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2017年9月20日 (水)

どう考えても明るい未来しかイメージ出来ない自動車の未来(前編)

 

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---日米 FTA消費増税 /カジノ解禁に反対します ---

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 今日は自動車の未来がどうなるかという事がテーマです。と言っても何の根拠もない占いをやろうという訳ではありません。かと言って根拠がありまくるとも言い難く、私がこれまで得た決して豊富とは言えない知見を元に、私の拙い想像力でイメージするだけの事です。

従って責任を持てと言われても困ります。(笑)ふわっとした他愛の無いファンタジーとして読んで頂ければ幸いです。

話は私の少年時代に遡ります。物心ついた頃から自動車が好きで絵ばかり描いていました。4~5歳の頃のバスの絵は細かいところまで描写が行き届き、色彩等の表現力も自分で言うのもなんですが大したもんです。今見ても天才かと勘違いする程です。(笑)

その割には普通の人間になったようです・・・そんな話はどうでもいいのですが、当時は豪華絢爛でデカいアメ車が世界中で憧れられていました。欧州映画にも主役で出て来るくらいです。

題名は忘れましたがコンバーティブルの白いアメ車がパリを走り回る映画には感激しました。リー・レミック主演の保険金詐欺の映画に出て来るリンカーン・コンチネンタル・コンバーティブル、バニシングポイントでのダッジ・チャレンジャー等々、車が目的で映画館に通ったものです。

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(バニシングポイントでのダッジ・チャレンジャー、衝撃的結末が何とも暗示的だった。)

私にとっては、「いつかはクラウン」などでは決してなく、いつかはアメ車だったのです。エアコンの効いたデカくて豪華で格好いいアメ車を所有する事が夢で、それこそが明るい未来の象徴のように思えました。

時代は移り、今やあの素晴らしかったアメ車に昔日の面影はありません。代わりにジャーマンスリーと言われるドイツ車や、最近元気を取り戻しつつある英国車が憧れの対象に変わりますが、豊かになった現代、それらに昔のようなきらびやかさ、天にも昇る感動は伴わないのです。

若者はスマホ命のようになり、車への関心は薄れいくのみです。それが販売台数に表れ、じり貧状態は続きます。ただ救いは売上高に関しては、このデフレの時代、逆行するように伸びている事です。

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(国内新車販売台数はピーク時から見ると300万台も減らしている。)

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(しかしながら、売上高は確実に伸ばして来た。輸送用機器のGDP推移にそれは表れている)

薄利多売型の量産商品としては画期的ではないでしょうか。家電のようにデフレの犠牲になったという痕跡は部分的にしか認められません。なぜでしょうか。それを話し始めると長くなるし、今回はそれがテーマではないのでパスします。(笑)

いずれにしても基幹産業と言われるだけの事はあって国の屋台骨を支えているようです。しかも世界での生産台数(日本ブランド車)は2800万台(30%弱)にも上りドイツ、アメリカの2位グループを大きく引き離しています。

さらに、日本が日米貿易摩擦から苦肉の策で始めた、生産拠点を海外に多く持つという多国籍製造業のビジネスモデルは世界を一変させました。つまり日本だけでなく、日本自動車産業は世界も豊かにしたのです。その証拠に自動車産業のある国は皆栄えています。

ところが最近妙な噂が巷に溢れているのです。地球環境問題から有毒な排ガスを出す車、特に内燃機関の車には未来がないとか、EVは魅力がないので大して売れないだろう、あるいは完全自動運転になりカーシェアリングやモビリティサービスが主流になれば、販売台数は減っていく等々です。まるで自動車産業が斜陽産業に堕して行くかの如くです。

今は100年に一度あるかないかの大変革期である事は確かでしょう。そのせいか情報が錯綜し混乱しています。上記のような話がまことしやかに噂される事もある程度やむを得ません。

しかし、私に言わせれば、そんなバカな話はないのです。車はいつも夢の中心で主役でした。人類の未来が明るいなら、それは車の未来も明るい事を意味します。いや、その逆かも知れません。いずれにしても車の未来が暗いなら人類の未来も暗いのです。

考えてもみて下さい。人間は基本的に孤独な生物です。一人で生まれ一人で死んでいきます。そのせいかどうか、たまには一人になりたい事だってあるのです。そういう時には移動出来るプライベート空間が快適であるに決まっています。少なくとも私はそうです。

それがお洒落でリッチで先進的で安全で、さらに凄く便利ならこれ以上の事はありません。遠距離の出張だって人が大勢乗っている公共交通機関より、プライベートな空間を独占出来ればいいに決まっています。あるいは家族と、また仲間と出かけるにしても、排他的空間が望ましいのは自明です。

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  (ルノー・トレゾア スーパーカーEV/レスポンスから拝借)

つまり望めば新幹線の役割を果たしてくれて、あるいはビジネス空間にもなり、邪魔の入らない家族との楽しい旅行、一人での冒険の旅、その全てが自動車というデバイス集合体によって手に入る未来がすごそこにあるのです。

その中で所有は一台でいいでしょう。それはその人、あるいは家族のニーズによって決めればいいのです。タウンユースの買い物車だけは常に身近に欲しいと言うならEVのコミューターです。

後はカーシェアリングかモビリティサービスでその都度調達します。その頃にはIoTやコネクテッド技術は勿論、完全自動運転が実現し、EVの普及も爆発的になっている事でしょう。あの、移動しながら電力供給を受けるという技術も確立されている筈です。

また長くなりそうな予感。。この話は未だ続きます。

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