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2018年5月

2018年5月30日 (水)

働けど働けどわが暮らし楽にならざり。

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---日米 FTA消費増税 /カジノ解禁に反対します ---

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【ワシントン=鳳山太成】トランプ米政権は23日、安全保障を理由に自動車や自動車部品に追加関税を課す輸入制限の検討に入ると発表した。商務省が鉄鋼に課した輸入制限と同様に、車の輸入増が安保上の脅威になっているか調べる。米メディアによると乗用車の関税を25%引き上げる案が浮上している。対米輸出が多い日本にとっては大きな打撃となり、世界的な貿易摩擦が激しくなる恐れがある。

これを真に受けて日本では大騒ぎしていますが、長年自動車の開発に携わる者として、今日はそれに異論を唱えたいと思います。そもそも関税はその国が自主的に決める事であって他国がとやかく言う問題ではありません。関税自主権は守られなければならないのです。

逆の立場で考えれば分かりますが、日本でアメ車が40%も走っている事を想像して下さい。日本国内にある工場でその内の半分を生産し、韓国や中国で生産したアメ車と、米国からの直接輸入で残り半分を受け入れていたなら、何で輸入やねん。全て日本国内で作れよ、と言いたくなっても無理はありません。(笑)

増して米は万年貿易赤字国です。これまで乗用車の関税を2.5%で我慢して来たのは、むしろ人が良すぎるくらいではないでしょうか。日本などはこれまでコメに778%もの関税をかけて来ました。最近国際相場の実情に合わせて280%に変更したようですが、それでもべらぼうと言えます。それに比べれば2.5%なんてないに等しい。。

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(対米輸出で言えば台数が増えていないのに売り上げが上がっているのは高付加価値車へのシフトと円安によるものか)

ところでマスコミは肝心な事に気がついていないようですが、日本から米に輸出する自動車の関税は実は2.5%などではありません。平均するともっと高いのです。と言いますのはSUVはトラックのカテゴリーに入り、トラックは昔から25%の関税なのです。

さて、ここで米市場をよく見てみたいと思いますが、売れているのはデカいSUV始めとするトラック系乗用車です。いや、その言い方は語弊があります。米はトラックを乗用として使っているケースが日本などよりはるかに多く、最近ではトラック系乗用目的車が販売の60%を超えているのです。

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(ガソリン価格下落と共に年々トラック系乗用車比率が上がっている米市場)

フォードがセダンから撤退したのはそういう事情があるからで、売れ行きが年々落ちているセダンに見切りをつけただけなのです。日本からの輸出もセダン系は価格の変動による影響を受け難い高級車に絞られ台数も年々減っています。反対に中級のSUVが伸びていて、それらにはしっかり25%の関税がかかっているのですから、何を今さら25%で騒ぐのかと言いたい。(笑)

それより何より、為替相場を見ろと言いたいです。今は1ドル110円前後をうろうろしていますが、第二次安倍政権になる前は80円台だったのです。つまり当時より35%も車を安く売れる、逆に言えば35%も利益を出す事が可能なのですから、25%くらいいいじゃないかと言いたくもなります。実際、実質実効為替レートで言えば82円あたりが妥当ですから、今は不当に安いと言われても仕方がないのです。

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(対ドル為替の推移/オレンジ色、近年、実質実効レート/青、との乖離が激しい)

しかし思うのですが、日本はずっとこの問題を解決していません。対米貿易黒字はコンスタントに6〜7兆円もあり。自動車はいつもその主役です。矢面に立たされても仕方がないのではないでしょうか。確かに現地では370万台も生産していて米の雇用に多大に貢献している事は事実です。

それでも170万台も輸出していて、それだけで5兆円以上も貿易収支の黒字を上積みしていては言い訳出来ません。関税が何%に上がろうが謹んで受けるべきなのです。それがいやなら内需拡大にシフトするだけです。

