« 大企業の経営者に必要な意識改革 | トップページ | フェークなニュースに惑わされないで。 »

2017年8月29日 (火)

言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない

 

Photo     

---日米 FTA消費増税 /カジノ解禁に反対します ---

ブログランキングに参加しています。

 内田樹氏のブログ(エッセイ)を呼んでいて面白い記事に出くわしましたので引用させてもらいます。

http://blog.tatsuru.com/2017/08/26_1054.php

 『中央公論』8月号が「英語一強時代 日本語は生き残るか」という特集を組んでいた。読みでのある特集だった。『日本語が亡びるとき』で問題提起をした水村美苗さんのインタビューが最初にあって、重要な指摘をしていた。

 一つはイギリスのムスリムの女性学者ふたりが日本を訪れたときに水村さんに言った言葉。「その時、彼女らが、『日本では英語がまったく通じない。なんて気持ちのいい国なんでしょう』と言うのです。

 日本においてはみなが日本語で通じ合い、英語で通じ合えることがエリートのサインではない。英語ができる人が威張っており、収入もよく、社会の権力側に立つという構造になっていないと言うのです。

パキスタンでも、インドでも、それからブラッドフォードでも、英語が流暢か流暢でないかによって、階層が作り出されている。現に彼女たちの親は、その英語のアクセントで、たんに言葉が流暢ではないというという以上の意味をもって、差別されている。

私は日本にはそういう構造の社会にだけはなってほしくないし、そうなるのを免れた歴史を大事にしてほしいと思うのです。世界を見回せば、インテリが読む言語は英語で、それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう。」(水村美苗「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」、『中央公論』2017年8月号、中央公論新社、28頁)


「私は最近いよいよごく少数を除けば、日本人は日本語が堪能であればよいのではないかと考えるようになっています。非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです。

エリートも庶民も、全員当然のように日本語で読み書きしているという、この状況を守ること自体が、日本という国の使命ではないかとすら思います。」(同書、29頁)

前半の引用には私は全面的に賛成である。言語(それも会話時の発音)による階層差別をverbal distinction と言う。肌の色でなされる差別と構造的には同じである。口を開けば一瞬でその人が「自分たちの仲間であるかないか」が判定できる。

 植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、そうではない人間の間に乗り越え不能の階層差が生じる場所のことである。

 自動翻訳でコミュニケーションのハードルが下がれば異文化との接触機会はむしろ増す。何よりも英語に投じていた学習リソースをそれ以外のものに振り向ければ子どもたちの知的なパフォーマンスは高まる可能性もある。

 英語学習枠組みそのものが根本的に変わると予測されている時に、なぜか日本の教育行政は「小学校から英語を勉強させる」という、悪くすると10年も経たないうちにまったく無駄になる学習プログラム改革を膨大な手間暇をかけて実行しようとしている。同じことは脱原発や電気自動車へのシフトなどの遅れにも見られる。

 最後の意味不明な「同じことは脱原発や電気自動車へのシフトなどの遅れにも見られる。」を除けば、正に我が意を得たりで、日頃思っていた英語に対する疑問点が氷解して行きます。

特にムスリムの女性学者が言った『日本では英語がまったく通じない。なんて気持ちのいい国なんでしょう』は目から鱗でした。グローバル化という言葉に犯され、平和ボケした日本人にはない視点ではないでしょうか。

海外、特にアジアに出張で行くと英語に堪能な現地のエリートに遭遇する事になります。彼らは決まって私の下手な英語に対し軽く見下した態度を取るのですが、苦々しく思っていました。(笑)韓国あたりは完璧でないと認めてくれません。

私も自分の下手な英語の発音にコンプレックスを抱きながら、もう少しちゃんと勉強をしておくべきだった、などと思ったものです。メールの読み書き程度なら何とかなりますが会話は誤摩化せません。

しかし、反面、なぜアジア人同士が第三国語である英語で会話しなければいけないのかという不条理も感じていました。尤も、中国や韓国は日本語が堪能な人も意外な程多く、最悪でも日本語の通訳を用意してくれるので意思疎通に困難を来す事はありません。そこは少し優越感に浸れます。(笑)英語へのモチベーションもその分下がるというものです。

弁解する訳でもありませんが、日本人は相当な学歴を持つエリートでも英語が苦手な人が多い事は確かです。中学から10年間も勉強する意味が問われるというものです。ではなぜそうなるのかと言えば、日本の場合、英語の学習は、ほぼ独立した学問だからではないでしょうか。英語が出来なくても特に困らないのです。

英語圏でない他国の場合は、どの学問に於いても最高の教育を受けるためには外国語である英語が必要になります。つまり自国語に翻訳された英語による図書、文献が日本に比べ極端に少ないのです。そのせいで最高学府で学ぶためには英語が必須になります。英語による授業で英語がしゃべれないのでは文字通り話になりません。

そういう状況に於かれた外国人と、日本語で高等教育が受けられ、日本語でしか学べないジャンルも増えつつある日本人を比較されても困るのです。さらにこちらが要求しなくても仕事の相手が勝手に日本語を話します。

