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2019年8月16日 (金)

日本軍はあの戦争でいかに戦ったか(前編)

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 毎年終戦記念日が近づくと、マスコミが時代錯誤な戦争反対キャンペーンでも張っているつもりか、示し合わせたかの様に、いかに日本軍が無謀で悪辣な軍隊だったかという特番を組みます。NHKスペシャルでは、まるで戦争の責任が全て、言論を封じていった日本側にあるかのような内容だったのです。相手の事は完全スルーです。(笑)

テレ東では池上彰が、いかに日本が無謀な戦いをしかけたのかという特集をやっていましたが、どう見てもかなり無理がありました。真珠湾攻撃は奇襲だったので成功したが、日米がまともにぶつかりあったミッドウェイ海戦ではボロボロに負け、そこから後退に次ぐ後退が始まったかのような印象操作です。

つまり勝てない戦争を自分から始めて、結局こてんぱんにやられ、周辺国を巻き込み日本国民が大勢犠牲になった、とでも言いたかったのでしょう。確かに戦後、GHQのWGIP と左翼の暗躍などにより自虐史観が定着している事から考えても、そう信じる日本人は多いと思われます。

しかし本当のところはどうだったのか、そこまで指導層はバカで無謀だったのか、また周辺国を侵略した日本軍は悪の権化のような軍隊だったのか?今日はそのあたりを少し掘り下げてみたいと思います。

まず真珠湾攻撃ですが、停泊中の戦艦の配列や空母不在の事実から米側は既に情報を得ていた可能性があります。米がよくやる、まず標的に自軍を叩かせて国民感情を煽るやり方です。いわゆるリメンバーパールハーバーです。

ただ誤算だったのはやられ過ぎた事です。8隻いた戦艦が壊滅状態になるとは夢にも思わなかったでしょう。日本軍を過小評価していたのは開戦時に空母が3隻しか太平洋にいなかった事を見ても分かります。

慌てて大西洋にいたヨークタウン他を太平洋に回航させ、しばらくの間は5隻で日本の10隻と対戦する事になりました。空母以外はほぼ互角の戦力でしたから対米で見る限り日本海軍の優位性は揺るぎません。

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(開戦時の戦力比較)

番組ではいきなりハワイからミッドウェイに飛びますが、半年もの間戦闘が全くなかったという事はあり得ません。熾烈な戦いが太平洋上で繰り広げられたのです。しかも相手は米だけではありません。インド洋を中心に存在感を示すイギリスの東洋艦隊もまた空母6隻を擁する大艦隊でした。

さらにオランダとオーストラリア海軍が加勢しますから、全体で見れば数で日本海軍を圧倒します。それを知りつつも勝算ありと見て始めた戦争であった事はその後の経緯を見ても間違いありません。但し、1年間くらいならという期限付きでした。

国力の差から長期戦になれば厳しい事は誰の目にも明らかです。有利な条件で短期的に講和条約に持ち込もうという算段です。そのためには米太平洋艦隊を壊滅させるしかありません。そのシナリオは決して無謀ではなく、その証拠に真珠湾攻撃以降凄く上手く事は運んでいたのです。

まず12月8日真珠湾攻撃の数日後、英東洋艦隊の新鋭戦艦を含む大型戦艦2隻をマレー沖で沈めます。作戦行動中の戦艦を攻撃機のみで沈めるという世界戦争史上初の快挙を成し遂げました。

翌年2月には4カ国の連合軍から成るABDA艦隊と空母なしでの海戦(スラバヤ沖・バタビヤ沖海戦)が行われABDA側の沈没12という壊滅状態に追い込みます。日本側に沈没はありませんでした。

これで南太平洋における制海権、制空権をほぼ手中にし、フィリピンからは激しい地上戦の末、米軍を追い出し、シンガポール、マレー半島からは英軍、インドネシアからはオランダ軍を叩き出したのですから、正に破竹の勢いです。イエス・オア・ノー?と言いたくもなります。(笑)

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(日本海軍の駆逐艦 雷)

この海戦で駆逐艦雷の工藤艦長は、戦闘中自らの危険を顧みず、沈んだ英巡洋艦エクセターの乗組員422名を救助し、捕虜をゲストとしてもてなした話は有名です。その武士道精神は戦後も英米で語り継がれていると言います。

その主力の英東洋艦隊とは4月にセイロン沖で戦う事になりますが、空母を含む大艦隊同士の戦いはこれが世界初です。しかし直接的な大規模戦闘には至らなかったようです。

それでも空母一隻を含む7隻を沈められ、航空機50機を失った英東洋艦隊はマダガスカルまで後退せざるを得ませんでした。日本側の損害は僅か航空機16機のみです。

これなどは日本艦隊を恐れて逃げ回った結果であって、いかに日本軍が恐れられていたかが分かります。日本海軍精鋭戦闘機、零戦と英戦闘機の性能の差が大きかったのも圧倒的勝利に貢献しました。

その後5月7日に空母対空母がぶつかり合う本格的海戦が連合艦隊とABDA艦隊(米中心)間で繰り広げられますが、これが有名な珊瑚海海戦です。日本は空母一隻を失うものの、米のトラの子大型空母レキシントンを沈め、ヨークタウンを中破しかろうじて勝利しました。

