。

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(技術者の自己満足では意味がない。国がインフラのサポートをするには視界が不鮮明過ぎる。このまま消えていくか、将来日の目を見るか・・)

次に自動車の存在が許される条件ですが、ご存知のように交通事故で年間に世界で何十万人も亡くなっています。日本は1万数千人から数千人単位にまで減りはしましたが、それでも中くらいの戦争レベルです。あってはならない事ではないでしょうか。通学児童の群れに突っ込むような悲惨な事故は絶対に無くすべきです。

自動車の排ガスによっても年間に何十万人も亡くなっています。原因の特定が困難なので意外に騒がれませんが、中国を見ても分かるように、途上国では悲惨な事になっているのです。欧州もインチキ・クリーン・ディーゼル車による排ガス汚染が深刻の度を増しており、途上国の事を言えません。

さらに、本当かどうかは疑わしいのですが、排ガスはCO2による地球温暖化の犯人にまでされています。それでも存在が許されるのは、それを上回る利便性、魅力があるからです。しかし人の意識は移り変わります。環境運動家からの要求レベルもエスカレートして来るのは自明です。

かと言って地球上の車の全てをクリーン電力によるEVに置き換える事など不可能です。途上国での電力不足は今なお深刻なのです。先進国でさえ現状を見る限り不可能に近いと言わざるを得ません。原発を容認しない限り夢物語に思えます。

再生可能エネルギーがあるではないかと言われるかもしれませんが、少量だからこそ成り立つ世界です。補助金で何とか成立させている現状を見るにつけ、持続可能とは思えません。50年後の世界は知りませんが、すぐにどうこうなるものではないと言えます。

ではどうすればその辺りの一筋縄ではいかない問題と上手く折り合いをつけ、自動車を存続させる事が可能なのでしょうか。先ほども言いましたように利便性、快適性に関しては既に十分なレベルに達しているので、未だ足りないのは地球との共存(環境問題)と安全性に集約されます。

その二つを高い次元でクリアする事が要求されますが、両方とも自動車メーカーに押しつけるのは酷な話です。どう考えてもインフラとの絡みが避けられないからですが、そういう点で先進国の場合はまだ見通しがあります。

地球との共存、つまり環境問題に関しては、このまま規制を強化していけば時間が問題の希薄化を進めるでしょう。メーカーの意識改革が進んで不正を完全に排除する事が条件ですが、そうすれば十数年後には先進国からは喘息や肺がんが激減していると思われます。こちらはコストとの戦いと言えるでしょう。

但し、途上国の空もきれいにしなければ地球全体として意味はありません。範を見せるだけでなく技術的支援が欠かせませんが、社会インフラが整わない途上国なりのやり方を模索する必要があります。そういう点で日本の果たせる役割は大きいのですが、日本に政治的動きと連動したオペレーション能力があるかどうかが問題です。

いずれにしても、そういう前向きな取り組みがあれば、自動車の存在価値が問われるような事態は避けられるのではないでしょうか。それでも途上国が対象では数十年かかるかもしれません。こちらは時間との戦いです。

一方の安全性に関しても答えは出ています。不確かな人間に頼らないシステムを完成させればいいだけです。つまり自動運転技術に集約されるのですが、今でもぶつからない車を作る事は可能です。それを広めるには政府が自動ブレーキの標準装備を法制化すればいいだけです。それだけでかなりの命が救われる事は過去のデータからも間違いありません。

さらに安全を求めるなら自動運転のレベル4が要求されますが、これはメーカー各社で競うようなものとは思えません。どこが開発したとしても技術は開示されるべきです。あるいは今から共同開発でも遅くはありません。単独開発ではコストと時間の無駄です。今も事故は起き続けています。

人の命をビジネスのネタにしてはいけないのです。勝負すべきは車としてのコンセプトやデザインを含めた基本性能であるべきです。ただ、やはりこちらもインフラが絡みます。さらに車(ハード)としての基本性能を満たしていない場合は折角の自動運転技術も絵に描いた餅になります。

従って、まずは日米欧の先進国から実践という事になりますが、日本の場合はまず歩行者が安全に通行出来ないような道路を何とかするのが先決ではないでしょうか。現状を見ていると気が遠くなります。・・・ちょっと竜頭蛇尾になりました。(笑)

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コメント

田中様、お久しぶりです。車に関してコメントをするのは恐れ多くてためらいますが、聞いた話を共有させて頂きます。

某新聞記者(彼は車の取材のみ行っている)の話ですと、自動車産業に変化があるとのこと。将来的には大都市では車を所有する者が減り、Ride shareが増える。車もAI化が進む。シリコンバレー(米国西海岸)では、すでに自動運転のテストが頻繁に行われている。(特にUberの自動運転テスト)。

自動車産業と言えばビック3で、米国中西部が主流でしたが、AI発明者がシリコンバレーに多いことから、西へ動くのではないか(既にトヨタはケンタッキー州からテキサス州に移動している)。

自動運転が主流になれば、一家に数台所有していた車が不必要になる。これに伴いアルコール会社なども既に動き始めていると言う。(自動運転になれば飲酒運転がなくなり、アルコール摂取が増えると予想されている。また、車で移動中のラグジュアリーも重視されているようです)

殆どの自動車会社はいまだ「機械に操作させるから事故が起こる」という発想に対し、シリコンバレーの人達は「人が運転するから事故が起こる」という発想。

勿論、車好きの方や、今までの様に車を所持される人もいますが、米国の新車販売は減少すると言っていました。これは未来の話で、明日や来年すぐ起こることではありませんが、米国では色々動いているようです。

ステラ社はまだまだ売れ行きも悪いですが、あれはカリフォルニアに住む富裕層が2台、3台目として購入しているとのこと。

ちなみに、法律の関係で、はやり米国の方が自動運転には理解があるようです。現在の日本の法律ではハンドルから手を離したら違法なので、自動運転の受け入れはまだほど遠いと言ってました。

投稿: 女性読者 | 2017年8月 2日 (水) 00時39分

女性読者さん、有り難うございます。情報はいくらあっても困らないので躊躇なくコメントを書いて下さい。

ご指摘の件は私も承知はしていますが、国によって方向性は変わって来るのではないでしょうか。例えば日本で自動運転と言ってもインフラがお粗末過ぎて無理です。

これは50年や100年で解決出来る問題ではありません。従って完全でなくてもいいんです。自動運転のレベル5の中で3に行くだけで事故は激減するでしょう。

その先の事はその時代の人が決めればいいんです。言える事は予想は往々にして外れるという事です。(笑)

投稿: 田中 徹 | 2017年8月 3日 (木) 20時52分

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