日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしてるのか?(最終回)
その(5)からの続きになります。
SDGs は新興宗教
また巷にはテスラ(EV)真理教やSDGs崇拝も数多くいると言われますが、刮目すべきはこれらが国家間において政治問題化している事です。つまり純粋な環境問題は置き去りにされ、特定の国、あるいは誰かに都合のいいように特定の問題をクローズアップし扇動しているのが垣間見えます。
実際には空気中に1万分の4しかないCO2よりも遥かに悪質なのがNox(窒素酸化物)Sox(硫黄酸化物)またPM(粒子状物質)で、それによる死亡者数は年間数百万人と言われています。なぜそこはもっとクローズアップされないのでしょうか?CO2では人は死にません。むしろ植物にとってはなくてはならない物です。
ジュラ紀・白亜紀には今よりCO2は5倍以上もありましたが、植物はよく茂り、大食いの恐竜も全盛でした。多少気温は高かったかもしれませんが、生物にとっては適している環境と言えます。ちなみに産業革命時のCO2濃度は280ppmで今は385ppmです。250年で105ppm増えました。
それが今の5倍になるには、このペースで増え続けるとして、4000年以上かかります。しかもその内人為的なものはCO2全体の3%に過ぎないのです。これの何が喫緊の問題なのか分かりません。何か別の思惑があるからこそ、こういう適当な事を言って煽るのです。
環境問題を政治問題にすり替え、急激な変化を演出する事によって莫大な利益を得る人達がいるのは明らかです。そこを看破し疑問を呈するのが大人の洞察力、感性ではないでしょうか。どこの国、どの企業とは言いませんが、現実にもそういう現象が起きています。もはや火事場泥棒が跳梁跋扈し好き放題しているのが地球の現状であり、人類にとっての大きな問題なのです。
そもそも最もCO2排出量が多い米国や中国は口で言うほど減らしていません。01年比で言えばむしろ増えているのです。自動車だけで言っても日本のCO2削減は世界ダントツです。(下図参照)だと言うのになぜか日本が責められています。日本のマスコミまでが日本はEV化で出遅れたと騒ぐ始末です。
EV化は単にCO2を減らす一手段に過ぎません。LCA(ライフサイクルアセスメント)で見た場合はハイブリッドカーの方が結果として高効率な場合もある得るのです。つまりトータルで判断すべきなのに一手段のみを強引に押し付けるのは理不尽と言うしかありません。これを政治的圧力と言わずして何と言うのでしょうか。
EV化はむしろ結果的に地球環境にとっては逆行するという説さえあります。一つは二次電池のリサイクルの目処が立っていない点です。コストが新規製造よりも高くなるので現時点では廃棄される可能性が高いのです。1台につき200〜400キロも積む二次電池が寿命を迎える頃、地球は汚染電池ゴミの山となるのです。年間の自動車生産台数1億台が全てEVに置き換わる未来は果たして持続可能なのでしょうか?
もう一つは途上国の環境問題です。レアアース、レアメタルは主に南米や中国などの途上国で産出されます。では先進国では産出出来ないのかと言うとそんな事はないのです。米などはその気になれば可能なのですが、コストが合わないので途上国から買っていると言います。
ではなぜコストが合わないかと言うとコンプライアンスの問題があるからです。厳しい法律や環境に配慮したのではコストがかかり過ぎて全く採算がとれません。逆に法律や環境、また人権に対するコンプライアンス意識が低い途上国では安く採掘が出来るので重宝されるという訳です。
採掘のためにガソリンより高い水をふんだんに使うやり方では、汚染だけでなく、地元の水源問題、飲料水問題に発展するのは自明です。その他、子供達の不法就労、某国では少数民族をただ同然で使うなどの人権問題があって、それらの解決の目処は立っていません。
つまりこれは言い方を変えれば環境問題の輸出(公害輸出)なのです。先進国は自国さえ環境が良くなればいいと思い、途上国は人権や環境よりお金が大事と言う訳です。地球全体で見れば汚染ニュートラルとでも言うのでしょうか。(笑)とても持続可能でないし賢明なやり方でもありません。
SDGsは新興宗教にも似た胡散臭さ満載です。そもそも米や中が、なぜやる気がないかを考えなければいけません。答えは簡単で安全保障問題と直結するからです。つまり国力を低下させかねないSDGsには相手の出方を見ながらでないと乗れないのです。
自国を不利にする話に乗る訳がありません。逆に他の国には圧力をかけて、きっちりやらせようとします。割を食うのは日本のような政治力がなく、国民もバカ正直な国です。これを見ても明らかなようにSDGs は環境問題ではなく政治問題なのです。
私は別に環境問題なんてどうでもいいと言っているのではありません。ただ、46億年の歴史を持つ地球はそんなちっぽけな人間の営みとは全く無関係に動いていると言いたいのです。そこに人間が多少関与したとしても、その程度の事は大自然、大宇宙は織り込み済みで、温暖化どころか、そう遠くない将来に氷期も確実にやって来ます。
では食えなくなった極寒の時代には何と言って騒ぐのでしょうか? CO2出せ〜でしょうか。(笑)もちろんCO2に限らず環境は改善すべきですが、それらが将来に及ぼす影響が完全には予測出来ていない現在としては、どこかに過大で致命的な圧力がかからない範囲に止めるべきです。つまり角を矯めて牛を殺すような事があってはならないのです。
日本、いや世界がどこに向かおうとしているのか、それは誰にも分かりません。お天道様に聞くしかないと思われます。
竜頭蛇尾ではありますが、私的ファンタジーストーリーを終わりとさせていただきます。最後まで読んでいただき大変有難うございました。
完
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしてるのか?(最終回)(2024.08.30)
- 日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(5)(2024.08.29)
- 日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(その4)(2024.08.26)
- 日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(その3)(2024.02.07)
- 日本人はどこからやって来て、どこへ行こうとしているのか?(その2)(2024.01.29)
コメント