日本は万年貿易黒字国で経常収支の黒字を膨らませて来ました。その結果は少し減ったとは言え328兆円もの対外純資産を持ちます。しかしながらこれは決して自慢出来たものではないのです。なぜなら為替が正常に機能していたなら黒字国へのペナルティである通貨高がそれらを相殺して黒字にはならない筈だからです。

ではなぜ黒字なのかというと為替介入と国内デフレの結果と言えます。為替介入しきれないところは自らの給料を減らしてまで円高に耐えて来たのですからバカげた話です。「働けど働けど我が暮らし楽にならざり、ぢっと手を見る」を地でやっています。(笑)

プラザ合意を受け入れた時点で外需依存から内需拡大に舵を切っていたなら、こういう事にはなりませんでした。天然資源の購入以外には外貨を特に必要としない先進国が外貨を無駄に溜めたために国民の暮らしは貧困化したのです。

もちろんそれが貧困化の理由の全てではありませんが、国内資源を持ち出してまで米にものを貢いだ分、貧しくなったのは事実です。そろそろこの愚策から卒業しないと日本人は、ずっと手を見つめ続ける事になります。

 

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2018年5月25日 (金)

一国家一政府一通貨一国民

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 前回の記事の補足説明になります。金融機関は日銀の当座預金口座に400兆円の残高を持っていますが、それを増やす事はもちろん可能です。金融機関が持つ国債を売ればいいのです。金融緩和が進んだとは言え、未だ300兆円前後は持っている筈ですが、それを日銀に買ってもらえば現金(日銀券)は確かに増やせるのです。

他にも金融機関は株券や社債を保有していて、それらを日銀に買ってもらう事で当座預金残高はマネーストック マイナス 現金(日銀券)に限りなく近づける事も可能です。

ただそんな事をする意味がどこにあるのかという事です。当座預金残高減少によって貸出しが困難になった銀行に対し、返済が進めば進む程国民の資産も減るのですから自殺行為と言えます。現金主義というのがマクロの視点で見れば全く成立しないという事がお分かりいただけたのではないでしょうか。

ところで前回記事のコメントに「暗号通貨は世界の金融筋のコントロールから解放するために作られた。(中略)AIとブロックチェーン技術が現代社会を大きく変えていくと思います」という説がありましたが、それについて個人的見解を述べます。

国際金融資本が資本の力を借りて世界を支配しにかかっている事は否定しません。そこから是非日本を解放してもらいたいと思っています。しかしながらそれならグローバル化と金融の自由化をやめればいいだけの話で、ややこしい訳の分からない通貨を作るというのはちょっと違う気がします。制作者の詭弁だと言えば言い過ぎでしょうか。

やはり一番分かり易くて安心出来るのは国家が通貨の価値を保証する事です。あくまでもそれがベースなので、その範疇での改革が必要不可欠と思われます。と言いましても実は80年代に戻るだけの事ですが。。

護送船団方式と言われ、日本異質論が吹き荒れて、例の如く悪玉にされた日本はあっさりと外圧に屈しましたが、それ以降の体たらくを見れば明らかなように、元に戻せば解決する問題なのです。そこにテクニカル論として戦術的なもの、AI他の技術が入って来る余地は十分あり得るでしょう。そこまで反対している訳ではありません。

話は戻って、80年代の日本と言えば破竹の勢いでした。アメリカを抜くのは時間の問題、世界一の経済大国になるだろうとまで言われていたのです。Japan as number one. と言われた時代です。

それがなぜ失速したのかと言えば米による内政干渉によって体質が無理矢理変えられたからに他なりません。時の政府が日米構造協議や年次改革要望書に素直に従ったがために自主性、オリジナリティを完全に失いました。これは国家のシステムとしての勝利の方程式が失われた事を意味します。

その間自由貿易、グローバル化、これからは国際水平分業などと盛んに言われ、日本型の垂直統合型が否定されたのです。金融も垣根をすっかり取り払われました。つまりほぼ無条件で米のポチになり切ったのですから米を追い抜ける筈などないのです。

