パフォーマンスについて考える
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昨日イチローが記者会見している模様をTVで見ました。ついに選手生命が終わるのか、と思った人は多いのではないでしょうか。
以下ニュースのコピペ
極めて異例の契約が結ばれる。イチローがベンチ入りの25人枠から外れ、今季残り試合に出場しないことが複数の球団関係者の話で判明した。肩書は「特別アシスタント」。生涯契約を結んでチームに同行し、選手らをサポートする。
(お馴染みのこのポーズが見られなくなると思うと、一抹の寂しさがある)
イチローによると、シーズン開始間もない時期での球団側のこのような措置は全く思いもかけなかったようで、凄く異例な事だと言っていました。その表情からは球団に深く感謝し、感激している様子が伝わって来ます。
この、来期にはまた試合に出る可能性も含んでいるという契約は一見玉虫色にも見えます。しかし、球団にそこまで言わせたのはイチローだから、ではないでしょうか。
つまり野球に対する真摯でひたむきな姿勢と探究心、その結果としてのパフォーマンスが総合的に高く評価されたからと言えます。ドライな契約社会である米としては、やはり異例なのでしょう。
それにしても驚いたのは、そういうかなり叙情的というか、義理人情の入った判断を米人でもするのだという事です。良き時代の日本的なものを感じざるを得ません。
ところで、私ははっきり言ってイチローは嫌いです。(笑)もちろんプレーや実績は高く評価しますが、CMなどの彼を見ていると、怪しいおやじにしか見えないのです。顔つきが若い事に比べて胡散臭くなったと感じているのは私だけでしょうか。
言うなれば、いやみなタイプの勘違いおやじ、に見えるのです。野球以外では真摯に生きているのか?という疑問が彼にはつきまといます。あくまでも個人的感想であって、そういう人間だと断じている訳ではないので誤解なきよう。。単に私に人を見る目がないだけかもしれません。
という訳で、今日はそのプロとしてのパフォーマンスについて考えてみたいと思います。私に言わせれば、仕事をしている人は皆一種のクリエーターです。つまりパフォーマーなのです。自分の内にあるモヤモヤした何かを絞り出してプレーしたり、あるいは形にしたり文字や言葉にしている訳です。
何もアーティストやスポーツマンだけがパフォーマーではないのです。私もデザインやイラストという手段で何かを表現している訳ですが、こうやってブログを書くこともそれに準じます。
つまり私にとってはツールが違うだけで、心の内にある形にならない何かを搾り出しているという点で大きな違いはないのです。という事は、やる事なす事全てに共通したものがある筈です。
言うなれば一貫したスピリットのようなものがあって然るべきです。それがそうなっていないとすれば、他重人格か成長の過程にある人間という事になるのではないでしょうか。未だに思うような絵も描けず、文章も今一な発展途上人間の私が言うのもおこがましいですが、そう感じます。
話は飛びますが、ノーベル文学賞というのがあります。昨年は日系英国人の石黒氏が受賞しました。今年は事務局の不祥事でそれどころでないらしく、来年に2年分の受賞者を発表するそうです。ノーベルの名に相応しくない無様な話です。心待ちにしていた人は、さぞがっかりしたのではないでしょうか。
村上春樹氏も毎年のように候補者の一人と言われていますが、私はこの人も好きになれません。(笑)なぜかと言うと、ノーベル賞しか眼中にないからです。ノーベル賞を得るためなら自分のポリシーさえ変えかねません。実際、左翼的作品、発言が増えているのは、その方が受賞しやすいからだと言われています。
それこそ本末転倒です。賞は結果であって目的であってはいけません。パフォーマンス自体が不純なものになりかねないからです。そんな事すら理解できないもの書きが書く本を読む気になど、とてもなれないのです。尤も、昔から読んだ事はありませんが。(笑)なぜって?男の顔は履歴書という説を信じているからです。
(人の気配がなく、静まり返った様は幻想的でさえある。右手前の光の帯は運河をまたぐ大きな歩道橋)
ところで先日都内某臨海エリアで不思議な光景に出くわしました。タワーマンションが立ち並ぶエリアに橋がかかっていて、その下を流れる運河にその景色は投影されているのですが、その日はベタ凪状態だったので鏡のように無数の灯を映していたのです。思わず明鏡止水の如しと唸ってスマホを取り出しシャッターを押しました。(笑)
これを友人にメールで送ったところ、絵じゃないかというのです。(笑)いかにも私がイラストを描くことを知っている人の発言ですが、絵ではありません。絵であるならそう宣言すべきで、写真と言って送ったものが絵なら単なる嘘つきです。写真のいいところは、それが事実だからです。
そこにこそ価値があります。実際に起こっている光景を、自分のセンス、タイミングで切り取る醍醐味は写真家の生きがいとさえ言えるでしょう。そこに嘘が介在したのでは何にもなりません。詐欺師の所業でしかなくなるのです。
一方イラストなら何でも描けます。写真のようなリアルなものも時間さえかければ描けるのですが、その場合は創作物になるので、そう宣言すべきです。それはそれで夢のある世界で想像力が試されます。但し、この場合は写真の一部をコラージュしたりするのは邪道です。
私は写真を撮るのもきらいではありませんが、明らかに後者側のクリエーターに属します。この世にないものを創る方が生にあっているのです。未だ存在しない近未来の車や船の絵をリアルに描く欲求、醍醐味からは生涯逃れられないようです。
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