しかしながら、そういう背景を知らない欧米人は、他のアジア人と比べて日本人の英語力のなさを怪訝に思うようです。自分たちの、日本語が出来ない事は棚に上げておいて、決して知能が劣る訳でない日本人の英語力が、なぜここまで低いのだろうと。。

言い訳はこのくらいにして、本題に入ります。(笑)

大東亜戦争の結果、アジア諸国は二度と欧米の植民地に戻る事はありませんでした。戻って来た過去の征服者達に対して武器を持って立ち上がり勝利したからです。

そこに最大貢献をしたのは勿論日本軍で、国からの指示がなくても共に戦ったりもしたのです。日本人兵士達の意識の中に、今の日本人には考えも及ばない崇高な精神が存在していたのは確かなようです。

さて、ここからが重要ですが、欧米列強は独立戦争に敗れたとは言え、意外にあっさりと植民地を手放したのです。日本も戦争に完敗した割には米の植民地化は免れました。なぜなのでしょうか。その気になればもう一度白人支配の、武力で押さえつける世界は再現出来た筈です。

その理由のひとつとして、確かに武力で押さえつける事に対するリスクが増した事は間違いないでしょう。白人に対する見方も変わり500年前のように、赤子の手を捻るような訳にはいかないのです。

Colonbus

(サンサドバレル島に上陸したコロンブス、原住民にとって恐怖の時代が幕を開けようとしている)

従って支配するにしても別の方法が必要になった事は想像に難くありません。ハードな、血を見るやり方でないマイルドな方法が模索されたのは確かでしょう。腕力ではなく頭で支配するのです。そのため、一時的にしろ話の分かる宗主国に化ける必要があります。

元々我々白人はアジアやアフリカを独立させるつもりであったが、第二次大戦がいい機会になった、というようなシナリオに持っていきたいのです。幸い日本という悪役を演じるに絶好な国も登場しました。

日本がアジア諸国を植民地化しようとしたが、米英がそれを阻んだ、というのは分かり易い構図です。それを裏付けるために、日本人に戦後GHQが W.G.I.Pに基づいた洗脳教育を施す事になります。まず日本人に贖罪意識を植え付ける必要があったのです。

都合の悪い軍人や政府要人達は戦犯として処刑され、あるいは教職やマスコミ界からも保守勢力は追放されました。代わりに入って来たのが左翼や第三国人です。そのせいで戦後反日や左翼の日本人が増えた事は間違いありません。

世界マイルド支配シナリオはさらに続きます。宗主国は元植民地のエリート達を自国に呼び寄せ高等教育を受けさせます。勿論英語でです。自国に戻ったエリートは当然、宗主国の影響をたっぷりと受けた政治を展開する事になる訳です。平たく言うと傀儡政権ですね。

勿論主要ポストも英語が堪能なエリート達が占めます。こうして英語が出来るエリートと自国語しか話せない一般大衆との間に埋めることが出来ない断絶が発生するのです。英語は米英による世界マイルド支配のための重要なツールです。

さらにもう一つ重要なツールがあります。それは金融です。物を支配するよりずっと簡単です。途上国に巨額の資金を貸与して、その国に産業を興し、発展させてバブルが醸成された頃に一気に引き上げるのです。そうすると97年のアジア通貨危機のような金融危機が起きて、その国や地域の通貨が大暴落します。

買い叩き易くなった状態で資本が戻って来て金融支配がさらに進むという訳です。それを実行するには世界で通用するドルのような基軸通貨が必要な事は明らかで、金融の自由化も必須となります。

残念ながら言語での支配を免れている日本も金融ではやられっぱなしです。それを継続させるために日本にはデフレが義務づけられているように見えます。つまり日本が経済成長して、この分野でも昔のように米英に逆らう事は許されないのです。

そう考えた時に、日本に於ける今の英語教育や企業の公用語英語化の持つ意味は何かという疑問に突き当たります。それが果たして日本のためなのかというと、全くの逆かもしれないのです。それ自体が本当に必要なのかさえ疑問に思えて来ます。

英語が堪能な事は、それが必須の特殊な職業や趣味の世界を除けば、米英に尻尾を振っているだけの、彼らにとって都合のいい下僕なり下がったに過ぎないという見方が、一方では出来るという事実を知るべきです。

水村美苗氏が言うように、日本人はまず日本語に堪能になる事が肝要で、グローバル化という、常にいかがわしさが付きまとう美名に踊らされてはいけないのです。ガラパゴスと揶揄されようが、守るべきものは守らなければなりません。

「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」胸にズシンと響く言葉です。不特定多数に対する英語教育は見直されるべきです。

 共感いただければクリックをお願いします。 

|

« 大企業の経営者に必要な意識改革 | トップページ | フェークなニュースに惑わされないで。 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 大企業の経営者に必要な意識改革 | トップページ | フェークなニュースに惑わされないで。 »