経済で一番重要なのはお金ではなく生産力(技術的裏付けのある供給力)です。それさえ担保出来れば後はお金が上手く回る仕組みを国が作って実践すればいいだけなのです。バブル前に日銀がやっていた「窓口指導」などはその最たるもので、金融機関による貸し付け量を見事にコントロールしていました。つまり経済成長に合わせて通貨量を増減して来たのです。

一種の計画経済と呼んでもいいかも知れません。資本主義と社会主義のいいとこ取りを既に行っていた訳ですから鬼に金棒、世界最強です。それを米が指をくわえて見ている筈はありません。

あの手この手で干渉し続けて現在に至っています。恐らくですが、異次元金融緩和も米が絡んでいると考えるのが自然です。独自であそこまで大胆な事が出来る訳がないじゃないですか。(笑)

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(マハティール氏はかつてのアジアのホープ、日本の将来を憂いていて、そのせいか今の日本の若者に関心があるようです。大丈夫ですよ。と言ってあげたい。)

ところで明るいニュースと言えば、マレーシアで親日家のマハティール氏が勝利した事です。御歳92歳の返り咲きは何を意味するのでしょうか。まずナジブ媚中政権時代の清算が先決ですが、不正流用による粉飾があったと見えて、政府債務は公表値を大幅に上回る、対GDP比54%に達すると言います。この場合の債務の主体は当然対外債務ですから日本のケースとは全く違います。

下手をするとかつての韓国のようにIMF主導で緊縮財政が強いられる事になりかねません。ところがマハティール氏は前政権時代に導入された消費税の廃止を決定しました。ここが日本と違って偉いところです。(笑)日本はプライマリーバランスを健全化する必要がないのにも関わらず消費税の増税を決めています。なんて愚かなんでしょうか。

これまで緊縮財政で上手くいった国などありません。ギリシャも一見まともになったかのように見えますがGDPは大幅に減少しています。つまり緊縮策によって貧困化に歯止めがかからないのです。

また、マハティール氏はオバマ政権時代の米主導によるTPPに参加する事を猛反対していました。「再び欧米の植民地に戻るのか」と嘆いていたと言いますから、実によく分かっていらっしゃる。(笑)

日本もこういう方に首相を務めて頂きたいものです。彼の思惑は人気があるうちに売国ナジブ政権から政権を奪還し、自分の息のかかった保守派後達に道を譲るという事でしょう。

日本はと言えば、そんな気配はさらさらなく、ひたすら国売り物語を実践するのみです。その足を中韓に忖度したゾンビ共がモリカケなどをネタに引っ張るという、おぞましい姿を内外に晒しています。

嗚呼、こんな日本に誰がした。(笑)

 

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2018年5月22日 (火)

銀行はいらない?

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  最近は銀行への風当たりが強く、仮想通貨のような電子マネーの世界になればもういらないのではないか、とか、現金主義(タンスマネー)にすれば特に必要ないとか言われています。実際日銀のゼロ金利政策で儲からなくなった銀行は軒並み大規模リストラ策を発表しました。

このままではじり貧で、最終的に銀行は消えてしまうのでしょうか。。私もこのブログでよく金融機関を無価値産業などと批判していますが、必要がないとまでは言っていません。(笑)

付加価値創造という点では疑問符が付いても、お金を民間企業や個人に渡す媒体としての役割は非常に重要だと思っているのです。

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(立派な外観を誇る銀行は多いが、そういう時代ではないかも知れない)

問題は、国民常識からかけ離れた高い給料に見合う仕事をしている訳でもないのに態度がでかく、特に中小企業に対してはタカピーで不誠実な事です。担保価値の高い不動産を持たない私なども露骨にバカにされたりしました。これでは何かの時に批判の矢面に立たされるのは仕方がありません。(笑)