ここまで大きな戦いだけをかいつまんで述べて来ましたが、連合艦隊はミッドウェイ海戦までに実に大きな戦果を挙げていたのです。残存空母数で言うと日本9に対し米軍はまともな空母は2隻プラス修理中のヨークタウンしかありませんでした。

珊瑚海海戦から1ヶ月後のミッドウェイ海戦はそういう状況下にあり、瀬戸際まで追い込まれた手負いの米と、多少負けても余裕がある日本軍との戦いだったのです。

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(世界最大を誇った戦艦大和/筆者作)

当然と言えば当然かも知れませんが、この時点で日本側に慢心があった事は否めません。索敵に手を抜いたり、大和を中心とする戦艦部隊が空母群のはるか後方にいたりと、首を傾げる作戦が見受けられます。

タラレバですが、この戦いに勝てば当初の目的が達成され有利な条件での講和条約も可能だったのです。そういう事実を頑無視するテレビ、どう見ても公平とは言えません。それでも日本のテレビか、と言いたくなります。

さてミッドウェイで勝利の女神に見放され、まぐれとしか言いようのない米軍の捨て身の攻撃により真珠湾以来の主役だった空母4隻を失った日本海軍ですが、米もまたヨークタウンを失いエンタープライズとホーネットのみという布陣になります。

池上氏はその戦いで日本の優秀なパイロットの大半を失ったかのように言っていましたが、それは間違いです。空母がなくなった事で航空機は全滅しましたが、搭乗員は大半が救助されたと言います。

しかもその士気はすこぶる高く、空中戦等で相手の練度の低さを身をもって体験した彼らはリベンジ心に燃えていたと言いますから、本人達はミッドウェイ海戦が天下分け目の戦いだったなどとは夢にも思っていなかったのです。

確かに上層部にとってトラの子4隻を一度に失うというショックは小さくないと思われますが、冷静に考えればそこまで悲観する事もなかったのです。建造中の空母も沢山あり、建て直しは十分可能だった筈です。

一方の米軍にしてみれば、日本軍の不敗神話が崩れた訳ですからこちらも士気が上がります。何より大量(最終的には50隻!!)に建造中であったエセックス級空母が投入されるまでの時間稼ぎが出来た事は大きかったのです。

それにしても日清戦争以来負けを知らない日本軍故、指導層が動揺してしまったのか、ミッドウェイ海戦に関しては箝口令が布かれ、当事者は隔離に近い状況に置かれたと言います。大本営発表が嘘だらけになったのもこの頃からです。

長くなりました。次回に続きます。

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コメント

私は小学生のころから丸を読み始め、中学ではウオーターラインシリーズのプラモデルに夢中になっていました。そしていつもどうしたら日本が勝てたか考えていました。中学の歴史の授業では、日本軍のことを悪く言う社会の先生にかみついていました。もし帝国海軍がありせば、尖閣や南シナ海で今のように中国に勝手な真似はさせないのに、と悔しい思いです。
日本が勝てなかったのは、もちろん米国との国力の大きな差ですが、勝てないまでも、もう少しうまく戦えば、なんとか講和もちこめたのでないでしょうか。日露戦争では東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢したのは、飛び越え人事でした。それと比較して大東亜戦争では、官僚主義から人事が硬直していたことが敗因の一つです。今も財務省の官僚主義によって日本の国力が大きく棄損させらています。TVで大東亜戦争の総括をするなら、こういう肝心な総括をすべきだと思います。

投稿: 八丈島 | 2019年8月16日 (金) 21時49分

田中様

後編をワクワクしながらお待ちします。

投稿: ナベ | 2019年8月16日 (金) 22時02分

田中さま
ナベさま同様、胸が熱くなりワクワクしながら読ませて頂きました。メディア等で語られている戦争は、カミカゼ特攻隊で多くの若者の命が奪われた話が大半で、「かわいそう。戦争はいけない」という同情を引くことばかりです。勤勉な日本人がそんな間抜けな戦争をするわけがありません!カッコ良かった日本軍の話、敵を倒した話が聞きたいです。

事情があるのは十分承知ですが、天皇陛下をはじめ、首相にも靖国神社に参拝してもらいたいです。なんで閣僚はそれが出来ないのだろう。中曽根が変な例を作ってしまったのが汚点ですね。やっぱり日本のメディアも政府も結局はダメだなって毎年思います。日本の為に戦った方々に敬意を払ってなにが悪いんだろうか。すごく悔しいです。毎年は行けていませんが、私は暑くてもあの行列を並んで参拝しています。

投稿: 女性読者 | 2019年8月16日 (金) 23時04分

女性読者さん
私も毎年8月15日には靖国神社に行きます。今年は夕方から行ったので空いていました。熱さもそれ程ではなく、と言っても汗だくにはなりましたが。(笑)

反天連デモが靖国に到着する頃もの凄いスコールが来て、連中びしょぬれになっていました。私は涼しい店で生ビールを飲みながらその様子を眺めていました。

それにしても、いつまでやるんでしょうかね。根気があります。(笑)

投稿: 田中 徹 | 2019年8月17日 (土) 09時09分

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