一方の銀行を介しないビットコインに代表される得体の知れない仮想通貨としての電子マネーは本来の目的から逸脱し、投機の対象になったりしていますが、生活必需と言える通貨がこれでいい訳はありません。そもそも価値がコロコロと変動しては困るのです。

私個人は仮想通貨なんて全く必要としないし、存在も認めません。大半が詐欺もどきで、とても通貨と呼べるような代物でないのは明らかだからです。そもそも株でもないのに持っているだけで不安になる通貨なんて、あり得ません。

現金主義はどうでしょうか。クレジットカードを否定する人は今でも大勢います。絶対に持たないと言って憚りません。むしろ得意げです。お店でも現金しか受けつけないところも結構あって、財布に1万円も入っていない私などは、しょっちゅうドキドキしています。(笑)

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この問題を語るには、まず現金がどうやって作られるのかを知らなければなりません。個人では絶対に作れない一万円札や千円札は何を根拠にどこで作られるのでしょうか。

まずお札に関しては日本銀行管轄の独立行政法人、国立印刷局で作られています。コインは違うようです。額も多くないので今日は現金の大半を占めるお札だけを取り上げたいと思います。

お札発行(印刷)の根拠は日銀の当座預金です。金融機関からの要請があれば、その金融機関が日銀に持つ当座預金口座残高から交換の形で金融機関に渡ります。と言う事は我々国民の現金使用が増えれば増える程、当座預金残高は減る事になるのです。

ご存知のように当座預金は一定額を維持しなけばなりません。預金準備率というのがあって、金融機関は平均すると国民から預かっている預金額の1%程度を無利子で日銀に預けなければならないのです。

現金化は、たちまちその残高が減る事を意味します。預金者が不信感を持って全額を下ろしたいと言い出したなら取り付け騒ぎが起きますが、それは当然当座預金残高だけでは足りないからです。

今現在で言えば400兆円の当座預金残高に対してマネーストック(M3)が1300兆円です。現金(お札)を除くと1200兆円なので、これを全て現金化するには当然足りません。

それを見て、日本は貧乏かと言えばそんな事はないのです。他の国の当座預金残高はもっと少なく、米やEUさえそんなに保有しませんから、日本は金融緩和のやり過ぎと言われても仕方ない程です。

そもそも国民の持つ1300兆円の金融資産(M3)とは何でしょうか。元々持っていたかと言うとそうではありません。政府が発行しなければ持てないのですから当然です。ではなぜそのような巨額を持つに至ったかと言えば、誰かが借金をしたからなのです。

銀行は異常に低い預金準備率(中国は20%を超える)からすると当座預金の100倍近いお金を貸せる訳ですから、担保さえあればジャンジャン貸します。その結果としてM3が増えるのであって、最初に預金者ありきではないのです。ここを勘違いしている人がエコノミストにもいるのでビックリです。

つまり元々現金化出来ない事を前提として金融機関は融資をするので、現金主義などというのはあり得ない選択肢なのです。従って稼いだお金は出来る限り銀行に預け、現金は必要最低限を持つのが今の資本主義経済金融システムとしての正しい姿勢と言えます。

その方が銀行はより貸し出しやすくなるし、その結果として国民の金融資産も殖える訳です。現金主義の人は、それ自体が自らの首を絞める事になるのを知らないだけです。

現行システム上、銀行が土地などを担保として借用証と引き換えに通貨を創造する機能(信用創造)が働かなければマネーは増やしようがありません。返済が進めば進む程金融機関の純資産が増え、国民側の金融資産はゼロに近づいていきます。そうなると当然GDPもじり貧にならざるを得ません。

 

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2018年5月 7日 (月)

パフォーマンスについて考える(続編)

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  パフォーマンスの話が続きます。連休中暇だった私は映画にでも行こうとネットを物色すると、スピルバーグのVRもの「レディ・プレイヤー1」に行き着きました。テレビでもCMをやっていたので、うすうすは知っていましたが、予告編を観ると面白そうです。早速ネットでチケットを手配しました。

内容は一言で言えば約30年後のアメリカが舞台の子供向けゲーム映画です。ゲーム(仮想現実)と現実の区別が限りなく薄くなった時代に、ある天才が創ったVRソフトと、それを管理運営する会社の経営権を巡っての争いが一般ゲーマーと悪徳企業との間に起きます。

最後は雑多な人種で構成された子供グループが勝利するという他愛ないものですが、その映像は私などの想像の域を超えます。ただ話としてはベリー陳腐なので、そちらを期待する向きにはお薦め出来ません。CGやVRの世界に個人的、あるいは仕事上興味を持つ人には一見の価値があるという訳です。

しかしそのテンポは目まぐるしく、音響効果も半端ではないので私のような年配者はついていけません。(笑)しかしながら意外性のある(ゲームでは当たり前かも)映像が続くので退屈する事なく最後まで観れました。職業柄触発されるところも大いにあったという訳です。

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さらに日本人俳優のアバターが着る侍の鎧のアレンジが違和感がないのと、彼が呼び出したガンダムの出来もよく、しかもカッコいい役どころであったので日本人としては、いつものようにがっかりせず、むしろ誇りを持って観られるというおまけもあります。(笑)大人の鑑賞に堪える渋い映画がなくなった今、まあこんなものか、という気がしました。

裏にどういう意図があって作られたのかは知りませんが、AIやロボットの進化によって暇になった人類の将来という視点で見れば、映画が描くような、つまりスリリングで良く出来たゲームの中で人生の大半を過ごす世の中になるかも知れないという一抹の不安が脳裏をよぎった事も事実です。

続いて世界遺産の話です。

文化庁は4日、日本が世界文化遺産に推薦していた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本県)について、登録の可否を事前審査する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が「登録が適当」とユネスコに勧告したと発表した。(中略)

潜伏キリシタン関連遺産は、現存する国内最古の教会で国宝の大浦天主堂(長崎市)や、島原の乱の舞台となった国指定史跡の原城跡(長崎県南島原市)など12資産で構成する。勧告は「禁教期にもかかわらず密に信仰を継続した潜伏キリシタンの独特の文化的伝統の証拠」として普遍的価値があると評価した。


これだけは腹が立ちます。(笑)潜伏キリシタンにどういう価値があるのか全く理解不能です。そもそも当時日本に来ていた宣教師達(イエズス会)はスペイン、ポルトガル等欧州から派遣されて来た偵察員です。

植民地化に先立ち候補地に入って情報を集めたり、キリスト教を広め仲間を作って侵略しやすくするのが役割だった訳で、彼らに籠絡された日本人は、どの時代の尺度で見ても哀れな売国奴でしかありません。

その背景を知り、列強の下心に気付いた秀吉など、時の為政者から弾圧されて当然な人達です。それが日本人側から見て文化遺産の価値があるなどというのは、今ヘイトスピーチと言って騒いでいる在日中心とする反日左翼がやっている事を数百年後に文化遺産的価値があると言うようなものです。(笑)あり得ない。。

考えてもみて下さい。西洋とキリスト教にかぶれるあまり、日本の仏教寺院を数百も破壊し、若い日本人女性を海外へ奴隷として50万人(最大値?)も売り飛ばした連中は、どこからどう見ても反逆者です。その前に立派な犯罪者です。当時の処罰としては打ち首が妥当と言えます。

それを恐れて逃げ回り隠れていたところが文化遺産などというのは、どうみてもキリスト教徒、すなわち欧米側のものの見方でしかありません。間違っても日本人が必死こいて進めるような話ではないのです。

それに、世界遺産てなんなの?一体どういう価値があるのですか?もし守るべき価値あるものが日本にあるなら日本人が主体で守ればいいのです。なぜ世界のお墨付きが必要なのかさっぱり分かりません。

むしろ世界遺産の基準を遵守するなら不自由なものになりかねません。つまり何をするにも日本人の都合で動けなくなるのですから空恐ろしい事です。例えば日本列島を世界遺産に登録したなら、管理者として以外は住むなと言われても文句が言えないのです。どれだけお目出度いの?と言いたいです。

こういう事を推進するのは頭がいかれているか、左翼か、極度の欧米崇拝でしかないでしょう。文化庁ってそういうレベルなんです。鬼畜米英の手先か(笑)まことに残念なパフォーマンスと言うしかありません。

もう一つ腹が立った話
女子卓球ですが、南北朝鮮がいきなり混成チームを作るといい出しました。トーナメント?が続いている最中の準決勝を前にしての突然の宣言ですから驚きです。それを認める事務局も事務局で何を考えているのか理解不能です。恐らく買収でもされたのでしょう。

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その結果南北朝鮮は労せずしてメダルを手にしました。本当は準々決勝でどちらかが敗退すべきところ合併によって、どちらも生き残るという姑息な手段がまかり通るならルールなんて糞食らえです。

それで調子を狂わせられたのが日本チームですが、伊藤美誠の「正々堂々と戦うってこんなに面白いんだなあって改めて思った」のセリフに繋がりました。その後日本チームは中国に敗れはしましたが正々堂々の銀メダル獲得は評価出来ます。ふがいない男子と違ってナイスパフォーマンスでした。

最後は憲法記念日に出くわしたゾンビの行進・・いやよく見たら左翼のデモでした。(笑)生気のない年寄りが大勢でいやいや歩いているように見えます。どうせ組合から駆り出されたのでしょう。

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 (画像はイメージです。本文と直接関係ありません。)

憲法改正反対とか原発再稼働反対とか言っていますが、声にも張りがありません。それにしても一つの列がやたら長いのです。それが延々と続きます。一体何万人駆り出されたのでしょうか。のぼりには何とか土建と書いてあります。

彼らの特徴は、看板やのぼりなどがきちんと印刷されていて組織的な事です。我々保守のデモなどと違って決して日の丸は持ちません。言っている事も凄く反日、反政府的でどこの国のデモ隊かと訝しんでしまいます。

こういう何も考えていないゾンビや意固地なデジタルデバイド達がいる限り日本はよくならないんだろうなあと、改めて思いました。最悪のパフォーマンスの見本です。

 

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2018年5月 5日 (土)

パフォーマンスについて考える

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 昨日イチローが記者会見している模様をTVで見ました。ついに選手生命が終わるのか、と思った人は多いのではないでしょうか。

以下ニュースのコピペ

極めて異例の契約が結ばれる。イチローがベンチ入りの25人枠から外れ、今季残り試合に出場しないことが複数の球団関係者の話で判明した。肩書は「特別アシスタント」。生涯契約を結んでチームに同行し、選手らをサポートする。

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イチローによると、シーズン開始間もない時期での球団側のこのような措置は全く思いもかけなかったようで、凄く異例な事だと言っていました。その表情からは球団に深く感謝し、感激している様子が伝わって来ます。

この、来期にはまた試合に出る可能性も含んでいるという契約は一見玉虫色にも見えます。しかし、球団にそこまで言わせたのはイチローだから、ではないでしょうか。

つまり野球に対する真摯でひたむきな姿勢と探究心、その結果としてのパフォーマンスが総合的に高く評価されたからと言えます。ドライな契約社会である米としては、やはり異例なのでしょう。

それにしても驚いたのは、そういうかなり叙情的というか、義理人情の入った判断を米人でもするのだという事です。良き時代の日本的なものを感じざるを得ません。

ところで、私ははっきり言ってイチローは嫌いです。(笑)もちろんプレーや実績は高く評価しますが、CMなどの彼を見ていると、怪しいおやじにしか見えないのです。顔つきが若い事に比べて胡散臭くなったと感じているのは私だけでしょうか。

言うなれば、いやみなタイプの勘違いおやじ、に見えるのです。野球以外では真摯に生きているのか?という疑問が彼にはつきまといます。あくまでも個人的感想であって、そういう人間だと断じている訳ではないので誤解なきよう。。単に私に人を見る目がないだけかもしれません。

という訳で、今日はそのプロとしてのパフォーマンスについて考えてみたいと思います。私に言わせれば、仕事をしている人は皆一種のクリエーターです。つまりパフォーマーなのです。自分の内にあるモヤモヤした何かを絞り出してプレーしたり、あるいは形にしたり文字や言葉にしている訳です。

何もアーティストやスポーツマンだけがパフォーマーではないのです。私もデザインやイラストという手段で何かを表現している訳ですが、こうやってブログを書くこともそれに準じます。

つまり私にとってはツールが違うだけで、心の内にある形にならない何かを搾り出しているという点で大きな違いはないのです。という事は、やる事なす事全てに共通したものがある筈です。

言うなれば一貫したスピリットのようなものがあって然るべきです。それがそうなっていないとすれば、他重人格か成長の過程にある人間という事になるのではないでしょうか。未だに思うような絵も描けず、文章も今一な発展途上人間の私が言うのもおこがましいですが、そう感じます。

話は飛びますが、ノーベル文学賞というのがあります。昨年は日系英国人の石黒氏が受賞しました。今年は事務局の不祥事でそれどころでないらしく、来年に2年分の受賞者を発表するそうです。ノーベルの名に相応しくない無様な話です。心待ちにしていた人は、さぞがっかりしたのではないでしょうか。

村上春樹氏も毎年のように候補者の一人と言われていますが、私はこの人も好きになれません。(笑)なぜかと言うと、ノーベル賞しか眼中にないからです。ノーベル賞を得るためなら自分のポリシーさえ変えかねません。実際、左翼的作品、発言が増えているのは、その方が受賞しやすいからだと言われています。

それこそ本末転倒です。賞は結果であって目的であってはいけません。パフォーマンス自体が不純なものになりかねないからです。そんな事すら理解できないもの書きが書く本を読む気になど、とてもなれないのです。尤も、昔から読んだ事はありませんが。(笑)なぜって?男の顔は履歴書という説を信じているからです。

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(人の気配がなく、静まり返った様は幻想的でさえある。右手前の光の帯は運河をまたぐ大きな歩道橋)

ところで先日都内某臨海エリアで不思議な光景に出くわしました。タワーマンションが立ち並ぶエリアに橋がかかっていて、その下を流れる運河にその景色は投影されているのですが、その日はベタ凪状態だったので鏡のように無数の灯を映していたのです。思わず明鏡止水の如しと唸ってスマホを取り出しシャッターを押しました。(笑)

これを友人にメールで送ったところ、絵じゃないかというのです。(笑)いかにも私がイラストを描くことを知っている人の発言ですが、絵ではありません。絵であるならそう宣言すべきで、写真と言って送ったものが絵なら単なる嘘つきです。写真のいいところは、それが事実だからです。

そこにこそ価値があります。実際に起こっている光景を、自分のセンス、タイミングで切り取る醍醐味は写真家の生きがいとさえ言えるでしょう。そこに嘘が介在したのでは何にもなりません。詐欺師の所業でしかなくなるのです。

一方イラストなら何でも描けます。写真のようなリアルなものも時間さえかければ描けるのですが、その場合は創作物になるので、そう宣言すべきです。それはそれで夢のある世界で想像力が試されます。但し、この場合は写真の一部をコラージュしたりするのは邪道です。

私は写真を撮るのもきらいではありませんが、明らかに後者側のクリエーターに属します。この世にないものを創る方が生にあっているのです。未だ存在しない近未来の車や船の絵をリアルに描く欲求、醍醐味からは生涯逃れられないようです。

 

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